★★★★☆
思ったより気長な計画だった話。子ライオンのときに考え付いた計画を、大人になってから実行するという長きスパン。
みなさんは知っていただろうか。
ライオン・キングに「2」があったことを!
前作「1」のヒットの具合から考えるとあまりにも日陰の存在である「2」は、レンタルビデオ店のディズニーコーナーにひっそりと佇んでいた。その佇み方は、「ヒットに便乗したこういう続編って得てしてしょーもないものになりがちだよね」と自ら語っているかのようだった。私も実は、その存在を認知しながらも長らく鼻で笑っていたうちの一人であったのだが、この度前作「1」を見直してみて改めてその良さを味わったので、話のネタに観てみようと思った次第である。つまり、「2」はやっぱりダメだよね~ということを書こうと思って観たのである。
が。
この話の展開からすでに推察されたものと思われるが、これが予想外に面白かったのである。この場を借りて、ディズニーに改めて謝罪したいと思うくらいであった。私ごとき小市民の文なし水飲み百姓がナマイキ言ってごめんなさい、とディズニーランドに行って直接陳謝したい(よくわからない自己否定)。だから、ディズニー招待券、だれかください。今度職場の忘年会で司会進行をやるハメになったのだが、ビンゴゲームのときどうにか不正操作をして「東京ディズニーリゾートペアチケット」を手に入れてやろうかと思うくらいである。(もちろんやりません。いや、まじでまじで)
そんなわけで、いまいちマイナーな『ライオン・キング2』の魅力を広く知ってもらうために今から尽力しようと思う。本ブログの閲覧数から言うと広くは知られないのだが、「ネットは広大だわ」と草薙少佐も言ってるからね!(おたくネタ)
物語は、「1」のラストで物知りサルが高々と掲げていた「1」の主人公シンバの子供が実は息子ではなく娘だったというプチサプライズから始まる。言ってみれば結構どうでもいいサプライズなのだが、それは予想してなかったなと素直にびっくりしてしまった。
そして、敵は「1」の悪役スカーの子供であるという王道性。が、しかし。
めっちゃそっくりなのに実の子供ではないというプチサプライズ再び。目の下のクマまでそっくりなのに。ここまで似ていて実は赤の他人という謎設定にしばらく取り残されていた。育ての親はスカーの奥さんなのになぜ……
と、鑑賞中は「よくわからないこだわりだなぁ」とアメリカの心を推し量りかねていたのだが(大袈裟)、なぜストーリーを歪めてまでこの設定にこだわったのか、この後展開される王道ストーリーを観ると、なんとなくわかった。
王国を取り戻したシンバ側と追いやられたスカー側は当然のごとく対立をするのだが、シンバの娘とスカーの息子(仮)はなんだかんだで良い感じの仲になるという、ロミオとジュリエット的王道を辿る。
その時、地味に問題になりそうなのが、血縁関係なのである。
スカーの息子(仮)がもし実の息子であったとしたら、シンバの娘とは「いとこ」の関係になる。「いとこ」は法律上はもちろん婚姻関係を結ぶことは可能であるが、その辺は繊細な問題であるため、無用なトラブルを避けるために多少無理のある設定にしてもやむをえないと判断したのではないだろうか。言ってみれば、赤の他人の復讐を果たすよう大人になるまで育て上げられたという極悪非道なストーリーになったとしても。そりゃ、クマもできよう。
まあ、すげーあっさり復讐やめちゃうけど。そう、所詮は赤の他人なのである。赤の他人の復讐より、自分の恋を優先することになんら不思議はない。
そんなわけで、ストーリーをこれ以上ないくらい雑に説明すると「愛は地球を救う」ということである。愛の前に、全ては平和に解決なのである。長年敵対していた者同士すら、若者たちの愛の前にはひれ伏す。これは、この世から一向に消え去ることのない「民族紛争」の解決の答えを、ディズニーが真摯に提示しているのではないだろうか。
そして、その答えの非常に現実的なところは、その流れに乗れなかった者はこの世から退場するしかないということも示している点である。
愛によって生き物は結ばれる。しかし、その絆の輪(サークル・オブ・ライフ)に入れない者は、不穏因子として除去される運命にある。
それが社会の原理であるという現実的な一面を、ライオン社会という模擬社会において静かに訴えかけてくる。そんな壮大なメッセージが込められた作品なのである。
いやー、やっぱり世の中、愛っすよ、愛!あいあい(愛の安売り)。
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