上原 良司
1942年慶應義塾大学経済学部入学。翌年、学生徴兵猶予停止により陸軍に入隊。
神風特別攻撃隊員として1945年5月11日に沖縄の米軍機動部隊に突入し戦死。享年22歳。
「所感」という題名の遺書を残しており、戦没学生の代表格とされ度々取り上げられている。
遺書の一部で、原田氏と同じように「パイロットは機械に過ぎぬ」と表現されている。
特攻隊のパイロットのみを指していることであり若干のニュアンスの違いはあるが、以下の内容である。
「空の特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人がいった事も確かです。 操縦桿をとる器械、人格もなく感情もなくもちろん理性もなく、ただ敵の空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬものです。理性をもって考えたなら実に考えられぬ事で、強いて考うれば彼らがいうごとく自殺者とでもいいましょうか。 精神の国、日本においてのみ見られる事だと思います。 一器械である吾人は何もいう権利はありませんが、ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を 国民の方々にお願いするのみです」
神風特別攻撃隊とは戦争末期に日本が編成した決死隊の通称であり、爆弾を積んだ飛行機で敵艦船に突っ込み、損害を与えることを目的とした部隊である。
終戦までに数多くの若い隊員達が、国のため家族のため、海へと消えていった。
有名な出撃前の特攻隊員の写真。
中央の犬を抱く荒木幸雄伍長はこの時17歳であった。

1942年慶應義塾大学経済学部入学。翌年、学生徴兵猶予停止により陸軍に入隊。
神風特別攻撃隊員として1945年5月11日に沖縄の米軍機動部隊に突入し戦死。享年22歳。
「所感」という題名の遺書を残しており、戦没学生の代表格とされ度々取り上げられている。
遺書の一部で、原田氏と同じように「パイロットは機械に過ぎぬ」と表現されている。
特攻隊のパイロットのみを指していることであり若干のニュアンスの違いはあるが、以下の内容である。
「空の特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人がいった事も確かです。 操縦桿をとる器械、人格もなく感情もなくもちろん理性もなく、ただ敵の空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬものです。理性をもって考えたなら実に考えられぬ事で、強いて考うれば彼らがいうごとく自殺者とでもいいましょうか。 精神の国、日本においてのみ見られる事だと思います。 一器械である吾人は何もいう権利はありませんが、ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を 国民の方々にお願いするのみです」
神風特別攻撃隊とは戦争末期に日本が編成した決死隊の通称であり、爆弾を積んだ飛行機で敵艦船に突っ込み、損害を与えることを目的とした部隊である。
終戦までに数多くの若い隊員達が、国のため家族のため、海へと消えていった。
有名な出撃前の特攻隊員の写真。
中央の犬を抱く荒木幸雄伍長はこの時17歳であった。
