「竜馬がゆく 七」 司馬遼太郎 | 映画物語(栄華物語のもじり)

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茶平工業製記念メダルの図鑑完成を目指す果てしなき旅路。

 

★★★★

 大阪維新の会じゃない方の「船中八策」の話。

 

 人の諸々の愚の第一は、他人に完全を求めるというところだ

 

 というのは、竜馬の談である。似たような話は、吉野弘の『祝婚歌』という詩にも出てくる。以下は、結婚する二人に向けられた言葉であることを前提に読んでいただきたい。

 

 完璧をめざさないほうがいい

 完璧なんて不自然なことだと

 うそぶいているほうがいい

 

 人は相手に不満を抱きやすい。それは近しい関係になればなるほど、鬱屈として腹の底に溜まっていきやすいものである。友達ならば許せることが、恋人には許せないことというのがままあるだろう(とよく言われる。私はこの辺がよくわからんのだが)。

 なぜかといえば、答えは簡単で、相手に完璧(完全)を求めるからである。友達には求めないのに、恋人にはそれを求めるということだ。仕事の関係には妥協があるが、恋人にはそれがない場合が多い。結婚したら、また違うのかもしれないが。

 私はどちらかというと、好きになった人には盲目的になるヘキがあるので、大抵のことは我慢したり言われたとおりにしようとしたりするタイプである。が、結局それではダメだからこそ、30過ぎても独身の悲しい独り身親父なのであった。

 きっと、欠点(というか相手が指摘する不満点)をどうにかするのではなく、それを上回る魅力がなければダメなのであろう。とどのつまり、そんなに好かれてはいないということだ。

要するに、完璧を求められるというのは、「一緒にいたいと思うほどの魅力がない」ということなのではないだろうか。相手に完璧であることを求めた時点で、あるいは求められた時点で、先は長くないのかもしれない――という暗い話ね、これ。

で。本著の話。

 本著の後半では、日和見主義の者の末路が描かれている。本著内における日和見主義とは、竜馬の出身である土佐藩のことであり、ひいてはその最高権力者山内容堂である。竜馬曰く、

 

 情夫を持った女とおなじさ。はじめは二人の情夫に色よいことばかりいっているだけでよかったが、だんだん二人の情夫が熱をあげてくる。ついに、おれの女房になれと迫る。どうする

 

と問いかけ、その結論としては「首でも吊って死なずばなるまい」と言う。

 これは、山内容堂が勤王か佐幕かどっちつかずに、その両者に都合のよいようにふるまってきた日和見主義を非難するためのたとえ話である(山内容堂は司馬遼太郎によれば、思想的には勤王であるものの佐幕主義なのである)。藩内では倒幕派の弾圧を強行し、竜馬の盟友であった武市半平太をはじめ多くの倒幕派を処刑した。しかしながら、時勢が倒幕に傾いてくると、京都朝廷での四賢候会議に出席して朝廷主体の合議制での新しい政治体制を作ろうという参画に参加した。しかし、その会議で今後の主導権が握れそうもないとなると、さっさと切り上げて土佐に帰るという強行策に出た。しかしその一方で竜馬との接触をもち、勤王派にも色目を出し続ける。当然両者からの評判は次第に悪くなってゆく。

 この山内容堂の日和見主義的ふらふら行動を、情夫を持つ女に例えたのが竜馬の談である。現代であれば、恐らくこのたとえは、二股三股をかけるスケコマシ野郎にたとえられたであろう。が、時代のせいなのか司馬遼太郎の価値観なのか、こと女性問題に関しては竜馬があっちにフラフラこっちにフラフラしていることすら美談のように書かれているところがあり、どうにもこうにも男性びいきなのである。なので、現代であれば、東京都知事あたりが定例会見ででも用いたら女性団体からの批判が必至のたとえとなっている。

 山内容堂を、竜馬は「死ぬしかあるまい」と断罪する。時勢をいたぶった当然のむくいだという。女を弄んだ男は死ねという理屈と同じである。ただし、規模ははるかにデカい話なので、その罪ははるかに重い。なんといっても、勤王倒幕派を処刑しといて、時勢が傾いた途端、藩を挙げて勤王倒幕をしようというのである。

