では早速、なぜONE PEACEは面白いのか?
自分なりに検証してみようと思います。
まず、同じく少年ジャンプで人気の作品「NALUTO」「BLEACH」と
共通しており、かつそれまでの(90年代半ばまでの)少年漫画と
大きく異なる特徴をあげてみます。
いわば「00年代の少年漫画は何故面白いのか?」ということです。
1.主人公だけでなく味方の脇役も魅力的で、それぞれ過去を持つ
2.敵が完全な悪役でない
3.戦闘時の動きが3D的
ちなみに、これらはジャンプの黄金期を支えた
「ドラゴンボール」「幽遊白書」「スラムダンク」にも通じる要素です。
1.は「スラムダンク」2.は「幽遊白書」3.は「ドラゴンボール」
において特に顕著です。
■1.主人公だけでなく味方の脇役も魅力的で、それぞれ過去を持つ
については、キャラクターの面から作品の魅力を多層的にするという
効果がありますが、
「ドラゴンボール」「北斗の拳」などで顕著であるように、
主人公の圧倒的強さ、ひいては存在感を強調して物語を展開させるという手法が
一世を風靡していた歴史があります。
例えば「キン肉マン」「聖闘士星矢」「らんま1/2」でも
1.は効果的に機能していましたが、
あくまで一線を越えず、ストーリーは常に主人公を軸に回っていました。
しかし現在では、主人公に絶対と言えるまでの強さはなく、
全体のストーリーはもちろん主人公を軸に回っているのだけれども
脇役の活躍がメインになる時期もあったりして、随分と1.の機能は
変わってきた気がします。
それには「ナンバーワンよりオンリーワン」が良しとされたり
「幼稚園や小学校の運動会で、かけっこはみんなで手をつないでゴール」
してしまうような価値観の変化、
および二次創作活動の情勢の変化(「セーラームーン」の同人誌を始まりとした)が
背景としてある気がします。
1.を、主人公が弱体化してしまう程推し進めることで、
子供にも大人にも受け入れられやすい漫画になる、そういう時代なのでしょう。
■2.敵が完全な悪役でない
については、作品の物語が持つ意味を相対化し、深みを与えます。
「幽遊白書」はその点で革命的で、全19巻中6巻以降、絶対的な悪は存在しませんし、
しまいには絶対的な正義も存在しないようになります。
そういえば「スラムダンク」は湘北が負けて終わります。
主人公が死闘の末、勝利して廃人になる「あしたのジョー」とは
隔世の感があります。
高度経済成長期以後、商業的に発展してきた少年漫画が
やっと手塚治虫に追いついてきた感があります。
それには読者の年齢層の拡大と、子供が子供騙しに
ひっかからない程「かしこくなった」背景がある気がします。
平和の意味を常に問い掛けられているような、島国日本独自の社会情勢も
無関係でないように思います。
2.を、大河ドラマ並みにスケールの大きい少年漫画に適用することで
作品は、現代社会に共通した言語のようなものになり、
またそれを要請されているのかもしれません。
■3.戦闘時の動きが3D的
については、右脳に直接働きかける芸術形態である漫画において、
ストーリーやイラストの魅力とはまた別の魅力、
もはや読者にとっては快楽を与えます。
巨大なものや、空間の広がりを認識すると、
脳から快楽物質が分泌されるらしいです。
「ドラゴンボール」「マジンガーZ」などにも
同じような要素はありましたが、
その効果を存分に発揮し最先端を行っているのが「GANTZ」です。
最近の漫画家は絵が下手になった論争がたまに起きますが、
パソコンの導入、単純に漫画家の技術向上(先人たちの功績)
によって、確実に漫画の「絵」はレベルアップしています。
3.を本格的に導入することで、
漫画の芸術性の幅が広がるのではないでしょうか。