「侵略を美化している」

「日本の植民地政策でアジア各国へ多大な迷惑をかけた」

こういう嘘を真実と思い込まされて育つと日本という国が嫌になってしまう。

しかし嘘は所詮、嘘。

この嘘を日本に押し付ける国は支那、朝鮮、ソ連とそれに配慮した国。

そして日本人の中にも日本を売るように、この嘘を吐き続ける人間がいる。

しかし、実際は全く違うということを日本人は知るべき。

たとえ日本人は真実を知らなくとも、当時を知るアジアから真実を語っている。

そこには過去の日本人に対する感謝の言葉とともに今の日本人に対する不甲斐なさや苛立ちが言葉になっている。

我々はいま一度彼らの言葉に耳を傾けたい

昭和63年8月21の朝日新聞に

「生き残ったマレーシア人五人が来日」「侵略の犠牲知ってほしい」「日本軍が行った華人虐殺」という見出しが掲載され、「村は燃え上がり血の海になった。泣き叫ぶ弟を日本兵は刺した。一族二十六人が殺され、自分も刀傷…」という記事が載った。

日本語の読めるラジャー・ダト・ノンチック氏は目を通している途中でゲラゲラ笑い出した。

「マレーシア人は多民族国家であって、マレー人と華人の比率は45:35だ。華人は現在も経済界の実権を握っている。だからマレー人の反華人感情は根強い」

「戦争中には華人とマラヤ共産党を中心にしたマラヤ人民反日軍がゲリラ活動をしていた」

「日本軍は当時マレー人を優遇し、華人の抗日ゲリラに対しては国際法でも認められている軍事行動の掃討作戦を展開した」

「容共勢力は日本にもある。日本の左翼イデオロギー活動分子とマレーシアの容共華人組織が連動して朝日新聞を舞台に反日・反マレーシア活動を続けているんだよ」

このラジャー・ダト・ノンチック氏(マレーシアの元上院議員)の「日本の人たちへ」にはこのようにある。

「私たちアジアの多くの国は、日本があの大東亜戦争を戦ってくれたから独立できたのです」

「日本軍は、永い間アジア各地を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信とを与えてくれました」

「永い間眠っていた“自分たちの祖国を自分たちの国にしよう”というこころを目醒めさせてくれたのです」

「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました」

「敗れて逃げてゆく英軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました」

「しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ青少年の教育をおこなってくれたのです」

「私もあの時に、マラヤの一少年として、アジア民族の戦勝に興奮し、日本人から教育と訓練を受けた一人です」

「私は、今の日本人にアジアへの心が失われつつあるのを残念に思っています」

「これからもアジアは、日本を兄貴分として共に協力しながら発展してゆかねばならないのです」

「ですから、今の若い日本人たちに、本当のアジアの歴史の事実を知ってもらいたいと思っているのです」

「先日、この国に来られた日本のある学校の教師は、「日本軍はマレー人を虐殺したにちがいない。その事実を調べにきたのだ」と言っていました」

「私は驚きました」

「日本軍はマレー人を一人も殺していません」と私は答えてやりました」

「日本軍が殺したのは、戦闘で戦った英軍やその英軍に協力した中国系の抗日ゲリラだけでした。そして、日本の将兵も血を流しました」

「どうしてこのように今の日本人は自分たちの父や兄たちが遺した正しい遺産を見ようとしないで、悪いことばかりしていたような先入観を持つようになってしまったのでしょう」

