実は私は、黒猫のウィズ(クイズゲームの携帯アプリ)をかなりやっていて、レベルは163、それなりの実績だったと思います。



「だった」というのは、要するに、今日を最後にもうやめたのです。




やめるにはもったいないくらいのデッキがあったし、アカウントを売ったらそれなりのお金になりそうだったけど、


もう携帯ゲームからは手を洗いたいです。




ちなみに黒猫のウィズをやめた理由は、




1.作業感が半端なく、楽しめなくなったこと。


2.カードのインフレ化についていけないこと。しかも、ガチャでそれらが全然引けなかったこと。


3.ほしい合成素材がまるで人為的に確率をいじったかのように出なかったこと。




それらが大きな理由です。


一週間くらい前までは、まさかやめるなど考えもしなかったのに。




かなり強いカードを限界まで強くしたデッキを全て捨てるのは勇気が要りましたが、


それでも、今は解放感があふれています。


なにしろ400日以上も毎日毎日、24時間どの時間帯でもやってきましたから!




それにしても、黒猫のウィズの会社、コロプラの戦略というか、携帯ゲームの仕組みってすごいですね。


あれは、人を狂わします。




結局、あれだけの時間(とお金)をかけて何も自分への投資にならなかったわけですから、


それこそ麻薬みたいなものだったわけで、


もうこりごりです。



「課金制」ってのが人の心理をつくうまいシステムで、



仮に今後自分の子どもがゲームをするにしても、無料配布の課金制のゲームはやめさせて、


やはり従来のように、お金でゲームを購入したが最後、あとはゲームに余計な費用が発生しないようなゲームを子どもに買ってあげるべきです。



課金制ってのは、本当に、良くないです。猛毒だと思います。身をもって学びました。




で、昨日新しくアプリを導入しました。


宇宙旅行できたり、今いる場所から見える星を解説してくれるアプリですが、


こういう教育的なやつなんかを、時間が余ったときに時々やるようにして、


もうゲームからは手を引きたい、と思いました。




もっと早く気が付けばよかったけど、それができないところが、だめなところです…。

ペヤングやきそば、5万個自主回収…虫混入指摘 


「ペヤングソースやきそば」を製造する「まるか食品」(群馬県伊勢崎市)は4日、消費者から商品に虫が入っていたとの指摘を受け、11月10日にこの商品と同じ本社工場のラインで製造した約5万個を自主回収すると発表した。


 対象は「ペヤング ハーフ&ハーフ」の「激辛やきそば」と「カレーやきそば」の2商品で、賞味期限はいずれも2015年5月9日と記載されている。


 同社は「通常の製造工程上、混入は考えられないが、万全を期すため自主回収する」と説明している。問い合わせは、同社お客様相談室(0120・32・8189)。




以上。引用終わり。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141204-00050112-yom-soci



写真で見てみたところ、これはゴキブリだった。



さて、私はペヤングに同情する。


なぜなら、人が死ぬような猛毒が入っていたのなら別だが、ゴキブリくらいで騒ぐな、と言いたい。


企業に電話かけて文句を言うくらいならいいが、ネット上に写真つけて公開するなんて、ハッキリ言って、気に入らない。



話は変わるが、私はアニメ 『One Piece』 に出てくるサンジが好きだ。


なぜなら、海上レストランでスープに虫が入っていて苦情を言ってきた客を半殺しにしたからw


「食い物を粗末にするな」と言っていたが、


本当にその通りである。



私も、そういう客は半殺しにし…(以下略)




