父が息を引き取りました | 東海林 順の一人旅

父が息を引き取りました

昨年4月下旬から入院の続いていた父でしたが、

2024年2月8日 20:41 息を引き取りました。

穏やかな最期でした。

生前賜りましたご厚情に深く感謝申し上げますとともに謹んでお知らせいたします。




















入院中の病院から連絡が来たのが今週の5日、月曜日の夜でした。

両肺の影が肺炎であることが医師の診断で明らかになったとの連絡でしたが、

血圧が下がって呼吸が浅くなり、肝臓の数値が悪くなって

顔に黄疸が出始めて状態が一気に悪化しているとのことでした。

もし深夜でも病院から連絡があったら面会しておいた方がいいですよ、

という含みを持たせた言われ方でしたので

いよいよその時が近いんだなということを感覚的に理解した瞬間でした。

その日はいつでも出られるようにして就寝していましたが

結局夜間に連絡は来ませんでした。






次の日はいったん通常出勤して会社には行っていたのですが、始業時間直前に病院から受電。

いよいよ来たかと思い、事情を説明して北海道にいる弟にメールで知らせて自分は病院へ急行。

病室へ駆けつけましたが、その時は状態が安定していたようで、

しかし1月30日に面会に行っていた時よりも一気に痩せこけて

まるで骸骨に皮膚が付いているような顔になっていました・・・

顔の黄疸も相まっていつでも不思議ではない雰囲気ではあったんですが

不思議と瞳孔や瞼の反射反応はあるという。

結局駆けつけたものの、限られた面会時間中にこれ以上の変化はなさそうだということで、

次に状態が変化したときは病室で付き添いすることにして帰宅しました。









そして火曜日の夜21時過ぎに再び病院から電話があり、再び病院へ。

血圧が90を切ってきたということで、駆けつけたわけですが・・・

どうやら昇圧剤を投与して状態が思ったより安定したということでした。

かなり迷いましたがこの日は帰宅しましたが、予感的には明日かな、という気がしていました。







という予想に反して翌日7日の水曜日は病院から何も連絡がありませんでした。

昇圧剤を最大量使用して、血圧が110て度まで回復していたということで・・・

その水曜日に北海道から弟が地元に帰ってきました。

とはいえ病院のルールで、病院から呼び出しがあっても

病室に入れるのは家族の代表者のみということになっていて・・・

ルールはルールなので、

私が病室へ行ってビデオ通話で様子を中継するという手はずにしました。








そして迎えた8日木曜日。

すでに火曜日から会社を休みにしていつでも動けるようにしていたのですが、

この日も9時前くらいに病院から電話が。

昇圧剤を最大量使っていても血圧が80を切ってきたとのこと。

電話口の看護師さんは経験上、週末まで持たない、今日中もありうるとのこと。

ただ、持ちこたえる可能性もゼロではないとのこと。

いつ何時何があってもおかしくないということでした。

で、病室へ付き添いすることを前提に荷物をもって病院へ行きましたが、

病室に案内されると火曜日までと全く違う表情になった父の姿が。

頭蓋骨がよく分かる顔は相変わらずでしたが、目が乾いている・・・

さらに口の中も乾いて吐息に交じっているかすかなにおい・・・

今思うとこれが死臭というものだったのかもしれません。

ビデオ通話で繋いでいた弟もこの姿を見ていよいよかと思ったそうです。

しかしここで想定外のことが起きます。

なんと病室で付き添いは可能ですが、そうなると付き添い者も病棟から出られなくなるとのこと。

食事などは運んできてもらわなくてはならないという話でした。

まぁ、コロナの抗原検査で陰性であることが確認できなければ

そもそも付き添い自体ができないわけですが・・・












ということで、いったん付き添いの件は保留して帰宅して当面の食糧の準備をすることに。

幸い私の借りているアパートは父の入院している病院まで15分あればいける立地なので

間に合うだろうという油断もありました。

そして15時を回って弟と相談していたところ、