「これは本当に残念なことです…」

楊應吟(ようおうぎん)氏の著書「素晴らしかった日本の先生とその教育」にはこのように書かれている。

「中国には日本から多数の民間企業が投資進出しており、中国は技術や資金など多くのものを日本から得ています」

「しかし日本に対しては反日から親日に変わることは絶対にありません」

「かつて2005年に「対日戦勝六十周年」のキャンペーンを全中国で反日デモを行い日本大使館や日本領事館、日本料理店や日本企業に暴力行為を行いました」

「日本政府は中国政府に対して抗議を行いましたが、中国外交部は逆に「日本の対応に問題がある」として謝罪と弁償を拒否しました」

「これで中国という国が自分が悪くても絶対に謝らない国であることがわかったであろうと思います」

「謝れば悪いことをしたと認めることになるため、中国人は嘘をついてでも、弁解や言い訳をします」

「これが日本と中国の決定的な教育の違いです」

「それでも日本が必要のない謝罪を繰り返すのには全くわけのわからない怪訝さを感じます」

「日本は終戦まで台湾を統治していましたが、その間に日支事変、大東亜戦争が勃発しましたが、日本軍の一員として戦地に赴いた台湾人は二十万七千余人、元日本軍人として戦死した台湾の英霊は二万八千柱もありました」

「私たちはかつては命を懸けて戦った兄弟であり、台湾には親日家が大勢おりました」

「日本の統治時代についてすべてが正しかったとは言いませんが、功績について、良かったと我々はきちんと評価をし、感謝しているのです」

「しかし、今の日本はそうした自国の歴史も親日国台湾のことも知らず、特定アジアのご機嫌をうかがうようなことばかりしています。一体、日本はどうしてしまったのでしょうか」

「中国の潜水艦が領海を侵犯しても抗議らしい抗議が出来ず、海底油田も中国の思うがまま、拉致問題も北朝鮮に対して有効策を持ちません」

「昔の日本であれば、中国や北朝鮮のこのような行動を絶対に許してはいなかったでしょう」

「日本は、かつては我々を教育し、護ってくれ、国土こそ小さくともアジアの大国として欧米に対してあれだけ戦い、結果としてアジア、アフリカ諸国を独立に導きました」

「あの強かった、毅然とした武士の国、あの素晴らしかった日本はどこへ行ってしまったのでしょうか…」

<以上>

日本は戦争を美化しているというが、誰も美化などしていない。

それは美化ではなく“真実”。

我々日本人は先人たちを誇りに思うべき。

上に記した台湾とマレーシアの当時を知る方々がこのように言っている。

それとともに、“日本人はどうしたのだ?”と忠告もしてくれる。

「友好」というのはこういう国の人達のことをいう。

これは今から10年も20年も前の彼らの言葉ですが、今なお状況は変わっていない。

今の日本をみて何か感じないか?

日本の良さ、日本人の心を失っているのではないか、と感じることはないか?

我々の先人たちは立派。

我々子孫のために、その祖国日本を護るために尊い命をも捧げて、我が国を護ってくださった。

このことを知れば必ずや先人たちには頭が下がり畏敬の念を抱くに違いない。

そして、アジアの若い青年たちとともに彼らの国を白人の植民地支配から解放するために、日本の青年たちも夢中になって戦った。

正々堂々と。

その勇気と、強さと、あきらめない精神力と、ひたむきさと、まじめさと、正直さと、明るさに、アジアの多くの青年たちは日本人を信頼し、尊敬できたからこそ、ともに命をかけて戦った。

彼らがなぜ日本に感謝するのか、その意味をしっかりとかみしめたい…

(ラジャー・ダト・ノンチック氏)

かつて日本人は清らかで美しかった。

かつて日本人は親切でこころ豊かだった。

アジアの国の誰にでも自分のことのように、一生懸命つくしてくれた。

何千万人もの人の中には少しは変な人もいたし、怒りんぼや、わがままな人もいた。

自分の考えをおしつけて、いばってばかりいる人だっていなかったわけじゃない。

でもその頃の日本人はそんな少しの嫌なことや不愉快さを越えて、おおらかでまじめで希望に満ちて明るかった。

戦後の日本人は自分たち日本人のことを悪者だと思い込まされた。

学校もジャーナリズムもそうだとしか教えなかったから、まじめに自分たちの父祖や先輩は悪いことばかりした、残酷無情なひどい人たちだったと思っているようだ。

だからアジアの国に行ったら、ひたすらペコペコあやまって“わたしたちはそんなことはいたしません”と言えばよいと思っている。

そのくせ経済力がついてきて技術が向上してくると、自分の国や自分までが偉いと思うようになってきて、うわべや口先では済まなかった悪かったと言いながら、ひとりよがりの自分本位の偉そうな態度をする。

