面白い試合でした。


日本代表は、チリを参考にチーム作りするべきです。



チリのほうが、ブラジルよりも面白いサッカーをしていました。


自分は、チリが次に進むべき、ブラジルよりもチリの試合を次も見たいと思いました。


だから、ブラジル負けてくれって思っていました。




それにしても、テレビ局のブラジル寄りの解説は、一体なんなんだろうか。


日本の肩を持つのはいいにしても、なぜあそこまでブラジルを応援するのか、


すごく不愉快でした。



開催国だから応援する義理はないし、


ブラジルの方が日系人がいるとかそういう理由で応援する必要もないし、


平等にせよ、と思っていました。



なんか、ワールドカップを盛り上げるためにわざとブラジルを応援して雰囲気を作るといった安易な手段はやめて欲しいです。



それにしても、チリは負けてしまったので残念ですが、すごく印象に残るチームでした。

結果は残念ですが、とりあえず、日本代表のみなさま、ご苦労様でした。



今日の試合はすごく面白かったです。負けはしましたが…。


昨日のメキシコ対クロアチアよりも、個人的には面白かったです。



スコアは1-4での敗戦ですが、でも日本代表は勝ちに行くサッカーをしたわけで、


前に出るサッカーをしたのだから、後半まとまった失点をしても、それは仕方ないと思います。



つまり、スコアほど悪いサッカーじゃなかった、と思っています。



それでも、相手はスタメンを8人入れ替えてきたわけで、


それを考えると、やはり残念です。


コロンビアは、ちょっと日本の相手にならないほど強かったです。





さて、サッカー日本代表にはいろいろな課題があると思いますが、


世界のサッカーと比べると、


個の面では、スピード、スタミナ、パワー、テクニック、インテリジェンス、


どの要素も欠けている気がします。



もっとフィジカル強くしてほしい。


その上で、攻撃のバリエーションを増やしてほしい。



フィジカルあっての戦術じゃないかと思うのですが…


まぁ、今回のW杯の敗戦を受けて、


強化を行なってほしいと思います。




日本は負けたけど、まだW杯は続くわけで、楽しみですが、



スペイン・イタリアがいなくなってしまいました(涙


コートジボアールが敗退したのも残念です。


ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチアももっと見たかったのですが…




チリがどこまで戦えるか、すごく楽しみです。




それにしても、本日何より残念だったのは、スアレスのかみつき、です。



スアレス… (涙


なにやってんの…?




スアレスは面白いから許してやってくれ、って思うのですけど、


やっぱりアレはダメなんだろうな…


病気なのか?


実は日本代表の敗戦よりも、スアレスが残念です。


今大会は、スアレスが一番見たい選手なので。

 脳科学者の茂木健一郎氏がとある貼り紙を制作し、これが多数RT(引用)され、各所に貼られている。それは、タトゥー・刺青を入れた人の入浴を認めない温泉施設や入浴施設があることを「不当な差別」と評したもの。茂木氏はサッカーW杯に出場する選手にもタトゥーを入れた選手が普通にいるとし、差別の理由にすべきではないと考えている。


 貼り紙の文面はこうだ。 「当浴場では、他のお客様のご迷惑になりますので、タトゥー、刺青のお客様は入浴すべきではない、不快だ、断られても当然、自己責任だ、とお考えの差別主義者のお客様のご入浴はお断りしております。みなさまのご理解、ご協力をお願いいたします。」


 この貼り紙を茂木氏は全国の温泉、公衆浴場関係者に「ぜひ、ご活用ください!!!!」と呼びかけたが、これはいわば差別主義者への皮肉であり、コメディ。茂木氏はサッカーW杯に出場する選手にもタトゥーを入れた選手が普通にいるとし、差別の理由にすべきではないと考えている。


 茂木氏の指摘に対し、「タトゥーの人と入浴したくないという人が一定以上いるのでその点はご理解いただきたいです」という声も出たが、この意見に茂木氏は不同意している。現在ツイッター上では「刺青・タトゥー容認派VS否定派」で熱い議論が展開中だ。

以上。引用終わり。

http://yukan-news.ameba.jp/20140617-1102/




この人、脳科学者の茂木健一郎氏は、かなりバカだと思う。



公衆浴場で、タトゥーのお客さんの入場は、経営上大問題。


だから、入場を断るのは、合理的な判断である。


それが分かっていないようだ。



というか、それがわかっていなくても、普通上記のようなバカなことは言わない。


なぜなら、そんなことを言い出したら、およそ全てのドレスコードのあるお店は差別主義ということになってしまう。


私が以前務めていた予備校は、茶髪の学生は禁止というルールがあった。


これも茂木氏に言わせれば、差別主義ということになるのだろうか?




