昨今のSTAP騒動、会見の場で小保方さんは、「STAP細胞はあります」と言った。
これを信じる人は、いるだろうか?
私の見立てでは、信じる人はそう多くあるまい。
一方、いわゆる南京大虐殺という事件であるが、「南京大虐殺はありました」と言う人がたくさんいる。
これを信じる人がきわめて多いのが困る。
1937年12月のことだが、日本軍が南京で住民を30万人以上虐殺した、とのことだ。
当時の中国の指導者、蒋介石や毛沢東を含めて、当時これを主張した人・組織は皆無なのだが、その後、東京裁判から「南京大虐殺はありました」と言う人たちがきわめて大勢いて、
信じる人が多いのが困る。
さて、私としては、STAP細胞はないと思う。
会見で本人が言う200回の成功例があるのなら、そのあと1回だけでいいから、成功させてほしい。
それができたら、すぐに信じる。
証拠さえあれば、すぐに信じる。
証拠がないのに、「あります」とか、「信じて」とか、「悪意の有無とは・・・」とか、そんなことを論じる前に、科学者としてやるべきことは、200回以上もできたことをもう1回再現させるだけなのだが、
それをしないから、ものすごく彼女は胡散臭い。
私は、彼女の博士論文のコピペなども含めて、科学者としては失格という目で見ているが、
もしももう1回実験を成功させてくれたら、それこそ土下座でもなんでもして、彼女を評価するだろう。
いわゆる南京大虐殺という事件も全く同じ。
要するに証拠がないから、全く信じる気になれない。
やれホロコーストだの、やれレイプだの、ショッキングな単語を並べてセンセーショナルなことを言い、
信じない人はとんでもない非人道主義者であるかのように言われるが
証拠がなければ、信じられない。ただそれだけのことなのだ。
というか、いわゆる南京大虐殺は、なかった証拠の方がそろいすぎているのである。
先日、愛光の中2に、社会のテキストを見せてもらった。
どうも熱心に、いわゆる南京大虐殺について教えている人がいるようで、困る。
相手は純粋な中学生である。まだ、大人を疑うことを知らない子たちだ。
はっきり言って、有害な教師、と言わざるを得ない。
義務教育で、ウソ、とは言わないまでも、不確実なことを教えていいのだろうか?
かりにあったと言い張るのなら、それこそ中学生じゃなくて大人を相手に、
何月何日、何時ころ、南京場内のどの場所で、どの部隊が誰を対象に、どのくらい殺したか、
それをハッキリ明示するべきである。
南京占領の1937年12月13日から18日にかけて、
南京城外だったのか、城内だったのか、
城内であれば安全区だったのか、区域外だったのか、
どの部隊が組織的虐殺を試みたのか、ハッキリ言うべきである。
それを言わずに、虐殺があったといっても、
純粋な子どもたちを相手に、「あった」などと言うのは、有害でしかない。
本当に困った先生である。
愛光は、世界的教養人を育てると謳ってるが、
こんな先生が現場でこんないいかげんな内容を教えていることを知っているのだろうか。
公開質問状でも送ろうか、
と思っている…。
さて、私は、いわゆる南京大虐殺については、否定論者で、
絶対なかった、とは言わないが、限りなくシロである、と思っている。
人は大勢死んでいることは認めるが、それが直ちに日本軍がやったことにはならない、と思っている。
生徒たちにこの見方を強要するようなことは、しない。
おそらく、自分の歴史観・政治思想を強要することは、自分の息子に対してもしないだろう。
何が正しいか、自分で判断しろ、と言うだけである。
それが教育の第一の目標であると考えているからだ。
ただ、相手側は(学校の先生は)、それをしない。
彼らはただ、強要する。
信じられない。教育者として、不適格である。まさに、不適格である。
このアンフェアな状況、打開するには、どうすればいいのか。
現場にはびこる有害教師、これを排除するにはどうしたらいいのか、
私には、どうしていいか、よくわからない。
しかし、行動を起こさねば何も変わらない、と思っている。
さて、話は変わるが、韓国で沈没船事件があった。
あの事件では、責任者が真っ先に逃げた。
そして、船員は着替えをして逃げた。
そして、学生たちが大勢死んだ。
1937年、南京での出来事とそっくりだと思ったのは、自分だけだろうか。
南京でも、国民党の指導者たる蒋介石は真っ先に逃げ、
南京城の防衛を任された総司令官である唐生智も逃げ、
指導者不在の城内で、指揮を失った兵隊は便意兵となり、安全区に中に逃げ込む。
挙句の果てには、混乱で死んだ市民、そして戦闘で死んでいった兵隊は、全て日本軍による組織的大虐殺だと言い張る。
この無責任さ、特アのみなさんの行動パターンであり、
今も変わってないんじゃないかと思ってしまった。
もしも何らかの形で日本が事件にかかわっていたりしたら、どう責任をなすりつけられたか、わかったものじゃない。