痛バイク仕様変更
晴れました!
というわけで、バイクでどこかに行こうと思っていたのですが、
うっかりバッカスを食べてしまったので急遽中止。
今日のところはバイクの整備に費やすことにしました。
そこで、つい先日作ったステッカーも貼ろうと思い立ち、
痛単車を若干ですが、仕様変更することにしました。
まずは、足回りの清掃。
二ヶ月ほど放置してしまったので結構汚れている。
せっせとメラミンスポンジで磨きます。
概ね汚れらしい汚れを除去したところで、チェーンの給油。
レーシングスタンドをかけて、いつものように洗浄し、グリスアップ。
・・・今回は体感できるほど変わりました。
まず、取り回しがえらく軽くなりました。
また、チェーンからのノイズが大幅に減。
タイヤがスーッと回ります。
そして、現在のステッカーを一部はがして
新しく作ったステッカーを貼っていきます。
今回貼ったのは、フロントフェンダー両側にBSパロディーステッカー。
右側カウルに ニジウラ と ボスケテ 。
お気付きかと思いますが、東方関連の大きなのを剥がしました。
それにしてもステッカーをはがしてしまうと、結構のっぺりしてしまうんですね。
現在右側アンダーカウルに貼るステッカーを考え中。
結構大きく面積が取れるので、考えるのも楽しい。
そういえば、今日は3月11日。
ちょうど東日本大震災から一年が経つんですね。
通りで朝から震災震災言ってると思った。
ラジオでもこれだったのだから、テレビはもっとあからさまだったんでしょう。
東京でも追悼式典が行われ、
心臓の手術を終えて間もない天皇陛下もご出席なされたとか。
中継をラジオでもやっていましたが、流石に滞在時間は短かったようで。
くれぐれもご自愛なさっていただきたいと思います。
それに関連して、自分も震災を振り返ってみると・・・
情報の不足から、今にして考えると危険なことをしていたものだなぁ、と思います。
なにせ、6mの津波で大津波警報が出ている中、
国道245号線に出て海抜0m地帯へ突入したんですからねぇ・・・
幸い移動に時間がかかって、津波が去った後に0m地帯に到着していたので
特に何事も無かったわけですが、一歩間違えたら悲惨なことになっていたことだと思います。
こんな写真を撮るだけの余裕があったのですから、
この偶然に感謝しないといけないでしょう。
ちなみにこの写真は2011年3月11日の午後五時ごろの久慈浜海岸付近です。
水没している道路は国道245号線。
奥に見えるのは日立港の巨大クレーン。
今も現役で動いています。
震災後の一年はなんというか、
生きてるだけで丸もうけ というフレーズを身にしみて実感した時間でした。
同時に 「生きていれば何とかなる」 という
根拠の無い自信みたいなものも生まれた気がします。
今日で震災から一年。
心機一転するのも良いし、コレを機に何かを吹っ切るのもいいと思います。
大事なのは、明日を生きようとする気力。
生き残ったみんなに幸あれ。
というわけで、バイクでどこかに行こうと思っていたのですが、
うっかりバッカスを食べてしまったので急遽中止。
今日のところはバイクの整備に費やすことにしました。
そこで、つい先日作ったステッカーも貼ろうと思い立ち、
痛単車を若干ですが、仕様変更することにしました。
まずは、足回りの清掃。
二ヶ月ほど放置してしまったので結構汚れている。
せっせとメラミンスポンジで磨きます。
概ね汚れらしい汚れを除去したところで、チェーンの給油。
レーシングスタンドをかけて、いつものように洗浄し、グリスアップ。
・・・今回は体感できるほど変わりました。
まず、取り回しがえらく軽くなりました。
また、チェーンからのノイズが大幅に減。
タイヤがスーッと回ります。
そして、現在のステッカーを一部はがして
新しく作ったステッカーを貼っていきます。


今回貼ったのは、フロントフェンダー両側にBSパロディーステッカー。
右側カウルに ニジウラ と ボスケテ 。
お気付きかと思いますが、東方関連の大きなのを剥がしました。
それにしてもステッカーをはがしてしまうと、結構のっぺりしてしまうんですね。
現在右側アンダーカウルに貼るステッカーを考え中。
結構大きく面積が取れるので、考えるのも楽しい。
そういえば、今日は3月11日。
ちょうど東日本大震災から一年が経つんですね。
通りで朝から震災震災言ってると思った。
ラジオでもこれだったのだから、テレビはもっとあからさまだったんでしょう。
東京でも追悼式典が行われ、
心臓の手術を終えて間もない天皇陛下もご出席なされたとか。
中継をラジオでもやっていましたが、流石に滞在時間は短かったようで。
くれぐれもご自愛なさっていただきたいと思います。
それに関連して、自分も震災を振り返ってみると・・・
情報の不足から、今にして考えると危険なことをしていたものだなぁ、と思います。
なにせ、6mの津波で大津波警報が出ている中、
国道245号線に出て海抜0m地帯へ突入したんですからねぇ・・・
幸い移動に時間がかかって、津波が去った後に0m地帯に到着していたので
特に何事も無かったわけですが、一歩間違えたら悲惨なことになっていたことだと思います。

こんな写真を撮るだけの余裕があったのですから、
この偶然に感謝しないといけないでしょう。
ちなみにこの写真は2011年3月11日の午後五時ごろの久慈浜海岸付近です。
水没している道路は国道245号線。
奥に見えるのは日立港の巨大クレーン。
今も現役で動いています。
震災後の一年はなんというか、
生きてるだけで丸もうけ というフレーズを身にしみて実感した時間でした。
同時に 「生きていれば何とかなる」 という
根拠の無い自信みたいなものも生まれた気がします。
今日で震災から一年。
心機一転するのも良いし、コレを機に何かを吹っ切るのもいいと思います。
大事なのは、明日を生きようとする気力。
生き残ったみんなに幸あれ。