アメリカに留学していたとき、カフェの入口に「上半身裸の人は入場禁止」という貼り紙があった。


外を上半身裸で歩くというのは、アメリカ人も中国人もよくしていることであるが、だからといって、店に自由に出入りできるということにはならない。



そもそも、


「当浴場では、他のお客様のご迷惑になりますので、タトゥー、刺青のお客様は入浴すべきではない、不快だ、断られても当然、自己責任だ、とお考えの差別主義者のお客様のご入浴はお断りしております。みなさまのご理解、ご協力をお願いいたします。」


というのだって、差別主義だ。


つまり、差別主義者を差別する差別主義者じゃないか。





まぁ、何を考えているのかよくわからないが、


東京オリンピックで「おもてなし」とか、そのうち多くの人がそんなことを言い出しそうだが、


カンチガイする人たちが多いんだろうな、と思う。


毎日、W杯を見ています。



昨日は、日本の試合を見ました。残念です。


ちょっと辛口トークを。





日本人として、日本のサッカーチームの出来はすごく気になるところですが、


いちサッカーファンとして、日本のサッカーは正直つまらない、と思います。


コートジボアールの試合なら、決勝トーナメントでも見たいと思いますが、


日本のサッカーなら、正直、予選リーグだけでもういいや、と。




例えば、今朝のアルゼンチンVSボスニアフルツェゴビナの試合なんか、かなり面白かったのですが、


日本のサッカーはと全然違う、展開を見ることができます。



なんか、同じ土俵に立つことすら間違い、そんな風に思ってしまいます。


W杯ではアジア枠は、2か、2.5くらいで充分じゃないかと思います。



それか、スポイルズシステムにして、大会で結果を残した国の数に応じて次回の出場国を地域で割り振りするとか。



W杯は、世界でもっとも優れた国が出場する大会でいいと思うのですが、


アジアはその大会の質を低下させている気がします。。。





ごめんなさい、言いすぎました。



本当は日本に頑張ってほしいのですが、ストレスから、思ったことを率直に書いてしまいました。





でも、


仮に日本が出場しなかった場合よりも、


出場して負けてくる方が、ずっとマシだと思います。




何事においてもそうで、


チャレンジしないで失敗しなかったヤツよりも、


チャレンジして失敗したヤツの方が評価出来るのです。




今後の日本のため、残りの試合をなんとか頑張ってほしいものです。



それにしても、サッカーは面白い。。。

ウェルカム「英語村」 小学5年生、英語のみで授業


 大阪府寝屋川市は29日、英語のみで1日の授業を過ごす試みを始めた。「英語村」と名付け、市内の約2千人の小学5年生全員を対象にしている。


 外国人英語講師(NET)の指導のもと、この日は市立桜小の82人が「入村」。英語の歌を歌ったりグループに分かれて名札作りをしたりした。1組の上中亜美さん(10)は「先生が話しているのを見て、自分もしゃべれるような気分になり楽しい。ハッピーです」と笑顔を見せた。


 寝屋川市は、小学1年生の授業を2005年度から始めるなど英語教育に力を入れている。英語村の事業には約360万円の予算を計上。1年間で全24小学校の児童が参加する。(中島嘉克)



以上。引用終わり。

http://www.asahi.com/articles/ASG5Y357GG5YPTIL002.html




残念ながら、ムダな努力としか思えない。






楽しげな雰囲気を醸し出しているが、


これがもしも国語の授業だったら、はっきり言って気持ち悪い。



それと全く同じ理由で、


こんな英語の授業、自分はイヤだし、だいたい効果がないと思う。





うわべだけの英語よりも、


国語力がつくように文学作品でも読ませた方が、よっぽど国際的な人が育つんじゃないか?




