ユージュアル・サスペクツ | 映画物語(栄華物語のもじり)

映画物語(栄華物語のもじり)

「映画好き」ではない人間が綴る映画ブログ。
読書の方が好き。
満点は★5。
茶平工業製記念メダルの図鑑完成を目指す果てしなき旅路。

★★★☆☆

夢オチ的な! という話。

 

大どんでん返し系は、大どんでん返しがあると知らずに見る方が面白いという話(※わりとネタバレ)

 映画好きの方々の間では有名な作品らしい。本作はポスターのキャッチコピーにもある通り「騙され系」「最後に覆る系」要するにびっくりする系の作品である(全て筆者造語)。私はどんでん返し系(また違うの出た!)が好きなのでさっそく鑑賞してみたところ、確かに初見では、オチは読めてもネタを見破るのは難しいといった感じであった。いや、「どんでん返し」という事前情報があるだけにいろいろ考えすぎちゃって、オチは読めるのよ、たぶん多くの人が。
 
 ただ、どんでん返しにいたるネタを見破るのが難しい点として、「夢オチ」的なものに通ずる一種のズルい感じがあることが挙げられる。全てが——とまではいかないが、「映画」として流された映像のどんなに少なく見積もっても半分以上が嘘だった、というオチなのである。そうなるともう何でもアリじゃーん、ということになる。
 
 嘘のもととなる伏線は最初にばらまかれて最後に回収されるのだが、その間にある話がほとんど嘘だということになると、「一体何を見せられていたんだ」感が強く、うーんとなってしまった。要するにあんまり好きじゃない作品ですな、はい。
 
 ただ、映画が始まって最初のセリフが最大の伏線であることは、なかなかオツだなとは認めるところである。普通に考えると、死に際に皮肉めいたことが言えるってすごいよね(唐突な現実的意見)。
 
↓犯人を見ながら、鑑賞者に犯人を教えてくれている現在進行形。
 
 私は夢オチが嫌いである。なぜなら、無駄なものを見せられたという徒労感でいっぱいになるからである。映画だってしょせんフィクションじゃんという指摘もあるだろうが、私の中ではそこには明確な線引きがって、どんなに意味不明なラストであっても、そこは夢ではないと明確にしてほしいという願いにも似た気持ちがある。
 
 よく「現実か夢かはあいまいで、どう取るかはあなた次第!( ̄ー ̄)」みたいな製作者のドヤ顔エンドが見受けられるが、ああいうのは殺意を抱くほど嫌いである。映画のラストと異性への態度ははっきりしている方が良いのである。
 

半ばどうでも良いストーリー紹介(※さらに激しいネタバレ)

 あらすじといっても、前述のようにほとんどがケビン・スペイシーが語る嘘なので、どうでもよいのである。タイトルである「ユージュアル・サスペクツ」というのは「事件があればいつも名前が挙がる容疑者」みたいな意味で、そう呼ばれる5人の容疑者がいわゆる「面通し」で出会うことから話が始まる。「面通し」とは事件の目撃者に不特定多数の人間の顔を見せて、自分が目撃した人間がこの中にいるかを確認するあれである。その面通しで出会った5人で港に停泊している麻薬密輸船を襲撃した後、5人の中で唯一生き残ったとされるケビン・スペイシーが警察署内で語る物語が本作の内容である。
 
 事実として覆らない箇所も多数あるのだが(密輸船を襲撃したとか、襲撃前に5人が起こした事件であるとか、カイザー・ホゼとか)、そのほとんどは取り調べを受けた部屋に掲示されていた資料とか写真とか飲んだコーヒーカップの底に書かれていた製造元の名前とかからケビン・スペイシーがテキトーに創作した作り話で、作り話に乗って勝手に真犯人を想像した刑事が、最後コーヒーを飲みながらしてやられたことに気がつくというところで物語は終わる。持っていたコーヒーカップを呆然とした表情で落とす姿で真相に気がついた刑事の姿を表現しているのだが、私はショックのあまり物を落とすなんてしたことがない。いや、冗談ぽくショックを伝えるためにわざと落とすということは何度でもしたことがあるが、呆然として物を落とすなんてことが、人間工学的にありえるのかは疑問の余地がある(めんどくさい人間)。むしろ持っていることを忘れたまま無意識に謎の行動を取ることはあると思うのだが。
 
↓映画好きの間ではあの有名な「コバヤシ製」のコップ
 
 いや、びっくりして体が弾んで思わず落としちゃうことはあると思うのよ。しかし、「呆然とするあまり手の力が抜けて落とす」ということはあんまりないんじゃないかなーと思ったという、超どうでもよい揚げ足取りね、これ。
 

最大の問題は

 ネットで検索すれば、映画好きの間では長らく語り継がれている「大どんでん返し系」作品なので様々な考察がたくさんヒットする。ただ、私が考える本作の最大の問題点は、考察なんてどうでもいいしと言わんばかりの覆り方であると思うのである。
 
 なんかね、何度も述べたように、ほとんどが嘘だったのよ。で、これも何度も述べたとおり、それって「全部夢でした〜」に通ずる反則技だと思うのである。
 
 最初と最後だけ決めて、真ん中はもはやどうでもよい——まるで「後は観た人が勝手に考えてくれる」みたいな作品構造で、心底ガッカリしてしまった。もっと緻密な伏線が至るところにばらまかれていて「もう一回観なきゃわかんないよ〜」と困っちゃうような作品を勝手に期待してしまっていたので、ガッカリ感がハンパなく、とにかくガッカリ、全てにガッカリ、一にも二にもガッカリであった。本でも映画でも、「徒労感」を抱かせる作品は罪であると私は思うのであります、はい。
 
↓まあ何も知らずに観たら衝撃的だったのかもね〜

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