協奏曲っていう存在が特別
松永:
ピアノ以外では(楽器は)全然やってなかったっけ?
市川:
(中学校の)吹奏楽部でホルンは・・・
松永:
そうか、やってたって言ってたね。でも楽器や編成が違ったりした時に、当然ながら先輩から「こうやれ」って言われたから、ってのもあったりするんだけど、どうだった?
謝花:
後、吹奏楽でやっていた事とかをピアノの方にフィードバックするとかは・・・?
市川:
そこまでは突き詰められていなかったですね(笑)。
松永:
部活だったしね。
謝花:
そうかー。もっとも、結局それ(吹奏楽部)でピアノの道を選んだという訳ではなかったでしょうからね。
市川:
うーん・・・でもずっとアンサンブルはやって来ました。3歳の時から、通っていたからヤマハでリズム楽器やエレクトーンでのアンサンブルの機会が沢山ありましたし、小学生の間も週1回ピアノレッスン、1回はグループレッスンというコースに行っていて。気付いたら誰かと一緒に演奏するという環境がそばにありましたね。
松永:
それが現在の活動に繋がっていると。
市川:
そんな気はします。それで、合唱の伴奏とか、他のアンサンブルも自ら手を挙げてしていましたしね。
松永:
そういう点でも、今回こういう曲を選んだっていうのは、その流れに乗っている気はするよね。
市川:
(オーケストラに)混ざって演奏していきたいなと。
謝花:
そうですね、2楽章は特にそうですけど、どの楽章も室内楽的というか、ソリストとオーケストラが対峙するというよりはアンサンブルする系統の曲調ですし。
松永:
(初見大会の)ベートーヴェン4番も難しかったなぁ。1日で終わるのはもったいないくらい、練習をやったよね。
全員:
(笑)
松永:
1日だけのためにアレだけ譜読みを頑張ったのは初めてだったし(笑)。
謝花:
しかも確かあの日、暗譜で演奏されていましたから、それで後のソリスト2人(久津那さん、伊藤さん)が凄いビビったんですよね。僕も「マジで!?」って思った。
市川:
何か協奏曲っていう存在が特別で、一生に1度できたら良いかなと思っていたんですけど、それがまさか、もう叶ったっていうかね。
謝花:
多分、どの楽器もそうでしょうけど、ピアノで、ましてや室内楽をメインにされていたら、確かに協奏曲はね・・・縁遠いって訳ではないでしょうけど、なかなかね。
市川:
そうですよね・・・。
さっきも言いましたけど「(私で)良いんですか?」っていうのが来る感じで・・・
松永:
世の中には・・・
松永・市川:
たくさんピアニストがいますけど良いんですか?って(笑)。
謝花:
元々僕自身は(市川さんと)直接的な接点がなかっただけじゃなくて、ピアニストとの接点自体が少なかったんです。
で、初見大会の企画をする際に松永さんに「誰か(初見大会でソリストをやってくれそうなピアニストが)居ませんか?」ってとこから始まって・・・。
松永:
酷い話だよね。しかもオレ自身が未来ちゃんの演奏をちゃんと聴いた事ないのにさ(笑)。それでも誘うっていうね。
松永:
元々(自身に知り合いが多い)龍谷大学のアンサンブルで伴奏しているって聞いたから、なら(誘おう)って。
市川:
そこからよくココに繋がりましたよね。
松永:
うーん、何でだろうね?よく分かんないけど(笑)。
謝花:
世間狭いですねぇ(笑)。
松永:
何となく途切れず、たまにお見掛けして「あ、この間はどうも」っていうのもチラホラあったりね。
謝花:
それが無かったら初見大会もそうでしたし、この話も絶対無かったですよね。
松永:
本当に偶然だったよね。
市川:
そうですねー。
謝花:
その時(初見大会)の話を聞いた時に、さっきも仰っていましたけど「良いんですか?」ってのもあったとは思うんですけど、やっぱり、(1日で協奏曲を通すという)とんでもない話だと思うんですけど、その時はどう思われましたか?