今から20年くらい前に中国に留学中だったとき、地元の食堂でいろいろなものを食ったが、料理の中に虫が入っていることは多々あり、それも一匹どころではなかった。


でも、決して苦情は言わなかった。なぜなら、火を通せば害はない、からである。


虫が入っていたくらいで食い物を捨てるなんて、バカげている…




それでも、ゴキブリは私もかなり抵抗あるのだが、


そうであっても、ネット上に公開することはない。


ペヤングの会社に電話かけて、ゴキブリ入っていたから注意してくださいね、と言うくらいだ。




塾生が時折床にお菓子なんかを落とすことがあるが、


3秒ルールくらいは伝える。


有害な最近が床にあるわけでもないから、3秒くらいなら大丈夫だよ、と。


もちろん食えと強制はしないが、


日本は食材を無駄にできない国なのだから、これは当たり前の教えだと思う。






PS


ゴキブリといえば、漫画『テラフォーマーズ』を思い出します。


1巻でゴキブリが3体でしゃべっているシーンがあるのですが、あれは完全にトラウマ級です・・・。


あと、エメラルドゴキブリバチは衝撃でした。虫を奴隷にする虫なんて…、アリにも確かそういう種類のやつがいたと思うのですが、それにしてもスゴイです。

先日、火曜日のことだが、頑張れ日本全国行動委員会の一員として、砥部町に中学歴史教科書の話をしに行った。


先月には伊予市にも行ってきて、おおむね反応は良かったのだが、今回の砥部町は、結構残念だった。




簡単に言うと、中学歴史教科書は東京書籍の本が採択されているのだが、


東京書籍の本がいかに偏っているかを伝える活動をしている。


私が思うに、東京書籍の本は子どもにとって、良くない教科書だと思っている。




仮に採択する権限のある人たちが東京書籍の本が良いと本気で信じているのなら仕方ないのだが、


そうでないのなら、東京書籍と別の自由社・育鵬社の教科書と比較してみてほしいので、


比較してくださいね、ということで、砥部町そして伊予市に行き、


市長・町長、議長、教育委員長、PTA会長にそれぞれ面会していただき、話をしている。




で、今回の砥部町では、伊予市と同じような話をしたのだが、残念な結果に終わった。




何が残念かというと、


結局、こちらが言った内容に関しては何もなく、


こちらが何者であるかということに関してレッテル張りが先にきたことだ。




要するに、こちらが保守的で、靖国参拝肯定で、軍国主義礼賛で、集団安全保障賛成で、戦争を美化しているなどと…。


教科書の比較について、何か意見を言われたわけではなくて、


こちらがどういう団体なのか、そこにツッコミが入って、


そこで思考停止。


あとは、歴史認識の違いについての意見の言い合いになり、終わった。




特に議長さんは、日本が悪いことをしたから戦争になったとか、真珠湾攻撃はテロみたいなものだとか、


いわゆる自虐史観に染まっているような感じで、


僕にとっては暴言とも取れる発言がいくつか出ていた。



そしてPTA会長さんからは、靖国参拝反対、他宗教の共同墓地を作る必要性を語っていた。




まぁ、彼らと歴史認識で議論するつもりはなくて、


きわめて当たり前なこととして言いたいのが、



教科書を選ぶ権限にある人は、せめて教科書を読んで、その違いを理解したうえで優れたほうを選んでほしいのだが、


なんか世の中にはそういう当たり前なことがなくて、適当に物事がすすんでいる気がしてならない。


子どもの教育という、非常に重要な責務につく人がそうなのだから、残念だ。


今使われている東京書籍という教科書が、いかなる教科書なのか、


どのくらい民意を反映している教科書なのか、


そのあたりをぜひ実感してほしいのだが…。




しかも、そういうことを一生懸命やっている人に対して、


やっていない人が内容もお構いなしに、さめた目で評価したりする。


そして、レッテル張り。




レッテル張りってのは、自分を守るために都合のよい手段ではあるかもしれないが、


こういうのは非常に残念なので、うちの塾生にはそうなってほしくないと思う。

結局、電話は修理が終わった。


最後はKDDIの人の修理の管轄ではなく、NTTの人がより建物の根本から修理をすることになった。



何がおかしかったかというと、塾の外で電話線が雑音を拾っているとのことで、修理屋さんが受話器を外の電話線から直接つないで、実際に雑音を拾っているのを聞かせてくれた。


要するに、塾の中が故障原因ではなく、塾の外に原因があったわけだ。



で、僕が大家さんに電話の修理を依頼したときに、なぜあれほどもめたのだろうか…?