英語コンプレックス極まれり、という感じだが、


もっとましな授業やれよ、って言いたい。




命を教えるとか言って、育ててきた生き物を殺す授業とか、


過激な性教育をやるとか、


そんな教育はやめるべき。



人権教育もほどほどにすべき。


むしろ逆差別を醸成する。



そして、英語教育。


小学校の英語教育は、全廃すべき。

日本は少子化対策を真剣にやらなくてはマズイ。


昨日の愛媛新聞 『地軸』より



白と黒と金 2014年05月27日(火)


 ホワイトカラーの話なのに、ブラックユーモアとしか思えない。安倍政権が三たび蒸し返してきた労働規制緩和策「ホワイトカラー・エグゼンプション」導入を、厚生労働省も検討し始めた▲


 働く時間ではなく「成果」で評価するとし、いくら残業しても残業代が払われない仕組み。舌をかみそうな横文字を意訳すれば「残業代ゼロ法案」▲


 第1次安倍政権下の7年前と昨年、強い反対で頓挫した際には「過労死促進法案」とも呼ばれた。今、過労死の防止を「国の責務」と初めて明確に位置づけた「過労死防止法案」が、ようやく成立しかけている。二つ並べて恥じない政治の腹黒さにはしらけるばかり▲


 年収1千万円以上の専門職を「高収入・ハイパフォーマー型」と持ち上げ、「創造的に柔軟に働ける」と推進派はうたう。だが、そんな人は一握りで、今でも十分自律的。多くの労働者には裁量権などないが、「労使合意」を要件に拡大を狙う。目的はやはり人件費削減、と白眼視せざるを得ない▲


 成果主義も結構だが、成果を公正に評価できる経営者や管理職がどれだけいようか。しかも自らは経営が傾いても、社員を長時間会社に縛りつけても、賃金を削った金で無駄な投資をしても、ほぼ責任を問われない。問題は、働き方より働かせ方にあることは明白▲


 そろそろ黒白をつけなければ。人を踏みにじり、残業ではなく残業代をなくして築こうとする「成長」の幻影に。




以上。引用終わり。




ホワイトカラー・エグゼンプション導入の動機については、よくわかる。


が、私は、どちらかというと、この制度については反対、かもしれない。つまり、愛媛新聞と考え方が同じ。



少々単純化しているきらいがあるものの、愛媛新聞の考えに概ね同意する。




というのも、愛媛新聞の言うとおり、いくら残業しても残業代が払われない仕組みは残りそうだが、


いくら短時間で成果を上げても労働時間が短くなるとはとても思えないからだ。


つまり、この制度が導入されたところで、労働時間がムダに延長されるだけ、


メリットは無視されデメリットが残るとしか思えないのだ。





さて、話を戻すが、私は日本の少子高齢化は死ぬほどヤバイと思っている。


で、少子高齢化対策としての移民導入なんか、絶対に反対である。



さらに、少子高齢化対策として、サービス残業の厳罰化が必要だと思っている。


厳罰化、は言い過ぎかもしれないが、企業にとってはそれなりのコストにしなくてはいけない。


ハッキリいって、残業なんか毎日のようにしているから、彼氏・彼女がいないヤツが多いと思うし、


それが晩婚化・少子化につながっていると思う。




今年のGW、私はいつもの年と同様、遊びに行った。


当たり前だ。毎日仕事をしているから、時々遊ぶに決まっている。堂々と仕事を休み、遊びに行った。



でも、私の身の回りでは…、


なぜか休みをとっている人が少ない、と思える。


なぜだろう?





GWを働くとか、夏休みを働くとか、年末年始を働くとか、


ありえない。




こんなことやってるから、日本は自殺率が年間3万を超え、つまり、毎日毎日100人近くが自殺する訳である。



大人は疲れているし、


子どもを産むこともメンタル的にもコスト的にもできない。






さて、すごく簡単な話、


池にたくさん金魚が住んでいて、その金魚の個体数が長い時間をかけて減ってきたら、


その池が住みにくくなった、ということだろう。



同じように、日本に大勢の人が住んでいて、長い時間をかけて人口が減ってきたら、


それはつまり、日本が住みにくくなった、ということだろう。




GDPが世界トップレベルでも、


人口が減っているというのは、そこが住みにくい国でしかない、ということだ。



少子高齢化対策は真剣にやるべきである。


もちろん、その対策で3K移民を入れるなんてことは、絶対にやらかして欲しくない。




私たちには、後世に対して責任を負って、日本を作っていく義務がある。


3K労働者だけは、絶対に入れてはいけない。

それにしても、片山被告の顔を見ると、すごくムカつく。


こんなことは言ってはいけないと思うが、正直、癇に障るので、仕方ない。




しかし、私の信条として、殺人以外は許すというのがあるので、彼の場合も許すことにする。


ただ、その前に10年以上の懲役頑張ってくださいね、ということだ。



冤罪となった人たちの人生を狂わせようとしたこと、


社会に多大な迷惑をかけたこと、


刑務所に入って、後悔するがいい。



もっとも、彼の場合は、更正なんかありえない気がする。




さて、以下は引用。




PC遠隔操作事件で、連絡が取れなくなっていた片山祐輔被告人の保釈が取り消され、その身柄が拘束されたことを受けて、主任弁護人をつとめる佐藤博史弁護士が5月20日、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見を開いた。片山被告人が一連の事件の犯行を認めたことについて、無罪を主張してきた佐藤弁護士は「完全にだまされた」と述べながらも、「否定的な感情はない」と心境を語った。



