私が自分のビッグバンドで心がけていること。 | music-geek

私が自分のビッグバンドで心がけていること。

年に1−2回しかできていませんが、自分名義のビッグバンドっていうのをかれこれ20年弱くらいやっています。テーマとしては

 

「アメリカのオリジナルアートフォームを演奏する外国人である日本人として、日本で知られていないけど内容の素晴らしいものをやりたい」

 

というのが念頭にあります。ベイシーやミンツァーやサドなど日本のビッグバンドファンにお馴染みのものをやるのは楽しいんだけど、もはややられすぎてて自分のバンドでやる意義を感じないのです。結果としてウエストコーストの巨匠アレンジャーの比率がやや高いようなライブラリーになっています。2011年からは岩本町にあったTokyo TUCで「特定のコンポーザーに焦点を絞ったプログラム」でのライブシリーズをやりました。その流れで助成金などを使って海外からアーチストを招聘してその人の作品をやる、というところまでやりました。招聘したのは2010年のCarl Saunders, 2014,18年のEero Koivistoinen, 2015年のMats Holmquistでした。マッツに至っては彼がその年の6月にニューヨークで録音した譜面をアルバムリリースされる半年前に東京でやってしまうという痛快な事態となりました。プログラムが毎回変わるので、「あいつは何がやりたいのかわからない」というご批判もあったようなのですが、私としては「様々なスタイルのものをかたっぱしからやりたい」ということなのです。

 

ビッグバンドをやるにあたって、自分のバンドでモットーにしていることがあります。それは

 

「ピアニシモを綺麗に響かせることができるバンドであること」

 

です。なぜか日本の非クラシックな音楽の世界では「電気的な音量増幅をするのがデフォルト」みたいなこところがあって、結果として音の押し付けになっている状況が非常に多いと感じているのです。生音でピアニシモをきちんと作れることでよりはっきりしたダイナミクスのコントラストがつけられるし、マリア.シュナイダーやボブ.ブルックマイヤーやケニー.ウィーラーのような繊細なアンサンブルは生音ベースであってこそきちんと作れると考えているのです(90年代にマリアはNYCで何度も見ましたが、ほぼ生音のセッティングであったと記憶しています)。

 

メル.ルイスがドラムのケニー.ワシントンを諭した時にこんなことを言ったそうです。

 

「もしキミが全員の音を聞くことができなければそれはキミがラウドに叩きすぎているのであってキミの責任なのだ。もし全員がはっきり聞こえていたら、そのサウンドのバランスはバンドスタンドや客席でも同じなのだ。これはカーネギーホールだろうが場末のレストランであろうがどこでも同じことなのだ。」と。

 

メルがそう言ってるということはサドメル時代のみならずVJOに至るまで、ニューヨークのビッグバンドのサウンド構築のデフォルトはこういうことなんだと思われるのです。そして5年前に参加できたバリー.ハリスのラージアンサンブルのリハーサルではビッグバンド+コーラス+ストリングスをアンプ一切なしでバランスさせていたし、それがバリーさんのデフォルトでした。私自身はオクテットやテンテットでは7年前からベースも生音(ギターだけはアンプでバランスさせないとラインで弾いた時に管楽器とバランスできないのでアンプを使います)でサウンドを作るようになっていて、挙句野外でもベースを生音でやったりしてました(もちろんちゃんとバランスしてました)。よく海外でビッグバンドのライブを見てるとかぶりつきなのにうるさくない、みたいなことがよく言われますが、そもそもうるさくなんて吹いてないんです。生音でバランスさせることがニューヨークのデフォルトで、私のバンドは期せずしてニューヨーク標準になっていた、ということなのです。

 

来月8/6に先日96で亡くなったビル.ホルマンのトリビュートをします。Carl Saundersからビル.ホルマン.バンドのリハーサルの録音をもらったのですが、やはり電気的増幅はゼロでした。なので可能な限り生音でやります。去年のThad Jones生誕100年記念ライブの時もベース生音でできたので、多分できるだろう、と。こういうことをやってるビッグバンドは日本ではかなりレアだと思うので、騙されたと思って見に来てくれると嬉しいですね。