結局僕に原因がなかったわけで、それならそれで、快く修理に応じなかったがためにもめたことで、謝罪の言葉の一つもあるべきだと思うが、


何もなし。



「塾の先生だからもっと誠実だと思った」


とか言っていたが、果たしてどちらが不誠実か。



相手は70歳を超えているようで、そんなご老人を相手に揉め事なんかしたくはない。


が、塾の先生をしていて、子どもは教育できるが、大人は教育できないということを実感する。



大人はもう、手遅れなのだ。




国は道徳の教科化に取り組み始めた。


反対する人が多い中、私は大賛成で、それは遅いくらいだと思っている。



それにしても、不毛な争いの後は、不快な気分しか残っていない。

前回の続き。



先週の土曜日に電話修理の工事をしてもらったのだが、大家さんが直接、工事してくれた人に状況を聞きたいとのことで、電話をかけた。


すると、どうも工事の仕方が良くなかったようで、大家の許可を得ずに屋根裏を見たとか、許可なしで配線をいじったとか、そういうことを修理してくださった業者さんを相手に言い始めた。



そんなこと言うくらいだったら、最初から自分で工事依頼すればよかったのに。



もちろん、僕はそうしていた。電話が壊れたから工事お願いします、と。


でも、大家さんは、それを僕にやれといったわけで、


しかも費用は全て僕が負担するような言い方をしてきたので、そこでかなりもめたのだが、


とにかく、大家さんは、こちらで修理せよと言った。




やってくれない以上、仕方ない。


で、工事を依頼して直してもらったら、


今度は大家の許可なしでやったというし、


なんだろう…、もう僕にはどうしていいかわからない。


あまりにも、正解を出すのが難しすぎる…。



そして、肝心の業者さんが指摘していた故障原因の、電話配線と電気配線の並行に関しては、


それにはまったく触れずじまい。


「お宅が呼んだ業者はそう言っているが…」と前置きし、


回線がADSLになっていることが原因だと思います、と言った。




「思います」って、なんだ?


推測で物を語るので、再度確認したら、また「思います」と。


業者以上の専門知識を持っているのとでも言うつもりだろうか?


