音楽スタイルの保存とジャズ。もしくはウィントン.マルサリスとスコッティ.バーンハート。
個人的には音楽とは音のデザインであると考えています。クラシックにバロックや印象派など美術とリンクしたカテゴライズがされるのがその証左です。時代によって様々な様式が存在します。ジャズもまた同じです。個人的にはジャズはバウハウスからミッドセンチュリーモダンデザインと共振していると考えています。クラシック音楽が時を超えて再演されることでその姿を留めているように、ジャズもまたそうあるべきなのではないかと考えています。ジャズの場合でもビッグバンドなど大規模編成の音楽では、流行することで楽譜が出版されて様々な地域や場所でその音楽が演奏されることがあります。しかし、大半の譜面は使い捨てであり、録音で使われた後には何も残りません。従って、時代やスタイルを代表するような音楽であってもそれを再生することはできません。オリジナルな古い録音を聴くことでしかその音楽を楽しむことはできません。そして生演奏で再生されない音楽は時代に埋没して消えてしまうでしょう。音楽は音のデザインなのですから、それを再生できる仕組みを作ることもまた大切なような気がしています。名画が様々な形で複製されて個人の家などに飾られるように、また、傑作と言われる家具やインテリアが設計図をもとに複製されて現代に売られているように、クラシック音楽がコンサートで再演されることでその価値を維持し続けるようなことがジャズでも行われるべきではないかと思えるのです。オリジナルの演奏にはオリジナルならではの時代性が反映されており、それをリアレンジすることは、クラシックで他の作曲家が誰かの曲の「変奏曲」を演奏するのと同じようなものです。その作品の面白さはありますが、同時にオリジナルもまた良いものとみなされるはずです。だからどちらの作品も演奏されるわけです。オリジナルなスタイルは大切にされなくてはなりません。
ではジャズではどうかというと、トラッドジャズについてはニューオルリンズにプリザベーションホールがあり、そこに行くと100年くらい前のスタイルでの演奏を聴くことができます。モダンジャズに目を向けると、ウィントン.マルサリスが長年音楽監督を務めるLincoln Center Jazz Orchrstraが様々な活動をしています。私はアメリカに居住したことがないので、LCJOのプログラムを詳細には知らないのですが、古い素材をそのまま演奏するというよりはむしろ、古い素材を用いつつも現代の視点で再編曲されたものが演奏されているイメージがあります。また、アメリカ音楽でありながら、どちらかというと黒人系の音楽家のものが取り上げられているような気もします。いずれにしてもLCJOは伝統に重きを置きながらも進歩を求めている気配があります。
他方、スコッティ.バーンハートはカウント。ベイシー.オーケストラのディレクターとしてもはや30年以上活動しています。彼もウィントンが学んだNOCCAの後輩であり、親友でもあります。スコッティにはスコッティなりに自分のやりたい音楽があるはずなのですが、それを脇に置いてベイシーのスタイルを守ることに注力しています。この「スタイルを守る」という姿勢はもっと認められても良いのではないかな?という気はしないでもありませんし、この20年くらいのejazzline.comの譜面の発掘&再構築の仕事ぶりや、ミュージシャン自身による過去のジャズアルバムの再構築なども増えてきています。音楽には常に新しさが求められているような気がしますが、音楽的に新しいことというのは20世紀中期くらいのコンクレートや電子音楽や偶然性の音楽などでほぼほぼ出尽くした感があります。本当に新しさを求めるのであればその音楽がジャズである必然性は全くないのです。
芸事には古典と新作があります。落語や歌舞伎でも古くからある古典と現代の創作が共存しています。クラシックも同じです。ならばジャズもまた「古いものをきちんとやる」ことがきちんと評価されるべきなのではないかと思えてなりません。ビッグバンドの世界ではヨーロッパではそうしたことはかなり前から行われていますが、日本だと「焼き直し」な印象が強いように思われます。その辺りが変わっていくと良いのではないかと漠然と考えています。