そんな今の日本人が心配だ。

本当にどうなっちまったんだろう日本人は。

そんなはずじゃなかったのに。

本当の日本人を知っているわたしたちは、今はいつも歯がゆくて悔しい思いがする。

自分のことや自分の会社の利益ばかり考えて、こせこせと身勝手な行動ばかりしているヒョロヒョロの日本人はこれが本当の日本人なのだろうか。

自分たちだけで集まっては、自分たちだけの楽しみや贅沢にふけりながら、自分がお世話になって住んでいる自分の会社が仕事をしているその国と国民のことを、さげすんだ眼で見たりバカにしたりする。

こんなひとたちと本当に仲良くしてゆけるだろうか。

どうして、どうして日本人はこんなになってしまったんだ。

(ラジャー・ダト・ノンチック「日本人よありがとう」より)
反原発を掲げるゴミ政党等が乱立している。

そして、連中が実は支那や北朝鮮の原発および核兵器を容認していることは、ほとんど知られていない。

日本共産党は、かつて、ソ連の核兵器保有や核実験、抑止論に基づく軍備拡張を擁護していた。

次ぎに紹介する上田耕一郎(不破哲三の実兄)の論文は、前年のソ連による核実験再開を受けて、それを擁護するために書かれたもの。

1963年10月『前衛』上田耕一郎「2つの平和大会と修正主義理論」(上田耕一郎『マルクス主義と平和運動』大月書店1965年に所収)

極度に侵略的な戦略を完成しようとするアメリカの核実験にたいして、ソ連が防衛のための核実験をおこなうことは当然であり、世界大戦の勃発を阻止するための不可欠の措置にほかならない。

世界の平和勢力の闘争が、帝国主義の戦争計画を挫折させうるまでに強大となるまでの一定の歴史的期間、戦争を防止するためにも、正しい平和共存を実現する前提条件をつくりだすためにも、社会主義の防衛的軍事力は、帝国主義の侵略的軍事力に対抗するために必要なかぎり、ひきつづき発展させられなければならない。

「核兵器対人類の対立」という現実を理由に、この努力をいっさい否定することは、現実には平和のとりでとしての社会主義と人類を無防備のままで帝国主義の侵略にさらされることを意味している。

<以上>

北朝鮮がミサイル発射実験を強行したが、社民党は、北朝鮮による核実験やミサイル発射実験を自衛権の行使として非公式だが、肯定している。

拉致はでっち上げだ、などといっていた頃と何の変わりがない。

平和主義の宣伝文句で隠された左翼の本質を、一人でも多くの人に思い起こしてもらいたい…

多分
上原 良司

1942年慶應義塾大学経済学部入学。翌年、学生徴兵猶予停止により陸軍に入隊。

神風特別攻撃隊員として1945年5月11日に沖縄の米軍機動部隊に突入し戦死。享年22歳。

「所感」という題名の遺書を残しており、戦没学生の代表格とされ度々取り上げられている。

遺書の一部で、原田氏と同じように「パイロットは機械に過ぎぬ」と表現されている。

特攻隊のパイロットのみを指していることであり若干のニュアンスの違いはあるが、以下の内容である。

「空の特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人がいった事も確かです。 操縦桿をとる器械、人格もなく感情もなくもちろん理性もなく、ただ敵の空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬものです。理性をもって考えたなら実に考えられぬ事で、強いて考うれば彼らがいうごとく自殺者とでもいいましょうか。 精神の国、日本においてのみ見られる事だと思います。 一器械である吾人は何もいう権利はありませんが、ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を 国民の方々にお願いするのみです」

神風特別攻撃隊とは戦争末期に日本が編成した決死隊の通称であり、爆弾を積んだ飛行機で敵艦船に突っ込み、損害を与えることを目的とした部隊である。

終戦までに数多くの若い隊員達が、国のため家族のため、海へと消えていった。

有名な出撃前の特攻隊員の写真。

中央の犬を抱く荒木幸雄伍長はこの時17歳であった。

dizzさんのブログ-荒木幸雄伍長.jpg