引き続き、出産までの過程。
その1
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2008年6月2日(月) 03:00。
僕はしばらくまどろんだ後、眠りの世界へ。
そのころ、妻は激しくなった陣痛に苦しんでいた。
僕が帰った後すぐに陣痛が激しくなり始め、その苦しさは吐くほどだったという。トイレに行ったり姿勢を変えたりしながら3時の診察では、子宮口5cm。たった1時間ほどで5cmほども開いたようだ。
助産師さんが言うには、「吐く妊婦さんは陣痛の進行が早いことが多いのよ」とのことらしい。が、急に開くとその分陣痛の痛みも激しくなる、、、と言われているだけあって、その苦しさはハンパでは無い。
陣痛が進んでいく中で、妻はあまりの苦しみに思わずイキんでしまったらしいのだが、イキんでしまうと鬱血していまい逆効果になるとのことで、ラマーズ法の呼吸をするように指導される。
そしてこの段階で助産師さんには
「初産だから昼頃までかかると思ってたけど、この分だと午前中には産めるかもよ!辛いようならご主人に戻ってきてもらう?」
と聞かれたらしいが、この時点で僕が帰ってからまだ1時間ほど。再度呼び出すと、夜乗り切れるか?と妻が考えてくれたらしく、この時点では呼ばないことになったという。
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おかげさまで僕は翌日まで乗り切れるほどの仮眠時間を確保できたのだった。
2008年6月2日(月) 05:00。
妻は3時から5時までは一人で頑張った。
5時になり、助産師さんが見に来てくれ診察を実施。すると子宮口が7cm程度になっていた。助産師さんもびっくりするほどの陣痛の進み方のようだった。
この段階で僕への呼び出しTEL。
僕は大急ぎで病院に向かったのだった。
↓椅子に座っていると、子宮口が開きやすくなるらしい。
該当記事:【速報】これから病院へ…
2008年6月2日(月) 06:00。
妻の実家と僕の実家に、陣痛が始まったことを連絡。
陣痛間隔は2~3分になり、強い波と弱い波が等間隔でやってくる感じ。
有名な「ひ、ひ、ふー」というラマーズ法による呼吸は、陣痛の波が来るタイミングで行う。
僕の役目といえば、ラマーズ法の呼吸に合わせて背中をさする。だいたい腰骨あたりがちょうど良い感じらしい。妻が言うには、
「さすって貰っても痛み自体は無くならないが、痛みから意識が逸れてラクになる」
とのことだった。
さらに、テニスボールを肛門付近に押し当てる。
胎児が下に降りてくる段階で、直腸にも刺激を与え、おしりの方をイキみたくなるらしい。そこでおしりを押すことでそのイキみを逃がす事が出来るのだという。
というわけで、僕は右手はテニスボール、左手は腰をさするということを続ける。
↓妻的な楽な姿勢。
2008年6月2日(月) 08:00。
助産師さんが「ご家族の方が来られました」というので振り返ってみると、妻の母。
正直、妻と二人で「え、何で来たの?」という感じだったのだが、あまりの心配にいてもたってもいられなくなって来てしまったらしい・・・とりあえず部屋へ入ってもらうが、妻は陣痛中にはあまりお母さんに側にいて欲しくなかったようだ。。。
何故かと言うと、「心配でいろいろと話しかけてくるから」。実際、陣痛で苦しむ度にいろいろとアドバイスを頂くのだが、それどころじゃない妻は
「もぉ~っ!!お母さん、うるさいっ」
と嫌がるのだった。
そうこうしている間に、陣痛の間隔はさらに短くなり、1~2分程度に。そして強い陣痛と弱い陣痛の間隔がどんどん短くなってきた。最終的には強い陣痛と弱い陣痛は一つの強い陣痛のみになるのだ。
ちなみに僕はこの間、助産師さんの診察の時を除いて、ずっと妻の腰をさすり続けていた。途中からはずっと手も痛くなっていたが、僕の数十倍も痛がっている妻には「チョット痛いから休んでイイ?」なんてことは言えず、「妻も頑張っているから僕も頑張ろう!」と闘志を燃やしていたのだった
2008年6月2日(月) 09:30。
弱い陣痛は無くなり、強い陣痛が断続的に続くようになってきた。
イキみたくて仕方がない妻は、ナースコール。するとやってきた助産師さんが
「そろそろ分娩室行こうか」
とのこと。
陣痛室から分娩室までは当然歩いていくのだが、陣痛で苦しいながらも何とかその距離は歩くことができた妻だった。
妻が分娩室へ行った後、僕と義母は分娩室から入院室へ移動しそこで待機。
↓入院室へ移動。しかし落ち着かない。
助産師さんが言うには、「あと1時間くらいで産まれるよ」とのことだった。
産まれる直前にならないと立ち会えないので、それまでは祈るようにして待つばかりである。
該当記事:【速報】分娩室へ
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続きます。
→その3