延命措置は誰のため? | music-geek

延命措置は誰のため?

今年に入ってから父親の衰えが進み、この2ヶ月で更にそのピッチが上がってあっという間に終末医療状態になりました。大きな病気を抱えているわけではないので純粋に老衰です。意識というか頭脳の方はほとんどボケてないので、話すことができなくなってはいますが意思表示ははっきりしています。訪問診療を担当してくれる先生からは持ってあと○日くらいではないか、という見解が示され、治療云々ということと並行して我々が受容するためのイニシエーション的な内容もかなりありました。私としては「なるようにしかならないのだからなるようにしかしないつもりである」ということを伝えました。良寛の「災害に遭う時分には災害に遭うがよく候。死ぬ時分には死ぬがよく候。これはこれ、艱難辛苦を乗り越える妙法なり」という手紙を書いたエピソードがあるのですが、すなわち現実を見据えてそこで最善を尽くせ、と。延命措置をしてもらいたい心情もなくはないですが、老衰という自然現象に抗うことの意味とは何か?延命措置を頼むのは誰のエゴなのか?ということを冷静に考えないといけないのではないかと。かつて昭和天皇が崩御したとき、最後の方は下血した分を輸血する、みたいな対応でしたが、それでも最後は訪れるわけで、崩御させてはならない、ってのは誰のエゴだったのかって思うに本人じゃないと思うんですよね。良寛のエピソードはイスラムの「神のご加護を」にも少し通じるような気もします。Live until die.で良いのではないか、というかこれ以外の選択肢はないのではないかと。斯くして禅問答は続くのでありました。