起業家・経営者のあなたを応援するパソコン教室の鈴木です。
初めましての方はこちらをご覧ください。
「昭和は熱かった!!」シリーズですが、今回は、子供の頃に外で友達と遊んだ「外遊び」についてお話ししたいと思います。
例によって、私の記憶ですので、若干の間違いはあるかも知れません。そして、昭和40年代、私が子供の頃の東京・葛飾・柴又という、ごく限られた年代・地域のお話としてお聞きいただければと思います。
まず、遊んでいた場所ですが、放課後に友達と駄菓子屋に集まって、駄菓子を買い、それから近くの公園や神社の境内に移動します。
自転車には常時、車輪に野球のボール、荷台にバット、そのバットにはグローブを挟んでいましたので、いつでも「野球」ができる状態でした。
ですので、ほぼ毎日、野球というか、セカンドベースがない「三角ベース」をやっていましたね。
そして、一通り野球をして、夕方になると「缶蹴り」をします。缶蹴りはあなたもご存知だと思いますが、私が小学校低学年の頃は、ジュースは「ビン」の時代で、「缶ジュース」はまだ一般的ではありませんでしたので、ちょっと太めの「みかんの缶詰」などの缶を使っていました。
あの缶といえば、ひもを付けて缶に乗ってパカパカ遊ぶ、「缶馬」という遊びもありましたね。まだ竹馬に乗れない小さい頃に、父が作ってくれて遊んだように記憶しています。
缶蹴りと共に、人気だったのは「ケイドロ」、いわゆる、「警察官」または「刑事」と「泥棒」に分かれて、警察側が泥棒を捕まえ、泥棒側は捕まった仲間を逃がしたりして遊ぶ、缶蹴りと似た遊びです。
中学生になって知ったのですが、この遊びは地域によって呼び方が違い、町内の別の小学校では「ケイドロ」、また、隣町の小学校では「ドロケイ」と呼ばれていました。
そして、なぜだか、私の小学校では「悪漢探偵(あっかんたんてい)」という、まるで香港映画のタイトルのような、何とも古めかしい、時代を感じる呼び方をしていたのでした(笑)!!(※ここまで書いた後、調べましたら、本当に昭和57年に香港映画の邦題になっていたと知りました。元のタイトルは「最佳拍檔」ですので、恐らくこの邦題を付けた方は、私と同じように子供の頃に、この遊びをこう呼んで遊んでいたのでしょう。)
この遊びは、全国的にあったと思います。私の教室がある松戸の小学生たちにも「ドロケイ」という呼び名で現代まで受け継がれているようです。
まだまだ紹介したい「外遊び」は尽きませんので、この続きは次回にしたいと思います(^^♪