時代遅れの参考書で英語を学ばされている日本人の悲劇。 | music-geek

時代遅れの参考書で英語を学ばされている日本人の悲劇。

以下、自分で日本語の参考書と英文の参考書を並行して英文法の学び直しをしている自分の見解です。

 

日本語では述語になる品詞は「用言」と呼ばれていて動詞以外の品詞が述語になり得ます。形容詞、形容動詞、名刺+助動詞が述語になれます。他方、英語を含むいわゆるインド=ヨーロピアン語族の言語では述語は必ず「動詞」です。つまり、日本語で述語が動詞以外のものは欧米言語では述語のない不完全な文になっています。だから文として成立させるにはbe動詞が必要になります。ということは、be動詞は「日本語にないシステム」なのです。中国語でもそうなので、昭和の中国人のアニメキャラが「私中国人アルよ」ってなるのは中国語の「我是中国人」という文の「是」の字が日本語だと浮いてしまうので「アルよ」に転嫁されるのだと推測できます。

翻って英文法を見てみると最初にbe動詞が出てきます。いきなり「日本語にないシステム」から説明されるのです。英語は言いたいことを先に言う言語、みたいな性質を持っていますし、主語述語を先に言うと言う仕組みを体感するならば述語が動詞(英語で一般動詞)と言われるやつの文を先に学んだ方が入りやすいはずなのです。でもそうなってない。

なぜそうなのか、と言うと古くからイギリスで書かれている英文法の参考書はbe動詞から始まるから、と言うのが理由のように思われます。でも、イギリスで英語を勉強したいと思う人のターゲットはヨーロッパの国々の人がメインなのではないでしょうか。ならばその国々の言語の述語は動詞であるはずです。つまりドイツ語であればIch bin Japanische.のIch binがI amに、スペイン語であればYo soy japonesaのYo soyがI amに置き換わるだけだから簡単に理解できるんです。でもこれは日本語にないシステムだからいきなりこれだと壁になりやすいと思うんです。

自分の知る限り、英語の文法の参考書は1970年代半ばから現在までほぼ一言一句変わってないことから、おそらくは戦後に一度も改訂されていないと思われます。1935年の谷崎潤一郎の文書読本での文面を見るに、戦前から変わっていないことも推測されます。おそらくは明治の時代に日本語の参考書を作った方の労力は大変なものだっただろうとは思うんだけど、この文章構造の差異を認識して編集したかと言うとおそらくそこまで手が回らなかったのではないかと思えます。そして現行の英文法の参考書でも「状態を表す文」についての文法の説明が絶望的にヘタクソというか言葉足らずになっています。分詞の説明とか目的格補語の説明の捌きの悪さとかもう絶望的です。これが100年以上見直しされず、十年一日でこれで学ばされると言うのは日本人にとって不幸なのではあるまいかと思われるのです。

 

文部科学省は日本人が英語を使えるように、と躍起ですが、100年以上も前に原型が作られてから一度もアップデイトもされてないマニュアルで学べ、と言うのが不合理だと思います。 使える英語を身につけるためという名目で英語の学習が小5からになりましたが、そもそも国文法の学習が小6以降なのですから、文法的な説明などできるわけも、この年次の子供にそれを理解する論理的思考力が全員に備わっているわけもないので、小学英語なんか全く意味がないのに、中学になるといきなり文法の詰め込みが始まるのが今の学校英語の実態です。2年やってるから分かってるよね、っていう前提でこんなのでは英語嫌いが増えるだけだし使える英語なんて無理です。しかも参考書が誤謬だらけ。語族の違う、つまりルーツの全然違う言語を外国語として学ぶのであれば、その言語構造の違いを認識して編集された文法参考書があってしかるべきなのにそれがない。これは言語学者の怠慢なのではありますまいか。