こんにちは。

Yuriaです。

 

 

 

 

 

 

 

 

先週末、義母が他界しました。

 

 

 

 

自宅で家族に見守られ、

安らかな最期でした。

 

 

 

 

 

 

 

私達はその瞬間を看取ることは

出来ませんでしたが、その前夜、

テレビ電話で声掛けをした際、

反応してくれた、義母の懸命な

姿が脳裏に焼きついています。

 

 

 

 

 

 

 

以前癌が見つかった際、記事を

書きました。

 

 

 

 

当時は詳しくは記載しており 

ませんでしだが、

2019年の秋に発覚したのは、

 

子宮体癌ステージⅣでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつも明るくて、

『今度マラソン大会に出るの!』

と、意気込んでいた義母。

 

 

 

初めて会った時から活発な印象で

元気をくれる、パワーのある人

でした。

 

 

 

 

 

そんな義母がまさか。。

 

 

 

同時期に私の実母にも同じく

子宮の癌が見つかり、当時は

なんて神様は意地悪なのだろう

と、恨みました。

 

 

 

 

 

 

 

義母は癌を小さくしなければ

手術を受けることが難しい状態

でした。

 

 

そこから1年半程抗がん剤治療が

続きました。

 

 

 

吐き気や脱毛など、副作用もかなり

ありました。

 

 

 

 

 

それでも私達に会う時や

電話で話す時、

義母はいつも笑顔でした。

 

 

 

 

 

 

 

その矢先に新型コロナの流行。

 

 

 

 

 

 

 

 

緊急事態宣言。

 

首都圏での感染者の拡大。

 

 

 

 

会いに行くことが難しくなり 

ました。

 

 

 

 

 

抗がん剤治療中は免疫力が

低下しているので、私達のせいで

何かあっては大変です。

 

 

 

 

 

この期間がすごく悔しかったです。 

 

 

 

 

 

 

長く会えない日々が続いた

今年の夏前。

 

 

 

 

余命宣告があったと知らされ

ました。

 

 

 

 

 

 

お医者様は年を越すのは難しい

とおっしゃっていたそうですが、

 

義母本人の感覚では

夏を越せないかもしれないと。

 

 

 

 

自分の身体のことは自分が1番

よく感じること。

 

 

それ程までに痛みや苦しさが

あるのかなとまた胸が苦しく

なりました。

 

 

 

ここから緩和ケアに切り替わり

ました。

 

 

 

 

 

 

急いで車で会いに行きました。

 

 

 

 

 

 

会うといつものように迎えて

くれた義母。

 

 

 

 

『いらっしゃい。よく来たね。』

 

 

 

 

 

 

抗がん剤治療を辞めてから、

日常生活は穏やかに過ごして

いたようでした。

 

 

 

 

体調が悪い日もあると聞いて

いましたが、

いつもの温かくて、優しい表情。

 

 

 

 

 

孫が集まり、プールで遊ぶ姿、

家中を走り回る姿を眺めては、

微笑んでくれました。

   

 

 

 

 

そんな笑顔を見ていたら、

このまま治ってしまうのでは

ないか、そんな風に思えてなり

ませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、

 

 

 

会う度に痩せていく姿、

増えていくベッドに横になる時間。

 

 

 

 

確実に義母の身体が弱ってきて

いるのを感じました。

 

 

 

 

 

 

 

それでも、

私達のことを気遣ってくれる

優しい義母。

 

 

 

 

 

  

死の間際でさえ、

 

「こっちに来るのは、仕事の

段取りをつけてからで良いから」

と、義父に伝言を残していました。

 

 

 

 

 

旅立ちの日まで決めていたかの

ように、金曜日でした。

 

 

 

 

 

 

静かに眠る義母の前で、

 

 

 

義父が、

 

『◯◯(夫)の為にきっとこいつは

今日にしたんやな。』

 

そう言うと、

 

 

 

 

夫は声を出して泣きました。

 

 

 

 

夫のそんな姿を見たのは初めて

でした。

 

 

 

 

1番大変なのは義母なのに、

いつも夫のこと、私達家族のこと

を気にかけていてくれました。

 

 

 

 

 

身体の動けるうちにと、残された

家族が困らないように、お気に入り

の服を処分をしたり、身辺の整理や 

相続のこともまとめていたそうです。

 

 

 

 

 

 

50歳を過ぎてから介護の資格を

取り、本当にやりたかった仕事を

始めた義母。

 

 

 

 

 

本当に人に尽くした人でした。

 

とても尊敬出来る人でした。

 

 

 

 

 

 

家族葬でしたが、たくさんの

友人が義母に会いに来てくれ

ました。そんなところもまた、

どれほど愛された人だったかを

感じさせました。

 

 

 

 

 

 

 

 

余命宣告を受け、死を待つ時間

というのはどれほど辛いことで

しょうか。

 

 

自分の親より先に旅立つ悲しみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

もし自分がだったらと想像すると、

 

痛みと闘い、辛く苦しい中、

笑顔で接することが出来るか、

優しい言葉をかけてあげられるか、

人のことを気遣える心の余裕がある 

か、分かりません。

 

 

 

 

 

 

 

私は義母の人生のほんの一部しか

携わることは出来ませんでしたが、

考えれば考える程、

強く、優しい人でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"生きる"

 

 

 

 

意識することさえ忘れてしまう 

けれど、決して当たり前なんか

ではないのだと。

 

 

 

 

 

 

今ここに生きていられること、

それだけでも凄く幸せなこと

だと。

 

  

 

 

 

そして、

死は誰にでもいつか必ず訪れる

ものだと。

 

 

 

 

 

 

どんな時も、

明るい笑顔で、

強くて前向きで、

優しさに溢れた義母が

教えてくれた気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それにしても、、、

 

 

 

 

50代。

 

本当に早過ぎます。

 

 

 

 

 

もっと教えて貰いたいこと、

もっとお話したいこと、

もっと一緒に行きたいところ、

もっともっと義母としたいこと、

たくさんありました。

 

 

 

これからも沢山の時間を共有

出来ると思っていました。

 

 

 

嫁として何も出来なかったです。

 

 

 

 

新型コロナさえなければ、せめて、

もっとたくさん会いに行きたかった。

 

 

 

 

 

みんなで旅行に行きたかった。

思い出をひとつでも増やしたかった。

娘の成長をもっと見せたかった。

もっと一緒に食卓を囲みたかった。

義母のことをもっと知りたかった。

たわいもない話で笑い合いたかった。

もっと感謝の気持ちを伝えたかった。

 

 

悔やんでも仕方のないことなので

すが、後悔ばかりが残ります。

 

 

 

 

 

 

義母が気付かせてくれた、

沢山のことを心に留め、

また日常を過ごしていきたいと

思います。

 

 

 

 

 

 

皆様もどうかお身体ご自愛ください。