いつものようにある言葉が降りてきた


自らの経験も伴っていたので経験談を書こうとするとまたもや高次に切り替わっていった






神仏は、威厳も尊重している

お供え物一つとっても

それは日常の簡易的な菓子ではなく格上を要求する

それは偉ぶってるからではない

高級さを欲しているのではない

そこには『威厳』と言うものがある

それはそうあるべき役割を果たすべき者だからだ

それに対して非日常のおもてなしをする事

それはどれだけその対象を尊んでいるのか大切にしているのかの表れでもある

古くからあるしきたり

変わらない本篇

その流れを受け継いでおる

それを要(かなめ)とする必要があると魂は確信しておるから


それはそこの寺社は非日常でもあるべき場所だから

古来から伝わる厳しい戒律、所作、全てにおいてきっちり決められている

変わらないもの

変えてはならない真髄を守り続けそこにおわす

それは精神の本髄でもあるから


そこに来ることで心洗われる

それは日常の延長であってはならない

日々の暮らしをそこに垣間見てはならない

別世界であるが故の厳しさを演出しなくてはならない

身を引き締め心を引き締め

日常の堕落した我が身を振り返るべき厳しい心の目を開かせるためのその場所でもあるから

それを一つでも壊したならなーなーな日常へと変わるであろう

それは甘えであり自らを顧みなくてもよいという怠慢でもある

それの垣根を厳しくしている

出来るだけ目を光らせ崩さぬよう神仏は言い続けている

そこに仕える者には容赦しない

それは規律を守らせる事によりその先にある一般の人々に訴えかけているから

伝える事は摩耗する

どんどん厳しさから遠のく

だから大本を引き締めていかなくてはならない

いつ見てもそこは清楚であって厳しく凛としている

それを醸し出す雰囲気すらとても大事になってくる

見えないその『気』は本気で養っていかなくてはその『気』すら張りぼてになってしまおう

それは『覚悟』であり全てを巻き込む力を宿しておる

それを頑なに守るだけの価値はあろう

よいな

すでにそうされている寺社があったのなら変えるべきであろう(堕落した場所は元ある規律に戻すべき)




              2026年2月2日のお言葉