エチュードと教祖様 | music-geek

エチュードと教祖様

トランペットはもう早いもので最初に音を出してから50年くらいになろうとしていますが、特定の先生についたことのない独学なので、今尚改善できるポイントがまだたくさんあると実感しています。なので、様々なエチュードや本をチェックしています。練習曲が主体のエチュードは「何をどれくらい」がわからないんですよね。練習曲は例えて言えばスポーツのトレーニングみたいなものなんですが、スポーツのトレーニングで練習量や休憩時間など効率の良いプログラム、みたいなものが存在しないのでそこを試行錯誤しながらやらないといけません。これは考え始めるとキリがないので気分でやってます。

 

厄介なのは奏法についてあれこれと論じられてるタイプの本です。これ、それぞれに信者がいてその本が最高って考えて他を害悪視したり、そうしたグループで派閥を作ってしまう傾向があるんです。奏法についての本は百家争鳴なんですが、どの本も「いかに楽に自然に無理なく吹けるか」と言うことを考えていると言う点で共通しています。同じようなことを言ってるんだけど言い回しが違うとかその言い回しが誤解を生んじゃう、みたいなところで色々厄介なことが起きちゃう。例えばボビー.シューはクラウド.ゴードンをCrazyの一言で切り捨てちゃうし、ボブ.リーヴスに対しても「楽器を吹くことが仕事じゃないやつの言うことなど信用できるか?」という感じでした。ボビーさんはヘルニアで吹けなくなった時に自分で医学書や物理の本など様々な本を読んで「いかに自然で楽に吹けるか」を考え倒したわけですが、クラウドもボブもやはり「いかに自然で楽に吹けるか?」を考えているのです。同じことを考えてるのにこうしたところで壁ができちゃうのはもったいないなぁ、と思うのです。ボビーやクラウドや色々な人が色々な言い方をしていることにある共通点は何か、ということを可能な限り探したいと思うのです。例えばノンプレッシャー奏法なんていう言葉、どこでどう出たのかわからないけど、多分教えてる現場で言葉のアヤでno pressureって言っちゃった(本当であればleast pressureではなかったかと思われるのだけど)ことが広まっちゃって厄介なことになったりしたようなケースは枚挙にいとまがないように思えるのです。コステロ=スティーブンスの「アップストリーム」も本を見るとイラストのイメージで誤解されたような気もしなくはありません。日本ではこの本はほぼ完全にスルーですが、これの信奉者にはキャット.アンダーソンやアルマンド.ギターラのような巨人がいましたし、他の本では漠然としか触れられていないことがかなり明瞭に書いてあったりします。ペダルトーンがハイノートを吹くために重要、っていうことも昔から言われてましたが簡潔明瞭で具体的で腑に落ちる話は見たことがありませんでした。これは Charlie Poterのyoutubeでの動画で納得する説明を得ることができました。また現在は「たっぷりエアをとって上手に使う」が主流ですが、アーバンより古い有名なエチュードであるセイント.ジャコムには「エアはフレーズを吹き切る程度吸うこと」って書いてあります。個人的な直観としては、トランペットは管が細くて大量のエアが入らないので、多量に吸うとオーボエと一緒で「息を捨てる」作業が必要になることを回避したのではないかと推測しています。エアの取り方だけでも時代で解釈が違うんです。

 

なので、特定のものを教祖にするのではなく、フラットな視線で可能な限る多くの情報を集め、それを自分の中で可能な限りわかりやすく咀嚼する、ということが一番良いのではないかと感じています。最近入手したドクシツェルの本にも興味深いことが結構書いてあって、精読するのが楽しみなのです。