引き続き、出産までの過程。
その1
その2
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2008年6月2日(月) 9:30
分娩室へ入った妻を見送ったあと、入院室で待つ。
20分程度の時間がとても長く感じられた。
しばらくすると、助産師さんが白衣と帽子を持ってきた。「これを着て待つように」という。
その間、分娩室での妻は、早く出したいのに出せない、という状況が続いていたという。
分娩室に入ったものの、直ぐに分娩台にはあがれず、隣に置いてあった椅子で、ぷ~が降りてくるまで待たされたという。助産師さんが
「我慢できなくなったら分娩台に上げてあげる」
といったらしい。助産師さんは一般的にキビシイ人が多いと聞くが、確かにキビシイ…。
ようやく分娩台に上がっものの、この時点ではまだ破水していなかったため、この時点で人工的に破水を起こす(破膜というらしい)。
あとはイキむだけ!
…なのだが、先生が登場するまでイキめないという最悪の状態が続いていた…。
2008年6月2日(月) 10:00
僕が白衣を着てさらに待つと、再び助産師さん登場。分娩室へ。
そこには、、、分娩台に横たわる妻が最後の苦しみ中だった。まさに「産みの苦しみ」。
僕は分娩台の横に置かれた椅子に座り、妻の頭を撫でる事くらいしかできない…。
陣痛の波が来るタイミングでアゴを引きつつ身体を曲げて思いっきりイキむ。
僕の位置からだと、、、ぷ~の頭が出てきた!
すると助産師さん達の声。
「力を抜いて!」
僕には何のことか分からなかったのだが、頭が出た瞬間に力を抜かないと、会陰裂傷になってしまうという。
…が、イキんだすぐ後に力を抜くというのは、妻には難しかったようで、、、、力を上手く抜けずにいたら、、、、バリッという感覚(妻談)と共にぷ~の産声があがった。
2008年6月2日(月) 10:08。
というわけで、無事出産!
産まれたばかりのぷ~を、シーツにくるみつつ妻のお腹に乗せて、記念撮影。
その後、体重を計測。
3282g。
ぷ~の身体の形成も、エコー診察の通り問題なし。
その間、胎盤の排出をし、切開した会陰を縫合。と同時に、子宮を収縮させる注射を打つ。
会陰縫合はかなり長い間続き、妻はここで「さっきのバリッ」の原因が分かったという。通常の会陰切開よりも遙かに長い縫合時間…。これが意味することは、、、、会陰裂傷。
怖くて聞いてもいないし、傷口を見てもいないとことだったが、かなり大きく裂けたのではないかということだった。
2008年6月2日(月) 10:50。
先に分娩室を出た僕は、義母に報告。義母は義母で僕が分娩室に入る姿を見て涙していたらしい。
「2人が分娩室から出てくるときは”親”になっているんだ」
と思ったら涙がこぼれてきてしまった、とのこと。
出産後の処置が終わり、ようやく妻が部屋に戻ってきた。
縫合の痕以外にも、子宮収縮が始まったようでそれをかなり痛がっていた。どうやら「後陣痛」というらしいが、それがかなり痛いらしい。”陣痛と同じくらい痛い!”と叫んでいた。
該当記事:【速報】無事に
2008年6月2日(月) 14:00。
妻の母が帰ると、その入れ違いのタイミングで僕の母が病院へ。
そのころには痛み止めが効いたのか、妻もあまり痛がらないようになっていた。
妻が部屋に戻ってしばらくすると、新生児の検査が終わったぷ~が新生児室に寝かされていた。
新生児室にいるぷ~は、、切れ長の目は妻に似、それ以外は僕似だった。
後日談:退院検査の時
母子手帳に書かれた院長先生の所見。
「安産でした」
初産婦の割にはラクだったんだろうけど、「安産でした」と書かれるくらい安産だったようである。
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…というわけで、妻の出産の記録でした。
他の方の参考になれば幸いです。