Speak Like A Childに見る音楽のデザイン性について | music-geek

Speak Like A Childに見る音楽のデザイン性について

ハンコックのSpeak Like A Childという曲があります。この曲はオリジナルレコーディングでの3管アンサンブルがないと成立しない曲のように思えます。実際ハンコックがピアノトリオで演奏している映像を見るとそれを強く感じます。本人が演奏しても起承転結のメリハリが実に見えにくいのです。この曲をボブ.ミンツァーがビッグバンドアレンジしたものがありますが、美しいんだけど、あの3管にあったスペースがさまざまな音で埋められていてやはり原曲の雰囲気は希薄になります。返す返すも音楽は音のデザインであり、オリジナルの意匠は尊重されるべきなのです。時々引き合いに出していますが、ベニー.ゴルソンのいわゆる「ゴルソンハーモニー」はリアレンジされた時点でもはやゴルソンハーモニーではありません。音楽は音によるデザインなので時代やスタイルが反映されたものです。だからこそ、そこは大事にするべきと考えるのです。このアンサンブルでハンコックのSpeak Like A Childのアルバム全曲カバーを試みたのはもう15年くらい前のことでした。ハンコックの世界観が強いので他のレパートリーを入れることを躊躇して永年封印していましたが、あの世界からあまり逸脱しないサウンドスケープを持つ曲を集めて演奏することを今年から再開しています。スモールコンボのジャズだとどちらかというと攻撃的な音になりがちですが、この編成のアンサンブルは柔らかい質感なので、他で得難いサウンドを構築できると思っています。
アメリカ文化ゆえなのか、ジャズのアレンジの大半は使い捨てなのです。音楽は音のデザインなので、1950年代には50年代のデザインがあるわけです。そこは尊重すべきだ、と考えるのです。書かれたところはきちんと再生して彼等がイメージした音の世界を再構築するけど、ソロパートは全然違うものになって構わないはずなのです。ジャズがアメリカンオリジナルアートフォームであるならば、既存のアンサンブルを再生する意義はあるし、それがなければ「古典」にはならないのです。「古典」をおろそかにした伝統芸能はあり得ないのですから。