引用終わり。

http://www.bengo4.com/topics/1542/



否定的な感情はない、というところにびっくりした。


自分についてウソついた相手に対し、否定的な感情はない、というのは、どういうことだろうか?






以下、引用。


主任弁護人の佐藤博史弁護士は記者会見で「裏切られたという感情はない」と語りつつ、「完全にだまされた」とも述べ、刑事弁護人としての複雑な感情をのぞかせた。 この件に関して、キャリア30年以上となる刑事弁護のベテラン櫻井光政弁護士が連続投稿したツイートが注目を集めた。そこでは次のように、「刑事弁護人」が果たすべき役割や心得について、経験にもとづいた見解が述べられている。



凶悪犯罪の被告人から、「真実の犯人は自分だが無罪を主張してくれ」と言われたときに、無罪主張に最善を尽くさなければならないのが刑事弁護の倫理です。有罪主張したら懲戒を受けます。その場合に残された道は辞任しかないけれど、いずれにせよ誰かがこの被告人を弁護しなければなりません。


だから、自分は無実と言われた佐藤弁護士が被告人の無罪獲得のために全力を尽したことは、刑事弁護人として「見込み違い」「軽率」等と批判や揶揄されたりする理由は何もありません。的外れな批判・非難や嘲笑をする人は、刑事裁判のルールを知らない人です。もちろんそういう人でも批評は自由ですが。



引用終わり。

http://www.bengo4.com/topics/1540/




確かに私は刑事裁判のルールを知らない。


しかし、



凶悪犯罪の被告人から、「真実の犯人は自分だが無罪を主張してくれ」と言われたときに、無罪主張に最善を尽くさなければならないのが刑事弁護の倫理です。



こんなことを言われても、終生納得いかないと思う。


これが倫理というけど、自分にとっては、社会にとって有害としか思えない。


「あんたの親を殺した犯人が自分だが無罪を主張してくれ」と言われたときに、刑事弁護の倫理でこの人は無罪を主張するのだろうか。


それとも、自分はとてもそんなことができないから、他の人がその犯人の弁護をするのを、指をくわえてみているというのだろうか。



この記事を読んで、


東京裁判で武藤章が、検事や判事のことを「人間のクズ」だと言っていましたが、それを思い出してしまいました。




佐藤弁護士は、仕事とはいえ、せめて片山被告を一発ぶん殴る、くらいのことはすべきじゃないでしょうか?


否定的な感情はない、なんて言うのは、基本的な人間感情の欠如で、ヤバイと思います、人として。

昨今のSTAP騒動、会見の場で小保方さんは、「STAP細胞はあります」と言った。


これを信じる人は、いるだろうか?


私の見立てでは、信じる人はそう多くあるまい。


一方、いわゆる南京大虐殺という事件であるが、「南京大虐殺はありました」と言う人がたくさんいる。


これを信じる人がきわめて多いのが困る。



1937年12月のことだが、日本軍が南京で住民を30万人以上虐殺した、とのことだ。


当時の中国の指導者、蒋介石や毛沢東を含めて、当時これを主張した人・組織は皆無なのだが、その後、東京裁判から「南京大虐殺はありました」と言う人たちがきわめて大勢いて、


信じる人が多いのが困る。




さて、私としては、STAP細胞はないと思う。


会見で本人が言う200回の成功例があるのなら、そのあと1回だけでいいから、成功させてほしい。


それができたら、すぐに信じる。


証拠さえあれば、すぐに信じる。


証拠がないのに、「あります」とか、「信じて」とか、「悪意の有無とは・・・」とか、そんなことを論じる前に、科学者としてやるべきことは、200回以上もできたことをもう1回再現させるだけなのだが、


