こんにちは。
DJ YURiAです。
嘘のような、
嘘だと思いたいけれど、
本当の話です。
少し前の話になりますが、
私の母に癌が見つかりました。
子宮頚がんです。
母は私の娘が生まれてすぐ、新潟から東京へ泊まり込みで手伝いに来てくれました。
少し疲れているのかなと思った瞬間はありましたが、家にこもりきりで慣れない環境のせいだと勝手に思っていました。
私は娘のことでいっぱいいっぱいでした。
母は痛いとか辛いと言わない人なので、もっとちゃんと向き合って、耳を傾けて、すぐにでも病院へ連れて行っていればと、今でも悔しさが残ります。
癌が見つかったと連絡を貰ったのは6月のはじめ頃でした。
母は『ゆりあには知らせないで欲しい』と言ったそうです。
東京から戻った母は体調が悪化し、腹痛も伴い、仕事にも行けなくなりました。
子宮頚がんの症状が表立って出るというのは進行がある程度進んでいる状態です。
最初は近くの小さな病院。
そして市民病院、大学病院へと転院しました。
すぐにでも駆けつけたかったのですが、連絡を貰った時はまだ生後1ヶ月半を過ぎた頃。
お出掛けもやっと少しずつ出来るようになってきた頃でした。
父にも『お前は来るな。』と言われ、弟がすぐ様子を見に行ってくれました。
『あんなお母さん見たことがない。』
弟はそう言いました。
そばにいたのに何も出来なかった上に、母が辛い時に会いにすら行けず、悲しくて、すごくすごく悔しくて、しばらくふと泣いてしまう日が続きました。
何日か後に母と電話で話せました。
私は泣きじゃくって「ごめんね」しか言えませんでした。
母は『あんたのせいじゃないからね。大丈夫だから。』と、泣きながら言いました。
あんなに悲しい母の声を聞いたのは初めてでした。
そんな矢先、
仕事から帰ってきた夫から衝撃の一言が。
『俺のおかんにも癌が見つかった』
頭の中が真っ白になりました。
神様はなんて意地悪なんだろう。
自分自身のことなら耐えられるけど、
大切な人達の苦しみはどうにも出来ず、
すごく無力で、不甲斐なくて、
もっともっと辛いです。
義母には子宮体癌が見つかりました。
なんと母よりもステージが上でした。
悲しい出来事が重なって、何もする気が起きませんでした。
娘の前では笑っていようと頑張るけどやっぱり涙が溢れました。
そんな頃、娘がよく笑うようになりました。
たくさん元気をくれました。
励まされてました。
私の為に、家族の為に、色んな成長が早いのかななんて思います。
夫は『悲しんだところで、病気が良くなるわけちゃうやろ?むしろ俺たちは元気でいないと。』
と励ましてくれました。
気持ちを切り替えて、
2人の母に、
笑顔になって貰うこと、
元気を出して貰うこと、
希望を持って過ごして貰うこと、
私たちのことで心配をかけないこと。
まずは目の前の子育てを一生懸命に。
そして遠くからでも出来る小さな事を。
電話をしたり、
LINEを送ったり、
写真を送ったり、
動画を送ったり、
帽子を贈ったり、、、
娘が長距離の移動に慣れ、予防接種もある程度済んだ頃、会いに行きました。
2人ともいつもと変わらない笑顔を見せてくれました。
辛かったはずなのに、弱音なんて一切口にせず。
いくつになっても親は親で、子供には弱い自分は見せたくないものなのでしょうか。
強がらなくて良いし、
辛い時は辛いって言って欲しい。
もっと頼って欲しいと感じます。
放射線治療、抗がん剤治療、
義母は無事手術も終え、
先日2人共退院しました。
父は毎日のように病院へ通い、母の世話をしてくれました。父もとても大変だったはずです。
一旦は落ち着きましたが、
2人の治療はまだ続きます。
この記事は書くべきなのか悩みました。
このブログをご覧いただいている皆さんには、楽しい気持ちや前向きな気持ちになって欲しいからです。悲しい気持ちにはなって欲しくありません。
ただ、大切な読者の皆様だからこそ、他人事と思わず、どうか検診に足を運んで欲しいのです。
また、ご家族が検診を受けているか、確認してみて欲しいです。
小さな変化や一言にもっと耳を傾けて欲しいです。
私のように後悔をして欲しくありません。
大切な人を守る為に、
自分自身も元気いっぱいに子育てをする為に。
2人の母は60歳前後ですが、これまで特に大きな病気もせず、発覚直前まで仕事もしており、体力もあり、活発な方でした。
しかし定期的には検診を受けておらず、体に異変を感じてからの発覚でした。
健康に過ごしてきた方ほど、検診から遠ざかっているかもしれません。
特に子宮頚がんは子育てで忙しい時期でもある私たち世代の30〜40代女性の罹患率が高いのが特徴です。
この記事が何かのキッカケになれば幸いです。
ガンには笑うことがとても良いそうです。
なのでたくさん笑って過ごしてくださいね!
皆様の健康と
2人の母の完治を祈っています。