やはり付き添い行っていた方がいいという結論になり病院へ連絡。

ちょうど血圧が50を切ってきたところだということで、

近所のスーパーで買い出しをしてその足で病院へ行くことに。

16時前に病院に入ったのですが、抗原検査等々で病室に入ったのは16時半くらいでした。

看護師さんから部屋の設備の説明を受け、看護師の巡回のほか、

何かあったら遠慮なくナースコールで呼べと言われます。

17時を過ぎると夜勤帯になりスタッフが少なくなるということで。

で、さっそく持ってきたPCを使ってスマホの充電や通信環境を整えました。

父のベッド上に心拍のモニターがあったので、

ボタンを押して表示を確認してみると脈拍は80を行ったり来たり。

しばらくすると看護師さんがやってきて、心拍が70を切ったので様子を見に来たとのこと。

モニターのスイッチを入れてみるとたしかに心拍は60台に落ちてきていました。

こうなるともう明日を迎えることはなさそうな予感がします。

看護師さんの経験上もその可能性が高いとのこと。

そのころ血圧を測定すると35-40とかになっていて、ほとんど心臓は機能していない状態に。

それから何度か弟とビデオ通話で中継したのですが、

それほどの悪化は見られませんでした。

と、20時を過ぎたころ看護師さんがやってきて心拍が30を切ってきたとのこと。

モニターのスイッチを入れると確かに33前後まで落ち込んできていました。

さすがに疲れが出ていたのか、父の呼吸に耳を傾けながら若干寝ていたのかもしれません。

いびきをかいているような音で寝息を立てているように聞こえていたので・・・

で、慌ててビデオ通話とつなぎますが、

10分ほど話していたところで特に変化もなくいったん中継を終了しました。












そして20時半を過ぎたころ、ふと気になってモニターのスイッチを入れてみると

脈拍の数値が15からどんどん下がっていきます。

まるでカウントダウンしているようで・・・

これまた慌ててグループビデオ通話をつなごうとしますがこんな時に限ってなかなかつながらない。

ようやく繋がって病室から中継をはじめました。

医療関係者の話では、最後の最後まで聴覚は働いているということで

スマホを通してたくさん声がけしてもらいました。

しかし徐々に脈拍が減っていき、10を切ってついに一桁に・・・

そして一瞬ゼロになり、痙攣するように70付近まで上がって、0から動かなくなりました。

そこまで確認してナースコールで呼び出しをかけました。

自分でも驚くくらい冷静だったというかなんというか。

その後看護師さんが確認して医師を呼びに行きます。

その後当直の医師が呼吸停止と心停止と瞳孔反射がないことを確認。

死亡診断となりました。
















その後の処置は早かったです。

葬儀社もその時点では決まっていなかったので、

実家から近い葬儀社に依頼することにして連絡しました。

ご遺体の処置が完了する頃合いで葬儀社の迎えを手配して、自分も病室の片づけを開始します。

手際よく看護師さんが荷物の仕分けを手伝ってくれます。

ものの30分ほどですべての荷物の撤去が完了していました。

葬儀社が到着してご遺体を安置場所に運んでくれるタイミングで死亡証明書が医師名で発行されます。

これがないとご遺体を移送することができず、犯罪になってしまいます。

で、内容を確認してみると、父の名前の漢字が間違っていることが判明。

戸籍文字は常用漢字ではない漢字を使っている方もまだ多くいらっしゃると思いますので

注意が必要です。

今はコンピューター文字で人名に使える漢字が決まっているので、

世代交代が進めばこういう問題は少なくなっていくのでしょう。

まぁしょうがないので、その場で訂正してしまいます。

そして無事引き渡しを終えて、安置場所へ移送。

自分も荷物をもって追いかけます。

幸い、勝手知ったる地元なので、迷わず行けます。

この日は遺体を安置してもらって、翌朝葬儀担当者から連絡をもらうことにして帰宅しました。













以上、父が息を引き取ったところまでを思い出して一気に記載してみました。

完全に自分の備忘録です。