会社人間から地域人間へ
それほどたくさんの海外の街を見てきたわけではないのだけれど、恐らくは日本ほど深夜の通勤電車が混雑する国は世界でも稀なのではないかと思えます。ニューヨークの深夜の地下鉄なんてガラガラで、海外慣れしていない日本人には乗るのに相当勇気が要るみたいですが(私は深夜のジャズクラブ回りで普通に使いますが)、東京にしても大阪にしても深夜に酔客で混雑する電車ってのは普通です。こうした人達にとって自宅は「たまたまそこに住んでて主に寝る場所」であって、住んでいる地域との交流は、せいぜい子供がいればその流れでの付き合いくらいでほぼ何もありません。仕事が終わってからも会社の人間とうだうだつるむだけの生活になりがちです。つまり、会社以外のコミュニティとの接点が非常に持ちにくいというのが日本の社会人の現状ではないかと思えます。今はそういうことへの対策も多少はなされているのでしょうが、それでもサラリーマン人生をリタイヤした後に地域の中に居場所を作って地域に溶け込んで生活する、ということには一つ壁があるように感じられます。
私の父はごく普通のサラリーマンでしたが、1970年代に常磐道建設の問題があり、住宅地部分を地下道化するために十数年にわたって住民運動に参画していました。これがあったために地域との繋がりは一般のサラリーマンよりも強かったのですが、常磐道の運動が収束する頃から「会社人間がいかに地域人間になっていくか」ということが父の中で大きなテーマになったようでした。挙げ句の果てに50代半ばに近隣で反対運動で繋がってた人達で「週末だけ地域住民サービスをする『会社』」を設立しました。これは「会社人間が地域人間になるために会社をつくる」という実に面白いアイディアで、当時は良くメディアに露出したものでした。まだNPOという発想が出てくる前のことで、法整備もされていない状況ではありました。この会社は結局常磐道運動で苦楽を共にした近隣の友人達というところから拡張しなかったので、メンバーの高齢化で20年くらいで解散したのですが、ここのメンバーから千葉県最初のNPOが立ち上がったりもしました。往時の映像などを見ていると、高齢化社会のあり方や問題などについてはそれが問題になり始めた1980年代に取り上げられていた問題がまだそのまま残っている状態であるようなことも多く、この活動を含めた当時のあれこれを考察することは現在においても有益なことなのではあるまいか、とぼんやり考えています。常磐道の運動は市民が地方行政に関わって国策と対峙していくという地方自治、もしくは市民の政治への参画の成功事例として学術的にも極めて貴重なものだったので、この運動については書籍にまとめるべく動いているのですが、その延長線にあった会社人間のセカンドライフへのプラットフォーム的なものについての再考察も重要なのではないかと思い始めています。
少子高齢化の問題は様々ありますが、自分の住んでいるところで何も関係性を持てない高齢者が多い、というところを変えていく何かは必要であるような気がします。恐らくは父が「会社人間から地域人間へ」みたいなことを言い出したことのきっかけとして、当時実家の近所で開業した庭瀬康二氏の存在と、彼が提唱していた「メデュトピア」という発想およびそれに基づいて彼が実践していたことがあるはずで、その辺りの再検証も折を見てやっておきたいなぁ、と考えています。