 職場における日和見主義は、山内容堂レベルで起こることは少ないが、それだけにどちらかといえば下っ端の間でこまごましたことで起こることが多い。例えば、アクが強くて、信念が強いのか協調性がないのか紙一重のような、ひとことで言えばめんどくさい人間というのがどこの職場にも一人はいる。内心皆関わりを避けたいと思うところなのだが、仕事なので当然そういうわけにもいかず、だからといって皆大人なので「お前嫌いだよ」とあからさまに表したりもせず(怖いから、というのもあるだろうが)、そういうときにその人にどういう態度で臨むかといえば、「俺はお前を全肯定!」といった具合に、とにかく「そうですね~そうなんですね~」と調子を合わせることに全力を出しがちである。しかしひとたびその人物を悪く言う人がいれば、それに同調して「こんなこと言ってましたよ~」とじぶんがそうですね~と同調していたことをくそみそに卑下する。

 日常における日和見主義の例である。

 日和見主義というのは、世の中を渡る一つのテクニックのように見られがちであるが、引き際というか「自分の信念」というものでどこかで線引きをしないと、山内容堂のようにどこかでつまずくことになるわけである。何より、誰にでも良い顔をして、自分の言いたくないことは自分では言わずに相手に言わせるように仕向ける感じの、自分の手を汚さないタイプの人間は、多くの仲間や友人を得ることはできるが、深く付き合う相手を傷つけがちである。

 なぜなら、ずるいからである。そのずるさが、自分の近しいものを傷つける。

 山内容堂でいえば、そのずるさが、藩に多くの死を招いた。

 竜馬の、山内容堂に対する冷徹ともいえる視線は、そのずるさにむけたものなのである。

 本シリーズも残すところは本著とあと一冊となり、クライマックスに近づいていることをひしひしと感じるスケールとなっている。信じられないことは、竜馬が私より年下であるということである。まだまだ下っ端だからな~なんて誰かに甘えていてはいけないのである。「いや~、これ、どうしましょうね~」なんて言っている私は、幕末という風雲の時代の中ならば、司馬遼太郎の余談に出てくる人くらいどうでも良い感じで死んでいることだろう。

 さて、武田鉄矢の方じゃない、竜馬が創った本物の「海援隊」は、土佐藩を脱藩した浪士が大半を占めていた。平時は商船で貿易をし、有事の際は海軍となって戦火に加わる「海援隊」は、その前身を「亀山社中」といったのだが、まだその「社中」の頃、後の明治の世でも有名になる後藤象二郎を、土佐出身の社中の者たちが殺そうという話が持ち上がった。後に竜馬はこの後藤と手を組むことになるのだが、当初は誰もがそれに反対した。反対するどころか、後藤は何度殺しても殺し足りない相手なのである。それには、土佐という藩における階級制度による差別が根底にある。

 簡単に言えば、土佐はもともと長曾我部一族の支配地域であったが、関ヶ原の戦いで西軍についたせいで敗れ、東軍であった山内家にそのまま乗っ取られる形となったのである。元からいた長曾我部系の武士たちは「郷士」とされ、山内系の武士である「上士」に軽んぜられた。その軽んぜられ方は半端でなく、上士は郷士を切り捨て御免で殺してよいとされていたのである。

 そうした差別の歴史が徳川幕府の歴史とともにあり、勤王倒幕にも繋がるし、後藤象二郎を殺すという怒りにも繋がっている。後藤象二郎が単純に、非業の死を遂げた仲間の敵であるとか、土佐藩の重役であるとかいった理屈を超えて、長年に渡る差別の怨念が存在した。自分たちを虐げてきた者たちの親玉クラスなのである。

 

 人間が人間を差別すると、こうも人間の血を異常にするものなのか

 

というのは、竜馬の言である。土佐の郷士階級の武士たちは、上士がとにかく許せないのである。

 この項を読んで思い出したのは、最近鑑賞した『ホテル・ルワンダ』である。ルワンダ大虐殺をテーマにしたこの映画は、フツ族という部族がツチ族という、「部族の違い」というにはあまりにも近しい存在(普通に隣家に住んでいる)を、虐殺する話である。歴史を遡れば、元々はツチ族がフツ族を統治していたという史実があり、しかもそれは、植民地支配していたベルギー人が作った支配制度であったという、どこか土佐の歴史と重なるところがある(山内氏は当然、徳川から領地として土佐を与えられ、やってきた)。

