日本人の欠点〜逆の立場で考えられないということ。 | music-geek

日本人の欠点〜逆の立場で考えられないということ。

何度も書いていることですが、日本人の多くの人が学びや自己表現に際して「間違えてはいけない」とか「間違えたら恥ずかしい」という強迫観念を強く持っていることを問題視しています。例えばジャズをやりたいと思っている人の多くがアドリブを取る時にこういう理由で躊躇しがちだし、英会話ができるようになりたいと思ってる人もやっぱり同じような言い訳をして「やらないから上手くならない」というループに陥ってしまっているように思えるのです。ゲームであれスポーツであれ語学であれ音楽であれ、凡そ全ての習い事は


「規則やルールを学び、練習することによって上達する」
 

ものですが、間違いを恐れたり羞恥心が優ってしまって
 

「練習しない」


事態に陥っちゃうんです。練習しなければ上達は有り得ません。だからこの姿勢は非常にもったいないことだと思えてなりません。外国語会話について言うならば、街中で海外の人に外国語なりカタコトの日本語なりで質問されたら、大抵の人は「頑張って理解して答えてあげよう」としますよね?

ならばその逆はなぜできないんだろう?と考えるのです。英会話について言えば「ネイティブのように話したい」みたいな広告もまた多いわけですが、それ大切ですかね?逆にお尋ねしたいですが、あなたの周りでネイティブに日本語を話せる外国人の人なんていますか?ほとんどいないはずです。だとしたら発音の悪さでエクスキューズすることって無意味ですよね?
この多くの日本人の中に根深くある「〜してはいけない」という発想は百害あって一利なしなのではないかと思えます。例えば、「他人に迷惑をかけてはいけない」というヤツ。素晴らしいようにも感じられますが、読みかじったところ、インド辺りでは「お前も迷惑をかけまくって生きているのだから他人が自分に迷惑なことをかれても許容しなさい」みたいな考え方もあるようです。「他人に迷惑をかけてはいけない」とは誰に対する忖度でしょうか?ましてや自分が習い事をして何か上手になりたいと思っている時に「間違えたらいけない」って誰に忖度してるんでしょうか?
この辺りに多くのボタンの掛け違いみたいなものがあるように思えてなりません。
また、話が少し飛びますが、近年のネット言論の上で、公共の場における子供のギャン泣きはまかりならん、とかベビーカーの持ち込みってどうよ、みたいなことが書かれたりします。書いている人には「自分が子供の時にもきっとそういうことがあったかもしれない」とか「自分が子供を持って相手の立場に立ったら」という視点が見事に欠落しています。私が子供の頃は「相手の立場に立って考える」ことは大事だと教わったような気もしますが、これが今の日本から見事に欠落してしまったように見えます。いい音楽を作る、良いアンサンブルを作るには周りを聴いて自分のポジションを確認しつつ演奏することがマストですし、スモールバンドでソロ吹いている時もリズムセクションがやってることを全力で聴いてリアクションとかしないと面白くなりません。相手のことを聴き、考えながら物事を進めると物事は良い方に進むと思います。ジャズの現場で「間違えたらいけない」なんて考えてたら面白いことはできません。こっちが間違えた、と思ってもそれをリズムセクションがうまく拾ってくれて予想外に面白いことになるのもまたよくある話なのです。