日本は頭がカタイ
実はわたくし、外国に行ったことがありません。
弟がアメリカの大学を卒業して帰国したのですが
日本でしか生活したことのないわたくしには無い苦労をしているようです。
今回は運転免許の話です。
弟はアメリカで免許を取得していたのですが
当然日本で車の運転をする際には免許の書き換えが必要です。
が!
免許証を発行するのは公安委員会ですが
外国免許の書き換えには日本語で翻訳された書類を提出する必要があるとか。
まぁ、この時点で公務員試験に外国語があるのは何のためだ?と思うのですが
それはさておき
この翻訳書類は何故かJAFでやっているらしい。
しかも免許の書き換えが出来ることは保証されず
料金が3000円かかるとのこと。
ちなみに弟の免許証の場合、翻訳すべき項目は
発行年月日とか髪の色とか、はっきりいって
中学生でも翻訳できるような項目しかありません。
所定の用紙に自分で翻訳することは認められてないという事を聞いたのですが
本当かいな?(調べてみたらどうやら政令で決まっているみたいです)
で、それが嫌なら
該当国の大使館などへ行って翻訳をもらって来い
っていうわけですね。
まぁ、たいていの人は一時のことだと思って3000円払うんでしょうけど
納得がいきません。
どうやらこういうことが出来る機関として申請して
受理されているのがJAFだけみたいです。
これって独禁法とかに抵触しないのかな?
それともK冊の天下り先としての癒着か!?
私事になりますが、不動産関係の会社でアルバイトしていたとき
建築に関わる法律について
現状にそぐわない項目が多々残っている現状を見るにつけ
法律ってのは市井を知らない お役人が作ったんだなぁ、と
しみじみ感じます。
あと、既得権益を手放したくない業界団体が関与していることも
その文面から伺うことが出来ます。
法律の恐ろしいところは
いったん出来てしまうと
その条文が破棄されることは大変難しく
解釈によって適用される範囲が
広まることはあっても 狭まることは稀だということです。
それだけに十二分に議論を尽くしてから
明文化されるべきなのですが
ラジオ等で報道されている国会中継とか聴いていると
「十二分に議論が尽くされる」 ことは、はっきり言って期待できません。
現状にそぐわない悪しき慣習から決別してこそ
次のステップに進めると、わたくしは信じています。
なんだか最近は世の中への不満しか出てきません。
愚痴っているだけでは何も変わらない
なんてことは痛いほど分かっているのですが
少しでも愚痴をこぼすことで
精神的に安定しようとしているような気がします。
論文書くための調査などで
「社会の底辺」 的な世界と接することがあったというのが
幸か不幸か、今のわたくしの「世間を見る目」 の骨格を形作っています。
「貧乏人の僻み」 の一言で片付けられるものでしかないでしょうけど
その「貧乏人」 は この現実世界に確かに存在することろの
数百万人規模の人間であるということを忘れてはいけないと思います。
とりあえずこの記事はここで終わります。
また後ほど。 ノシ
弟がアメリカの大学を卒業して帰国したのですが
日本でしか生活したことのないわたくしには無い苦労をしているようです。
今回は運転免許の話です。
弟はアメリカで免許を取得していたのですが
当然日本で車の運転をする際には免許の書き換えが必要です。
が!
免許証を発行するのは公安委員会ですが
外国免許の書き換えには日本語で翻訳された書類を提出する必要があるとか。
まぁ、この時点で公務員試験に外国語があるのは何のためだ?と思うのですが
それはさておき
この翻訳書類は何故かJAFでやっているらしい。
しかも免許の書き換えが出来ることは保証されず
料金が3000円かかるとのこと。
ちなみに弟の免許証の場合、翻訳すべき項目は
発行年月日とか髪の色とか、はっきりいって
中学生でも翻訳できるような項目しかありません。
所定の用紙に自分で翻訳することは認められてないという事を聞いたのですが
本当かいな?(調べてみたらどうやら政令で決まっているみたいです)
で、それが嫌なら
該当国の大使館などへ行って翻訳をもらって来い
っていうわけですね。
まぁ、たいていの人は一時のことだと思って3000円払うんでしょうけど
納得がいきません。
どうやらこういうことが出来る機関として申請して
受理されているのがJAFだけみたいです。
これって独禁法とかに抵触しないのかな?
それともK冊の天下り先としての癒着か!?
私事になりますが、不動産関係の会社でアルバイトしていたとき
建築に関わる法律について
現状にそぐわない項目が多々残っている現状を見るにつけ
法律ってのは市井を知らない お役人が作ったんだなぁ、と
しみじみ感じます。
あと、既得権益を手放したくない業界団体が関与していることも
その文面から伺うことが出来ます。
法律の恐ろしいところは
いったん出来てしまうと
その条文が破棄されることは大変難しく
解釈によって適用される範囲が
広まることはあっても 狭まることは稀だということです。
それだけに十二分に議論を尽くしてから
明文化されるべきなのですが
ラジオ等で報道されている国会中継とか聴いていると
「十二分に議論が尽くされる」 ことは、はっきり言って期待できません。
現状にそぐわない悪しき慣習から決別してこそ
次のステップに進めると、わたくしは信じています。
なんだか最近は世の中への不満しか出てきません。
愚痴っているだけでは何も変わらない
なんてことは痛いほど分かっているのですが
少しでも愚痴をこぼすことで
精神的に安定しようとしているような気がします。
論文書くための調査などで
「社会の底辺」 的な世界と接することがあったというのが
幸か不幸か、今のわたくしの「世間を見る目」 の骨格を形作っています。
「貧乏人の僻み」 の一言で片付けられるものでしかないでしょうけど
その「貧乏人」 は この現実世界に確かに存在することろの
数百万人規模の人間であるということを忘れてはいけないと思います。
とりあえずこの記事はここで終わります。
また後ほど。 ノシ