業者だって、僕が自分に都合のよい業者を呼んだわけではなく、KDDIの業者に来てもらっただけなのだが。



結局、物件の設備不良である並行回線の話には一切触れることはなかった。



とにかく、もう自分は電話さえ普通に使用できる物件だったら何も文句はないので、


電話を使えるようにしてくださいね、あとはもう関係ないから


業者さんと話をつけて、僕は蚊帳の外にしてくださいと言って、


もう無視してもらうことにした。



正直もうこれ以上関わりたくない。




契約の範囲内で、電話が使えればいい。


電話が使えなければ、大家さんが修理を依頼すればいい。


そして、原因がわかり次第、費用の負担を誰がするかが決まる。


僕はそれだけのことだと思うのだが、



それだけのことが、ものすごく訳わからない話になっている…。




大家さんは大家さんで、今までこのようなトラブルになったことはないと言う。


僕は相当面倒くさい人のように語る。


塾の先生なら誠実だと思って…、とも言っていた。



何を言われても、別に構わない。



性格が歪んでいることは自覚している。


ただ、自分は自分にウソをつくことだけは絶対にしない。


このような主張を日本中のどこのだれがいつしても、


間違っていると思う以上、正すまでのことだ。




通常、人と争うときは自分に反省点のひとつやふたつは見つかるものだが、


今回の件に関しては、大家さんがが100%悪いと思っている。





以前、吉川英治が書いた宮本武蔵を読んでいて、


子どもの駄々は対応できるが、年配者の駄々は手に負えないというような記述を読んだことがあるが、


最近は年配者の駄々に手を焼くことが多くなってきたと感じる。


高齢化社会ってのは、年配者のムチャクチャな主張に付き合うことが多いのかもしれない。


モンスター年配者なんてのも、多くなってくるのかもしれない。




自分に足りないのは、ストレス耐性だと思う。

人生いろいろある。


それにしても、年をとるにつれて、人ともめるシーンが増えてきた気がする。


自分の性格が悪いからか、それとも、自分以外の人間に問題がありすぎるのか…。



私としては全力で後者だと信じるが、もしかしたら、両方かも。



前者だけってのは、ない。ありえない。




事の顛末は、


電話が使えなくなった。インターネットは使えるのに、固定電話が使えなかった。


受話器を取ると、ビーっと音がなって、電話をかけることも受けることもできなくなった。



で、大家さんに連絡した。



「電話口から電話までの故障ならもちろん自分で責任を負うので支払うつもりだけど、


電話口から外の故障なら、大家さんの負担で直してください」、と



そのことを伝える(納得してもらう)だけで、


いったいどれだけ俺は怒鳴っただろうか…。




もう、イヤ。



結局、大家さんが支払うことで収まったのだが、この当たり前の結論に至るのに、どれだけ面倒だったことか。


いや、実はまだ収まってはおらず、来週の月曜日に立会いのもとで修理業者に確認なんて言っているから、始末が悪いというか、往生際が悪いというか。




僕が呼んだ業者さんによると、


原因は、壁の向こうから天井にかけて電話配線と電気配線が平行で並んでいるとのことで、


そのために電気配線からノイズを拾ってしまうとのことだった。



実は今まで3回か4回、電話は修理依頼をしていて、


しかも最近の修理に関しては、自腹を切った。


自分の責任じゃないかと判断したから。




それが今回修理してもらったところ、このように原因を伝えていただいて、


いったいこれまでの修理はなんだったんだろうかと思った。




で、大家さんは支払うことには同意したのだが、


それでも、僕がほしいのは、誠実な謝罪だった。


一言それがあれば、もう良かったのに、



「払いますよ」と捨て台詞のように言っておしまい。



今まで大家さんには、お歳暮だのお中元だのを送り、


向こうからは何もいただくことはなかったもののしてきたが、


もうやめだ。



しかも、最初のうちは、全部こちらで払えというようなことを言ってきたし。




近い将来のことも見越して、塾の移転を真剣に考える契機になった。


次は、愛光と平成と青雲の中間距離あたりで、静かなところにしてみたい。


小さくていいから、ネコがかえるところにしよう…。




日本国交相「台風来ても中国船は上陸させない」、中国人「日本が沈没しても中国に移住させない」―中国ネット



2014年11月4日、日本の太田昭宏国土交通相は小笠原・伊豆諸島(東京)周辺で中国のサンゴ密漁船が急増している問題で、「台風20号の接近で中国漁船が小笠原諸島に避難してきた場合でも上陸させない」と述べた。この国交相の発言に対し、中国のネットユーザーは猛反発している。以下は主なコメント。


「日本が沈没しても、日本人は絶対に中国に移住させないからな」


「富士山が爆発しても、中国には来るなよ」


「公海と領海の区別もつかないのか、日本人は」


「日本と国交断絶しろ」


「日本人が本性を現したぞ」


「これぞまさに日本鬼子」


「人道主義って言葉も知らないのか」


「上陸させないって言ってるだけじゃん。着岸はいいんだよ」


「日本に旅行に行くヤツはバカだ」


「日本人は冷酷だ」


(翻訳・編集/本郷)




以上。引用終わり。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141105-00000033-rcdc-cn&pos=3





この問題に関しては、かなり頭来ている。



いつから日本は、領海侵犯を黙認するようになったんだ?


こんな大船団が密漁なんて、聞いたことないよ。



なぜ、日本人は怒らないのか。不思議でならない。


メディアも、国民を煽れとまでは言わないが、もっとヒートアップしてもいいんじゃないか。



はっきり言って、主権侵害、しかも領域侵犯に対しては、実力行使で構わない。


相手が大国であれ、なんであれ。


というか、こんなもん、世界じゃ常識中の常識。


モナコでもルクセンブルクでも、戦うはず。


国内法に則って、対処して欲しい。


あとは、海洋法裁判所へ提訴。





にしても、異常だ。


こんな隣人とは、価値観が180度違うので、友好なんかありえない。


もう、ありえない。ほんと、信じられない。




あろうことか、国あげて移民入れようとしてるんだもの、始末わるいわ。


こんな連中がわんさか入ってくるの、わかってないのかね。



移民受入だけは、なにがなんでも反対です。




なんというあさましい国。


昔は留学までしたし、好きな国だったが…、


今はもう、跡形もないくらいです。


あいた口が、ふさがらない…





道徳の教科化 価値観押し付けの不安拭えず 2014年10月24日(金)

http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201410240826.html




現在は正式な教科ではない小中学校の「道徳の時間」が2018年度にも、教科に格上げされることになった。他の教科と同様に、国の検定教科書を使い、授業は原則として担任が行う。評価制度も導入し、数値ではなく記述式にするという。子どもに特定の価値観を押し付けることになりかねず、なぜ教科化しなければならないのかという根本的な疑問が拭えない。再考を求めたい。


