文法と理論 | music-geek

文法と理論

ここ数日、ジャズのアドリブの理論というか方便みたいなところの議論でアヴェイラブルノートスケール云々というので色々論争的なものがあるのを見ています。私は独学なので用語は知ってるけど意味は知りません。でもそれで困っていません。だからどーでもいい話にしか見えていません。ジャズの和声の理論も西洋音楽の理論に基づいているので、まずはそれに対して相応の知識を得た上で語るべきと思いますが、なぜか日本でジャズを教えるというかインプロヴァイズのアプローチを考えるということについてはそこがお留守になっててアヴェイラブルなんとかみたいな言葉が跋扈してるんです。プロレスがレスリングをベースにしてるのに総合格闘技とか色々な枝分かれをしてそもそものレスリングが忘れられてるのにも似てるような気がします(学生時代にジャズとプロレスの共通点を説く先輩がいたことを思い出したので書いておきます)。うん。だから、ジャズの和声の理論はそもそもオーセンティックなクラシックのセオリーがベースなのに、そこをスルーしてあーだこーだ言ってる状況に違和感を感じるんです。ジョセフ.シリンガーもジョージ.ラッセルも既存のクラシックの和声法の限界を打ち破るために理論を考えたわけですが、それを理解しようとするならば、既存のクラシックの和声の理論をある程度は勉強するべきで、それをベースにして喧々諤々すべきなのにそうなってないですよね。音楽には言語的なものがあるわけですが、本来の文法論を踏まえないで各論を言ってる感じがします。ルイ.アームストロングの演奏はそうした小賢しい理屈を超越していますよね。そういうことです。

 

そういえば何年か前(10年前くらいだったかもしれない)、友人でトロンボーン吹きでアレンジャーで自分でも理論の本を出してるScott Reevesが、ピアニストのケニー.ワーナー(この人のEffortless Masteryは名著)が言ってたことを教えてくれたのですがこれが凄かった。

曰く、

「自国語を話すときに文法を考えないのと同じで、音楽の理論的なことが潜在意識の中に入ってしまえば理論のことを考える必要はない」

と。

 

これは個人的にはめっちゃインパクトがあった言葉で、多分言語と音楽とコミュニケーションみたいなものを総合的に考えるような姿勢ができたのはこの言葉のおかげ。

 

英語だろうとクラシックだろうとジャズだろうと、我々日本人にとって異文化であるものを取り込むには勉強は大事というか避けて通れないものです。でも、そこで大事なのは小理屈ではないのです。用語を振り回して他人を煙に巻く手口はあんまり好きになれません。ラッセル.ガルシアが90歳くらいの時にこう話していたことはとてもインパクトがありました(思考としてはロマン派的ではありますが)。