つぶやき | 脳細胞はたんぽぽ綿毛

脳細胞はたんぽぽ綿毛

自分という子供を育てています。
ASDで、毎日一生懸命生きてるつもり。
生きる=サバイバル。

自分の本当にやりたいこと、欲しい物、色々わかってきたのは人生20年以上経過してから。

小4か小5の頃、私の心は1回しにました。

私はどこか空っぽだった気がします。

たくさん与えられたと思います。

でも与えられてもそれは体を通過して残るのは空虚でした。

無関心でした。

家が貧しかったわけではないです。

むしろ少し裕福な方だったかもしれません。

でも私は服なんかいつも一緒で美容室もほとんど行かなくて髪の毛ぼさぼさで。

自分がしたいこととか欲しいものとか真剣に考えたことがありませんでした。

考えたところで言ったところで肯定されませんでしたから。

中高の頃の私は人間としても女子としても終わっていました。

加えて、中学の頃、再度心をころされました。

高校生の時点で私は悟りました。


大学生になり何か変わると期待しました。

無理でした。

むしろ状況は悪化しました。

「普通」を演じるには難易度が高すぎました。

何とか持ち直したくて専門に入りました。

勉強を今まで生きてきた中で1番必死にやった1年でした。

でも無駄でした。

いくら難易度の高い資格を取得してもその仕事に向いていなくては社会に適応できなくては何の意味もないことに気づきました。

仕事を辞めても最底辺でもせめて「比較的」普通に近い人間でありたいと思いました。

でも時すでに遅しでした。


今はどのあたりでどういった感じで自分はいるのかなあと考えました。

まず「普通」でいることを放棄して開き直ることにしました。

急ぐのもやめようと思いました。

家族を「好き」でいる必要性はないと気づきました。

感謝は必要、でも必ずしも好意的でなくて良い。

やりたくないこと、したくないこと、嫌いなこと、ぜーんぶやめようと思いました。

ただの我儘で迷惑で最低な人間になってみました。

とにかく自分を肯定したいと思いました。

それがどう考えたって間違っていることでも、非現実的も非人間的でも。


「私」という人間はまだ未完成でグラグラで支えがないと立つこともままならない。

その支えの一つが摂食障害なんだと思います。

でもその支えで心身を壊していては(この際周りなんてどうでも良い)自分がかわいそう。

支えをもっと自分にとってプラスのことにしたいです。

それを探してきたいなあと思います。


つぶやきをダラダラと。

よくわからなくてすみません。


生きるって難しいですね。