道徳の教科化は7年前、第1次安倍内閣の教育再生会議でも提言されたが、当時の中教審で慎重論が相次ぎ、見送られた経緯がある。ところが今回の中教審は目立った異論がなく、教科化を認めた。社会情勢や教育環境が大きく変化したわけではない。教科化に賛成する委員が多数を占める有識者会議が、検定教科書と評価の導入を盛り込んだ報告書を作成したため、中教審が審議する前に教科化が「既定路線」になってしまったからだ。


集団的自衛権行使容認を閣議決定したときと同様、有識者会議や懇談会の答申を「お墨付き」にする手法だ。自動的に政府が望む結論が導かれる仕組みは、国民を軽視しているとしか思えない。現在「教科外活動」の道徳は検定教科書がなく、教科書会社の副読本や独自につくった資料などが使われていることになっている。


でも現実には、文部科学省が今年4月に作成配布した道徳教材「私たちの道徳」が全国の小学校の約93%、中学校の約83%で主な教材として使用されている。教科化されれば、新しい検定教科書を使わざるを得なくなり、授業の幅を狭めることになろう。一


方で、答申は「特定の価値観を押し付けることは、道徳教育に全く反する」「多様な価値観と向き合い、考える力が大事だ」と強調する。教科化は、こうした精神と明らかに逆行する。矛盾していると言わざるを得ない。


その教科書も、検定基準を細かく規定すれば「国定教科書」という批判を招きかねない。逆に緩やかすぎると極端な主張の教科書が出てくる可能性がある。「基準」づくりは容易ではあるまい。


最大の問題は、子どもの心の内面をどう評価するかだ。こちらも基準はなく、教員の価値観で左右される恐れがある。そして子どもの側も「迎合」する可能性がある。「多様な価値観と向き合う力」が大事なら、そもそも評価などできないはずだ。週1時間の授業数は変わらない。となれば、今回あえて教科化を進める文科省の意図がまったく理解できない。


万が一、安倍晋三首相が唱える「愛国心」教育を押し付けるための布石なら、断固として反対する。




以上。引用終わり。


教育者の尾木とかいう人も、確か道徳の授業に反対していた。結構、反対する人は多いのかもしれない。


で、愛媛新聞だけど、


簡潔に言って、おかしいのは、愛媛新聞。で、社説を書いた人が非常識。



社会の指導要領には、次のように書いてある。



第1 目標 社会生活についての理解を図り,我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を育て,国際社会に生きる平和で民主的な国家・社会の形成者として必要な公民的資質の基礎を養う。



つまり、

愛国心を教えることは、何も悪いことではなく、むしろ国の方針そのものであり、


もっと言えば、たんなる常識だ。


その常識がない愛媛新聞は、ヤバイとしか言いようがない。




これから抗議するが、


多分、大人になったら、もう何を言っても無駄だと思うが、


再考するのはあなたの方で、県民にアホな考えを垂れ流してほしくない。



いったい、たとえばこういう人が親をやっているとして、


子どもたちに家族を愛するような価値観は伝えないのだろうかと、思ってしまう。


おかしいったら、ありゃしない。

▼メディアの質問に答える橋下市長H26/10/21



2ちゃんねるより抜粋

238 :名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/10/23(木) 01:50:17.55 ID:HoFEKUo70
本当に怖い話
~大阪編~

①国会議員に言え!!と喚いていたのに、一日経つと、なぜか政党が引き受けていたことになっているw
②政治家に立候補しろよ!!とすごんでいたのに、一日経つと、橋下自身も引き受けたことになっているw
③交換条件付きながら、ザイニチ問題に取り組むことになっているw
(政策は自分が問題に思ったことを自由に扱えばいいものなのに、交換条件ってどういうことですか??橋下さんw)
④大阪市長であるが、市長としての振る舞いに話題が及ぶと「じゃあ落選させろ」と喚くw
(落選もなにも、まず辞職してくださいよwそしたらお望み通りかもしれません)



以上、抜粋おわり。


「見ている人は何とでも言えるでしょうけど…、自分がやってみたらわかりますよ」と市長は言っているが、これは、叩かれたプロ野球選手が「じゃあ自分で打ってみろ」と言ったり、批評された映画監督が「じゃあお前が撮ってみろ」と言う位に馬鹿げている、と思う。


また、ビックリしたのが、上記動画11分を回った位のセリフ。


「市長でもあり、国政政党の代表でもありということで、直接こういう話を聞いたと、責任の所在が僕に移ったということが、昨日の面談の一番重要なところです」


と言っていたが、果たしてそうだったか?


