ゼロ年代少年漫画論 その1 ONE PEACEの異質性 | 圭一ブログ

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圭一のブログです。1984年宮崎県生まれ

もう10年以上、避け続けていた作品があります。
当時から大人気だったこの漫画を読んでいないのは、
読んでいる人からすると意味不明だったことでしょう。

完全に避けていたわけではなく、
12巻くらいまでは読んだことがあるけれども、
その時点で一旦、面白くないと判断したことがあるのです。
予想に反し、それは史上最速一億冊突破、初版発行部数史上最多、
劇場版も興行記録を更新、DVD売上げも同じく記録更新と、社会現象にすらなっていました。

僕が多感な思春期を過ごした世紀末から2000年代というのは、
テレビや書店、友達が持ち物に取り付けているキーホルダー、
ニュース、挙句の果てには雑誌の表紙まで、
その作品の存在を嫌が応にも意識せざるを得ない世の中です。

その漫画を読んだ人は奇妙なことに、みな口を揃えてこう言うのです。
「めちゃくちゃ面白いからお前も読んだ方がいい」と……

自分が読んで面白いからといって、それを人に自信を持って薦められるかというと
そんなことはないはずです。
面白いと思った作品が例えば10個あれば、
万人に薦めたくなるような作品はそのうち半分もあればいいのではないでしょうか。

自分の密かな趣味が露見してしまうのが不快だ……
きっとこいつの口には合わないだろう……

なのにこの作品に関しては、皆目をキラキラ輝かせ、何の屈託もなく
「面白いに決まってるだろう、面白くないと思う奴がいるのかいやいない。
 読んでいないことはむしろ可哀想ですらあるから読んだ方が絶対良い」
そう自信満々にのたまうのです。

これはファシズムか?
もしくは作品中に何か仕掛けが隠されていて、洗脳されてしまうのか?

また、その作品が好きという人は、大半が単行本を全巻持っていました。
では、他にどんな作品を集めているのか、持っていなくともどんな作品が好きなのか、
調べてみると、大した読書量ではないのです。

もっと面白い漫画は八百万の神やヒンドゥー教の神の如く無数にあるはずなのに、
何故あたかも唯一神のように、盲心的に崇め奉るのか?

ずっとその作品を避けていたのは、
周囲の個人、および社会の異常なまでの持ち上げ方に対して抱いていた
不信感によるものだと言えるでしょう。
今になって振り返ってみれば、それは読みもしないのに、
作品を不当に評価してしまっていたのだと思います。

しかし今年に入ってから、ふとしたきっかけでその作品の作者が
少年漫画家として、確固たる信念を持って執筆していることを知り
「ついにバスターコール発動読む時が来たか……」と考え直したのです。

「もうここまで来たら、いっそ読まない方がいい」
「最近読んだ奴に、ここがつまらないとか指摘されるのは不快である」
周囲のそんな批判に晒されながらも、
ついに先日、リオ・ポーネグリフを見全巻を一気呵成に読み上げたのです。

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