 差別に対する怨念は、世代を超えて、歴史を超えて根深く息づいている。それが表面化したとき、想像をはるかに超えた悲劇が生み出される。

 しかし、竜馬はその差別感情を超えて、後藤象二郎と土佐藩を利用する道を選ぶのである。利用することで、間違いなく、土佐藩自体を救うことになった。

 何が言いたかったかといえばこのことで、竜馬の考え方、ひいては生き方には、差別からの脱却へのヒントが隠されているのではなかろうか。

 亀山社中を立ち上げてからの竜馬の考え方には、根底に常に「人は利で動く」というものがある。正論や倫理に訴えて議論しても、議論に勝てば恨みを買うだけで人の心は動かず、当然行動も起きない。しかし、行動することに利益があれば、人は動くというのである。

 例えば、竜馬は亀山社中の船で商売をしているときに、日本初の海難衝突事故というものに遭遇した。相手は紀州藩の船で、100%相手が悪かったが、当時の日本に海難事故を裁くための法律もなければ、前例もなかった。相手は国際法や国際上の通例もしれない日本の武士で、さらには紀州藩は幕府直轄領の御親藩なので、その権威を笠に着て押し切ろうとしてきた。怒り心頭の竜馬は、しかし正論のみで対抗しようとするわけではなく、様々な利害関係を利用して、土佐藩や薩摩藩を全面に巻き込んで、紀州藩から賠償金をせしめた。紀州藩にも敗北を認めさせた。

 この問題の解決に動いた者たちは、それぞれに自分の意図する利があった。利益が、人の感情を超えて一つの解決へと導いたのである。

 差別の連鎖を断ち切るには、たとえ一時であっても、利が必要なのかもしれない。なぜなら、道徳や倫理では憎しみは癒えないからだ。

 利益がなければ、憎しみを横に置くことはできない。それぐらい、憎しみとは根の深いものなのだ。

 さて、最後に、橋本前大阪府知事が模したことで話題になった「船中八策」であるが、以下が本物のそれである。

 

第一策 天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令よろしく朝廷より出づべき事

第二策 上下議政局を置きて、万機を参賛せしめ、万機よろしく公議に決すべき事

第三策 有材の公卿・諸侯、および天下の人材を顧問に備へ、官爵を賜ひ、よろしく従来有名無実の官を除くべき事

第四策 外国の交際、広く公議を採り、新たに至当の規約を立つべき事

第五策 古来の律令を折衷し、新たに無窮の大典を選定すべき事

第六策 海軍よろしく拡張すべき事

第七策 御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事

第八策 金銀物資、よろしく外国と平均の法を設くべき事

 

 第一策は大政奉還のことを言っている。第二策は議会制、第三策は生まれに関わらない実力主義、第四策は外国との条約締結の在り方、第五策は憲法制定、第六策はそのまんま、第七策は国防、第八策は貿易における不平等の解消をうたったものである。

 繰り返しになるが、風雲の中心にいる薩摩藩も長州藩も、倒幕を成し遂げようと躍起になっているものの、実は「その後」のことは全く考えてなかった。つまり、自分たちがどのような政権を作ろうかということは、「天皇中心で」くらいしか考えておらず、薩摩藩主の島津氏が次の将軍になるとかいやいや長州藩主の毛利氏がなるんだとか、今にして思えば冗談のような有様だったのである。それに対してきちんとした道筋を立てたのが、竜馬発案の「船中八策」なのである。

 この長州や薩摩の有様は、「革命」というものを考えるとき、避けては通れない大きな問題であると考える。

 「革命」を成し遂げる力と、「治世」とでは、どう考えても必要とされる力が違うからである。どのように革命を成すかを考えるのと、どのように世を治めるかを考えるのは、当然ながら、イコールではない。

 キューバ革命の立役者であったチェ・ゲバラも、革命を率いる天才ではあったが、革命以外で彼を必要とした場所はなかった。まるで革命を追い求めるように転々とした彼の人生は、そのままこの時の薩摩や長州の在り方と似ている。

 倒幕ありき、の世の中で、やはり竜馬の存在は相当異端であったといえる。

 先を見越しすぎていて、ちょっと気持ち悪いくらいである。