もしもすぐ横に桜井会長がいたら、黙って聞いているだろうか…。



「維新の会の代表として、しっかり意見を聞いたわけですから…」


とも言っていたが、自分には、「差別主義者」というレッテル貼りをしてはいたが、意見を聞いたようには全く映らなかった。



自分にとっては、桜井会長は口は悪いが、言っていることは筋が通っていると思う。

また、橋下市長は、口が悪いが、かつ言っていることも二枚舌、という気がした。


▼10/20 橋下徹vs在特会・桜井誠


まずは、残念。もっと建設的な意見交換が聞きたかった。双方相手に対するリスペクトがなさすぎる。議論する相手に対して礼儀がないと、例えどんな高尚な議論が交わされたとしても、見苦しくて見ていられない。

見解の一致と不一致、それを確認し、不一致については一致できそうなところを探る、そういう議論なら建設的だったと思うが、終始噛み合わなかった。というか、何をしたかったのだろうか。そもそも内容以前の問題で見苦しかった。結構期待していただけに残念だった。

桜井会長の残念な点は、そのリスペクトがない点。あとは、政治に興味がないという発言は、しないで欲しかった。興味のない者が運動やっているというのも冒涜ではないだろうか。もっとも、政界には興味がないという意味だと思われるが。

橋下市長も、桜井会長に対して失礼(桜井会長以上かも?)。そして終始論点ズレ。ヘイトスピーチを規制する側が、何がヘイトスピーチか言うべきだった。民主主義なんだから選挙に訴えて言え、文句があるなら当選してみろというのは、あんまり。拉致被害者家族にも同じこと言えるだろうか?自分で世の中変えられると思ってるからこそ市民運動やっているわけで、そういう人を嘲弄するような態度はよくない。表現の自由の範囲内でデモをやれ、とは言うものの、どこが表現の範囲内に収まらないのか、極力冷静に返すべきだったし、橋下市長ならそれが出来たと思う。


「日本人を一括りにして、誹謗中傷をやるから、叩き返しているだけだろうよ。」

「日本を少しでも良くしたいと願う。あるいは、日本に対して冒涜行為を働く、暴言を働くような人間がいたら、怒って当たり前と違うか?」



このあたりの桜井会長の怒りは、自分には理解できるし、正しいと思う。が、やはりやり方というのがあって、在特会は主張以前に人間性がイヤだという点で、みんな引いてしまうと思う。

キング牧師とマルコムXは、主張は同じだったが、方法が異なっていた。後世での評価が大きくことなるのは、方法論が違っていたからだと思う。在特会も、残念ながら同じ理由で人々の指示を得られないのではないか。



さて、この議論は、ヘイトスピーチの定義と、憲法21条の保障する表現・言論の自由との兼ね合い、それを明白にしなくては先に進めない。


民主主義の根幹をなす価値である表現の自由であるだけに、それを制限する側にはそれ相応な法的根拠が必要であるが、それを明確にしなくてはならない。私としては表現の自由に最大限の尊重がなされるべきであり、在特会の主張に聞き苦しい点はあるものの、その規制に関しては非常に難しいのではないかと考えている。

例えば、「ゴキブリ」とか、「ゴミ」とか、そういう形容は良くないように思われる。しかし、主張の大筋は、憲法で認められた表現の自由の範囲内であることは間違いないだろう。仮に、「朝鮮人は半島に帰れ」というのがヘイトスピーチで規制の対象となるのであれば、「米軍は沖縄から出て行け」だって取り締まらなくてはならない。そんな規制が許されるとしたら、それはまさに広汎かつ漠然とした規制となり、表現の自由に対する重大な抑止効果を生んでしまう。

例え自らに都合の悪い意見があるとしても、それに反論できる環境がある方が、事前に規制された表現の自由よりもマシじゃないかと私は思う。