ドレミファソラシドはどこに行った?〜日本のジャズを教える現場の謎 | music-geek

ドレミファソラシドはどこに行った?〜日本のジャズを教える現場の謎

るここ数日、FB上でアヴェイラブルノートスケールの話がジャズギター関係者筋を中心に盛り上がっています。その談義を見ていて一つ大きな謎が浮かび上がってきました。それはダイアトニックスケールはなぜ話題に上がらないの?でした。ダイアトニックスケール、すなわちピアノの白鍵の並びのスケールです。ジャズの理論はクラシックのそれがベースになっています。クラシックの音楽理論はドイツ〜オーストリアの民族音楽の理論をアカデミック化したものであって、ベースになるスケールはダイアトニック(イオニアンスケール)です。このスケールの持つ機能性を理解することが第一であって、実際のところ、ビバップが出てくる前のスイングジャズでのアンサンブルでのトニックはMaj6(add9)でした。ビバップのアイディアが出てくるまでのジャズの和声やアドリブのアプローチはダイアトニカルで、そこにブルーノートが加わる程度のものでした。まだオルタードテンションとかトライトーンと利用したサブスティテューションは生まれていません。そうした時代のジャズのアドリブは基本ダイアトニックなのに、なぜかこのスケールの機能性を語ることなしに「アヴェイラブルノートスケール」など枝葉末節がお題目になっちゃう。基本を教えないでいきなり応用に行くからみんな戸惑うんじゃないのかなぁ、と思われてなりません。思えば今の日本のジャズ教育の現場で教鞭をとっている人の大多数がバークリー出身の方々です。バークリーで教えていることの根幹にはシリンガーシステムがあるのですが、これは音楽を数理的に分析して考えるという発想で、おそらくは調性の壁で袋小路に陥ってしまったドイツ〜オーストリア音楽ベースのいわゆるクラシックの音楽理論を別の視点から見てその可能性を拡大していったものと思われるのです。もしそうであるならば、シリンガー的発想の前にきちんとクラシックの理論の基礎を確認するべきだと思うんです。ここが日本のジャズ教育の現場では抜け落ちているのではないか?と感じられるのです。重複しますが、プレビバップのジャズのアドリブはダイアトニックスケールベースでしたし、例えば若い頃のチェット.ベイカーのスタイルはいわゆるビバッパーと比べると、クロマチックな経過音の少ないダイアトニカルなプレイでした。マーク.レヴィンのセオリーブックはメジャースケールとメロディックマイナースケールの機能性の理解がそのキモであるようにも思われます。ジャズのコード進行の代表的なものの一つにⅡ-Ⅴ-Ⅰってのがあります。コードで書けばDm7-G7-CMaj7ですが、これはピアノの白鍵をどこから始めるか、だけの話で、モード的にはCイオニアンなのです。ピアノの白鍵だけ弾いてれば音楽的な破綻はありません。そういうところを飛ばして教えちゃう現場が多いのであれば、それはアマチュアプレイヤーを増やすという意味においてちょっと損失なのではないかな?とも感じます。ちなみにバリー.ハリスはワークショップでは「major scale」と「minor scale」という言葉しか使いませんでした。もちろん「be bop scale」なんて言いません。この落差はどこからくるんでしょう?