それをしないから、ものすごく彼女は胡散臭い。


私は、彼女の博士論文のコピペなども含めて、科学者としては失格という目で見ているが、


もしももう1回実験を成功させてくれたら、それこそ土下座でもなんでもして、彼女を評価するだろう。




いわゆる南京大虐殺という事件も全く同じ。


要するに証拠がないから、全く信じる気になれない。




やれホロコーストだの、やれレイプだの、ショッキングな単語を並べてセンセーショナルなことを言い、


信じない人はとんでもない非人道主義者であるかのように言われるが


証拠がなければ、信じられない。ただそれだけのことなのだ。



というか、いわゆる南京大虐殺は、なかった証拠の方がそろいすぎているのである。





先日、愛光の中2に、社会のテキストを見せてもらった。


どうも熱心に、いわゆる南京大虐殺について教えている人がいるようで、困る。


相手は純粋な中学生である。まだ、大人を疑うことを知らない子たちだ。


はっきり言って、有害な教師、と言わざるを得ない。



義務教育で、ウソ、とは言わないまでも、不確実なことを教えていいのだろうか?


かりにあったと言い張るのなら、それこそ中学生じゃなくて大人を相手に、


何月何日、何時ころ、南京場内のどの場所で、どの部隊が誰を対象に、どのくらい殺したか、


それをハッキリ明示するべきである。



南京占領の1937年12月13日から18日にかけて、



南京城外だったのか、城内だったのか、



城内であれば安全区だったのか、区域外だったのか、



どの部隊が組織的虐殺を試みたのか、ハッキリ言うべきである。




それを言わずに、虐殺があったといっても、


純粋な子どもたちを相手に、「あった」などと言うのは、有害でしかない。




本当に困った先生である。


愛光は、世界的教養人を育てると謳ってるが、


こんな先生が現場でこんないいかげんな内容を教えていることを知っているのだろうか。



公開質問状でも送ろうか、


と思っている…。





さて、私は、いわゆる南京大虐殺については、否定論者で、


絶対なかった、とは言わないが、限りなくシロである、と思っている。


人は大勢死んでいることは認めるが、それが直ちに日本軍がやったことにはならない、と思っている。



生徒たちにこの見方を強要するようなことは、しない。


おそらく、自分の歴史観・政治思想を強要することは、自分の息子に対してもしないだろう。


何が正しいか、自分で判断しろ、と言うだけである。


それが教育の第一の目標であると考えているからだ。




ただ、相手側は(学校の先生は)、それをしない。


彼らはただ、強要する。



信じられない。教育者として、不適格である。まさに、不適格である。


このアンフェアな状況、打開するには、どうすればいいのか。


現場にはびこる有害教師、これを排除するにはどうしたらいいのか、


私には、どうしていいか、よくわからない。


しかし、行動を起こさねば何も変わらない、と思っている。





さて、話は変わるが、韓国で沈没船事件があった。


あの事件では、責任者が真っ先に逃げた。


そして、船員は着替えをして逃げた。


そして、学生たちが大勢死んだ。



1937年、南京での出来事とそっくりだと思ったのは、自分だけだろうか。




南京でも、国民党の指導者たる蒋介石は真っ先に逃げ、


南京城の防衛を任された総司令官である唐生智も逃げ、


指導者不在の城内で、指揮を失った兵隊は便意兵となり、安全区に中に逃げ込む。


挙句の果てには、混乱で死んだ市民、そして戦闘で死んでいった兵隊は、全て日本軍による組織的大虐殺だと言い張る。




この無責任さ、特アのみなさんの行動パターンであり、


今も変わってないんじゃないかと思ってしまった。


もしも何らかの形で日本が事件にかかわっていたりしたら、どう責任をなすりつけられたか、わかったものじゃない。

今年のGWは、知覧特攻平和会館へと行ってまいりました。



知覧特攻平和会館HP

http://www.chiran-tokkou.jp/




HPをみたらわかりますが、ここでは特攻隊員の直筆の遺書を見ることができます。


前から一度は行かねばならないと思っており、今回ようやく機会を得て行ってまいりました。





感想は、と言いますと、


自分はここにくるのが遅すぎた、


20歳の時にここに来るべきだった、そんなふうに思いました。




なぜなら、同じ年齢であれば、もっと隊員たちの心境に共感できたんじゃないかと、


そんなふうに思ったからです。




今の自分は、共感するには、いささか年を取りすぎてしまった、


息子には、20歳になったら、ぜひ連れてきたいと思いました。


