庭瀬康二とメデュトピア
父が亡くなって半年が経ち、地元で偲ぶ会を開催してくれるとのことで、彼の半生のあれこれを映像にまとめる作業をしました。常磐道の反対運動がいわゆる最も成功した政治色の薄い市民運動であることが一つで、もう一つは老後におけるサラリーマンの地域社会でのあり方でした。父はNPO法案などができるはるか前に地元の中高年サラリーマンが週末のみ稼働する地域サービスをする会社、というのを立ち上げました。誤解を恐れずにいうとNPOの先駆けのような活動でした。自宅は寝る場所でしかなく、住んでいるけど地域との接点がないサラリーマンが老後地域にどう解け込むか、という一つのアイディアではありましたが、父の場合、常磐道運動でつるんだ地元の仲間と定年後も付き合える環境を作るというのも大きかったようです。
父の50代後半からの大きなテーマは「会社人間がいかに地域人間になるか」というものでした。具体的な行動としては今書いた会社の設立でしたが、こうしたモチベーションのきっかけになったのはその頃実家の近くに開業した医師の庭瀬康二氏の存在が大きかったように思えます。庭瀬氏は阿佐ヶ谷の河北病院で癌治療に携わり、80年代に「がん病棟のカルテ」という本を著しベストセラーとなりました。彼が流山に開業してメデュトピアというコンセプトをうちだしました。これはMedical+Education+Utopiaの合成語で、医療を軸とした理想的な高齢化社会のあり方を模索したものでした。世代を超えて触れ合える農園を作り、老人相手のレクチャーの会、「老稚園」を定期的に開催し、週末は地元の有志とのミーティングを開催し、地域のコミュニケーションをより良いものとするという目的があったように思えます。父が週末会社を立ち上げる前からここに参画していたことから、ここでの意見交換のあれこれが大きな影響を与えたことがうかがえます。庭瀬氏が癌で比較的若くして逝去されたので、この活動はほとんど記録に残っていないのですが、高齢化社会がやってくることに対するつかみどころのない不安だけがあった80年代前半にありながら、今見ても新鮮に思えるところが多々あります。現在ではデイケアなどのサービスもかなりきちんと構築されてはいますが、あくまでも個人のケアの領域を出ておらず、地域とのコミュニケーション的なことについて、庭瀬氏のメデュトピア的発想には大きな示唆が含まれているように思えます。自分の仕事とは全く関係のない領域ですが(とはいえ自分もそろそろ高齢者の仲間入りをすることになる)、この辺りは少し掘り起こして調べてみようと思います。