市川:
とんでもないとは思わなかったですね。自分目線でただただ嬉しいっていう感じでした。それが実現できるのかとか、オケとの兼ね合いとかに考えが及ぶ前に、私がオケと協奏曲ができるという事に圧倒的に心をつかまれたので。
松永:
確か(当日は)別の仕事が入ってたよね。
市川:
そうですね。
全員:
(笑)
謝花:
最初「(別の仕事を)蹴ってまで来た」って仰ってて凄いビックリしたんですよね。申し訳ないって思いながら・・・
松永:
でも「『そんな機会ないから(協奏曲を弾きに)行ってらっしゃい』って言ってもらいました」って言ってて、それなら頑張らなきゃなと。軽い気持ちで誘ったけど、まぁやっぱりそういう事にはなるよなと。
市川:
でも軽くは受け止められないというか、やるからには・・・
松永:
そりゃそうだよね。
市川:
でもお誘いが無かったら、私がその後に協奏曲をするのかな?って思っていました。この機会を逃したら・・・。
以前に、何十万を払ったら一楽章のみだけれどプロオケと演奏できるっていうお話あったんですが、その時は「その何十万でどこかの講習会に何日間か行ける」って考えちゃって。今思えば1楽章でも価値はあったと思うんですけど、逃してしまって。
松永:
その意味では(初見大会から続く今回の演奏会は)ピアニストとして結構なターニングポイントになっちゃったんだね、そういう意味ではね。協奏曲をあんまりやらないピアニストになるのかなと思ってたのに、そういう方向に行かなくなっちゃった、みたいな。
全員:
(笑)
松永:
モーツァルトが舞い込んじゃったしね。でもあの時モーツァルト をやれたのはとても良かったと思う。やっぱり協奏曲の本番をやれたという意味でも大きいし、編成も(今回と)似た感じだし、同じようにピアノの方が分が悪いというか、その時には古楽器で音量が無かったから、そういった面でも色々大変だったと思うんだけど。オレも聴きに行って、凄く良かったと思うし。
いやー、しかし良く2曲やったなーって思ったよね。
市川:
意地ですね(笑)。
松永:
意地だねー。だけど2曲できて良かったよね。1曲だけよりも良かった感じはした。
市川:
音が広がったっていうか。
松永:
(モーツァルトの19番と21番という)ちょっとタイプの違う2曲だったし、モーツァルトってのが良かったよね。何となく(メモ・フローラに)繋がりそうな雰囲気があるしね。
音楽って全部がアンサンブルだと思う
謝花:
これから先、これ(メモ・フローラ)をやられた後に・・・もちろんこの演奏会が1つの区切りになるとは思うんですけど、その先にどういう未来像というか、どういうピアニストになりたいっていうのはありますか?もちろん、はなりとか、所属されている活動もあるとは思うんですけど。
市川:
難しいですね・・・絶対聞かれるだろうなとは思っていたんですけど。
松永:
まぁそうだよね、聞かれるよね(笑)。
市川:
軸にしていきたいのは室内楽です。どんな曲を演奏するにしても音楽って全部がアンサンブルだと思っているんで、それを聴かせられるピアニストになりたいと思っています。ただ、室内楽をメインにと思っていた私に、協奏曲のソリストとしてお声がかかったり、思いがけない方との共演、CDリリースや、着物で演奏することや(笑)、自分では想像もつかなかった様々なかたちでの活動をできているので、自分で可能性の幅をせばめることなく、音楽を続けて行きたいです。
あと演奏面での課題は、アンサンブル力を活かしつつも、自分がけしかけていくのを出していけたら良いなと。
松永:
そうだねー。もっとやっちゃっても大丈夫だと思うし。初見大会の時はその日きりだったから限界はあったけど、今回は後2回リハもあるしね。
謝花:
ですね。それにオケも付いて行きますからね。付いて行こうとします。もししなかったらキレて良い(笑)。
松永:
コンミス(久津那さん)も頼りになるしね。
謝花:
最後になりますが、演奏会に向けてメッセージをお願いします。
松永:
殆どの人が(メモ・フローラを)生で聴くのは初めてだと思うんだよね。で、予習して来てくださる方もいらっしゃるとは思うけど、そういう方を含めて聴きに来てくれた方が「あ、凄く良い曲だな」と思って欲しいのは一緒だと思う。
で、これをきっかけで吉松さんの曲がもっと聴かれたり、あるいはこの曲がもっと再演される機会が増えたら嬉しいし、今回このオーケストラのコンセプトが「ソリストのしたい曲をする」っていうのが1つある中で、まさにそういう選曲になったと思うし、コンサートの最後にするのはラフマニノフだけど、コンサートそのもののメインディッシュに近いのは協奏曲だから、そういった意味では僕の方も気合いが入っていますね。
市川:
diversEnsembleというオケ・趣旨へのファンもできてほしいなぁと。「ソリストのしたい曲をする」って、オケ側の充足感とか難易度とかとの兼ね合いもあって簡単ではないでしょうけど、それを実現させようとしてて、しかも一回目からこの選曲って面白い事やってるやん、って。このコンセプトに共感して進んで参加してくれたメンバーが集まっていると思うので、この輪が広がってほしいです。
松永:
それで応援に来てくれる事で2回、3回と繋がる可能性もあるしね。やっぱり、聴きに来て貰ってナンボやと思うんで、これを聴き逃さず是非ともね。
市川:
私たちならではの音楽を聴かせられるようにしたいですね。
謝花:
今日はありがとうございました。
松永・市川:
ありがとうございましたー。
2017年12月26日、グランフロント大阪 Mercedes me内のカフェ “DOWNSTAIRS COFFEE”にて対談。
聞き手 / 文字起こし:謝花 旭(Akira, Syahana)
diversEnsembleの主宰/プロデューサー。
兵庫県出身。13歳でホルンを始め15歳でオーボエに転向、広島大学理学部在学中より学内外の団体に積極的に出演。帰郷後、大阪市内のソフトウェアベンダーにてエンジニアとしてシステムの研究・開発に従事する一方、アマチュアのオーボエ奏者として京阪神にて活動している。オーボエを下田琢己、中江暁子各氏に師事する他、広田智之、カレフ・クリウス氏をはじめ国内外の奏者より薫陶を受ける。