其の4の続き
昼食から戻り、一休みして
13:30 4回目のドルフィンスイムに行きました
道雄さんが監視船に乗るため、シリウスさんの船です
まずは、御蔵島の大自然から
次にイルカの写真です
この旅でのデジカメ写真は以上![]()
これでドルフィンスイムはすべて終了です![]()
あとは、ニコノスVで撮った写真があります
機会があったら後日アップします![]()
終了後、民宿に戻り、道具を片付けて、お風呂に入りました![]()
そして、出掛けタイム
稲根神社は、来る度にお参りしています![]()
バイキング号漂流事件に関連したものです
1863年6月4日、真夜中の濃い霧と梅雨・・・。そして川の様に早い黒潮の流れ。事件は御蔵島の現在の港がある付近で起こりました。明け方のこと・・・。霧の立ちこめる村のすぐ下の海に巨大な黒船が横付けするように泊まっていたのです。それがアメリカ船籍バイキング号でした。生麦事件の話しも島には伝わっており、外国船が小笠原の無人島を占領して報復に来るという噂も流れているときでした。その時の島の人々は黒船の異様な姿に驚く同時に恐怖を感じたに違いありませんでした。しかし、しばらくするとその甲板上に横浜で見たことのある中国人を発見します。見ぶり手振りのやりとりの末、その黒船は軍艦ではなく、商船であり、座礁していることが判明したのです。当時アメリカはゴールドラッシュ。採掘作業の為にサンフランシスコでは低賃金の中国人労働者が必要とされ、ヴァイキング号は香港で労働者を雇い入れサンフランシスコに帰る途中だったのです。そして太平洋で最も過酷といわれる御蔵島-三宅島の海域での遭難の結果、御蔵島へ座礁したのでした。
救助を求めてきた船員達に対して島民は決死の覚悟で海に飛び込み、救助の艀をバイキング号に近づけようとしますが、救助しに来た島民に米国人船長が短銃を数発発砲するなど一時は騒然とします。それでも御蔵島の人々は人道的立場から当時60戸あった家の内,30戸を提供し全員を救助しました。当時の村民は約250名だったのに対して、漂着した中国人渡航者は460名、米国人船員は約20名でした。しかしアメリカでは近年までこの船は南北戦争中に南軍に拿捕されてしまって行方不明になっているとされていました。高橋基生博士の調査により、ニューベッドフォード市の船だと分かり、その後ニューベッドフォード市より感謝の記念碑が御蔵島に贈られ当時のバイキング号の錨と共に設置されています
この旅の安全と、今まで見守っていただいたお礼をしました![]()
ツツジが綺麗に咲いていました
癒されますね~![]()
御蔵島ヘリポートです
奥に見えるのが三宅島です
御蔵島村役場です
御蔵島小中学校です
この島には高校が無いので
中学を卒業すると進学のために島を出ないといけません![]()
昔、民宿鉄砲場で働いていた、まさきちゃんが営んでいる
居酒屋「カンブリ」です
ここでは、いろんなお酒が飲めます![]()
島焼酎からカクテルまであります
良い感じのお店です![]()
まさきちゃんに挨拶し、島焼酎を1杯飲んで民宿に帰りました![]()
民宿に着いたのがちょうど6時![]()
心臓バクバクです![]()
竹の子ごはん、大きなハンバーグ、カンパチのお刺身、明日葉の和え物、ナスとピーマンの炒め物、漬物
デザートにリンゴです
かなりボリュームがあって大満足でした![]()
其の6に続く・・・![]()


