もちろん、塾生にも、強く勧めたいと思っています。




それにしても、なぜ特攻で、夢のある若い青年たちを送らねばならなかったのか、


それだけが残念です。


もっと年配の人たちで組織することはできなかったのだろうか…


極端な話、60代で人生に悔いを残さない人たちで、組織することはできなかったのだろうか…





今、特攻についての賛否を言われると、


自分はこの作戦が良いのか悪いのか…、わからないです。


自分が特攻に行く、というのは、楽かもしれない、


しかし、他人を行かせる立場で物を考えると…、





正直、特攻について、わからなくなりました。


政治家は、軍人もそうでしょうが、


およそ政策担当者は全てにおいて、YESかNOか、答えなくてはならない。


自分は、特攻に対して、どう答えを出したらいいのか、


知覧に言ったことで、逆によくわからなくなりました。





ただ、ひとつだけ確実に言えることとして、


隊員の方々が託した未来を、


命をかけて守ろうとしたこの日本を、


私たちが責任もって作って行かねばならない、


それだけは、受け継がねばならないと感じています。






最後に、強く心を打たれた遺書を、ここに紹介します。


早稲田大学から学徒出陣された、枝幹二大尉の遺書です。





あんまり緑が美しい 


今日これから死にに行くことすら忘れてしまいそうだ


真っ青な空


ぽかんと浮かぶ白い雲


6月の知覧はもう蝉の声がして夏を思わせる


作戦命令を待っている間に小鳥の声がたのしそう


「俺も今度は小鳥になるよ」


日のあたる草の上にねころんで


杉本がこんなことをいっている


「笑わせるな」


本日13時35分、いよいよ知覧を離陸する


なつかしの祖国よさらば


使い慣れた万年筆を形見に送ります。






死ぬ前の心境というのに、自分は終生、共感を得られる機会はないと思います。


なぜこれから死ぬのに、こんなにも呑気な詩を書けるのか、


緊張感が微塵も感じられないこの文言が、自分の心に突き刺さりました。









PS


隊員の遺書を世界遺産登録目指すとのことですが、私はこの考えに反対します。


ですので、署名もして参りませんでした。


ただただ、再考を願うばかりです。

正直、東日本大震災の時、自分なら絶対に津波にのまれなかったと思うし、


今回の韓国での船が沈没したケースでも、絶対に自分は死ななかったと思う。



なぜなら、自分は人一倍臆病者だから。



「その場にいてください」と言われて、いる訳がない。



そういえば、先日の松山を襲った震度5の地震のときも、揺れがおさまって、自分はすぐに外に出た。


真夜中とはいえ、外に出たら、自分以外に誰もいなかったので、びっくりした。



その話を知人にすると、むしろ外に出たほうが危ない、と言われた。なぜなら、10年くらい前の芸予地震の際、外に逃げた人がベランダの下敷きになって死んだから、と言われた。


そんなこと、百も承知である。


自分は逃げる際も油断なく逃げた。特に、電柱が倒れてこないかどうかは、確認した。


リスクを冒してでも外に出た訳は、家の中に閉じ込められる方が危ないと判断したから。






しかし、なぜ沈没していく船にとどまろうとしたのか…



たとえ、その場にいるように言われたとしても、なぜ言うことを聞くのだろうか?



すごく不謹慎だと思うけど、その判断力のなさは致命的だったんじゃないか?




今回の韓国の客船沈没の事故は、本当に残念である。


本当に事件の概要から対応まで、全て残念である。


船員がほとんど全員生還しているなんてのが、まさに愚の骨頂としか、いいようがない。





さて、学習塾の講師として、私はもっぱら英語を教えているのであるが、


生徒たちが仮に英語を知っていても、自分の命の守り方を知らなかったとしたら、なんのための英語か、ということになってしまう。




教育とは、なによりも、一人で生きていく力を養うことだと自分は思っている。



自分の子どもには、そういうのを親として教える必要があるのだが、


塾生にも、こういうケースにどう対応するべきか、注意を促す必要があるのではないか、と思った。



専門家じゃないから、適当なことは言えないが、


少なくとも、自分の命を守ることにおいて、敏感になれとは言いたい。




もうすぐ、GW、そして夏休み。


残念ながら、毎年、必ず誰かが死ぬことになっている。


いわゆる、死のルーレット、というヤツだ。


たえずルーレットが回っていて、針が止まった誰かが死神に命を奪われる仕組みだ。



うちの塾生には、宿題しろとか、そんなことよりも、なによりもまず、


生きて夏休みを終えるよう、伝えたい。