クラシックのようにジャズを演奏したい。 | music-geek

クラシックのようにジャズを演奏したい。

という風に最近は考えています。音量の電気的増幅を可能な限り抑えて、ピアニシモはピアニシモとしてちゃんと演奏したいのです。ソロピアノなんかだとこれが普通にできますが、バンドになると日本ではなぜかなかなかこれができません。ウィントン.マルサリスのバンドはいつも生音でやってますが、あれはウィントンの専売特許ではありません。2019年の春に参加したバリー.ハリスのラージアンサンブルのリハーサルはビッグバンド+コーラス+ストリングスを生音でバランスさせてて、それがバリーさんのデフォルトでした。そういえば、20年ほど前にトロンボーンのFred Simmonsが「ビッグバンドとスモールバンドの違いは人の数だけだ」と言ってくれたことがあって、つまりビッグバンドであろうがコンボであろうがジャズであろうがクラシックであろうがピアニシモはピアニシモだ、と。

私としてはこれは大事にしたいところで、中規模編成のバンドでは5年前から、ビッグバンドでも去年は生音でのライブをやりました。ちゃんとできました。考えていれば、古いyoutubeの映像などを見ていても、1970年くらいまでは、というかマイクは立ってるけど、それは収録用のものでしかなく、現場は生音でやってるケースがとても多いのです。ビッグバンド全盛期の会場の現場もまず生音でしょう。スタン.ケントンのOBでもあるラッパのMike VaxはケントンのWall of Soundについて、ラウドに鳴らす時はもちろん、ピアニシモが素晴らしかった、と。

ここは大事にしたいな、と思うわけです。

 

もう一つ。音楽っていうのは音のデザインなので、時代で様々なスタイルがあります。私は1950-60年代あたりに出てきたデザインが好きなのですが、日本の(海外も?)ジャズジャーナリズムは「新しい」ものを求めたがります。でも例えばベニー.ゴルソンのアレンジしたゴルソンハーモニーと呼ばれるものはリアレンジするともはやゴルソンの響きではありません。新しいデザインは考えなくてはいけませんが、古いものをきちんと再演することはこれからさらに重要になると思われます。そもそもジャズバンドのフォーマットだって、1940年代に全盛を迎えたスイングビッグバンドのフォーマットがベースだし、スモールコンボではブレイキーやマイルスたちのフォーマットがベースです。でもそのフォーマットの中で時代時代の音があります。ジャズスタンダードなんて100年くらい昔の歌の「カバー」に過ぎません。落語の古典ネタみたいなものです。もし落語が新作しかからられなくなったら落語のスタイルは残るのでしょうか?そうは思えませんし、ジャズもまた然りと思うのです。古いスタイルのアレンジを取り上げても演者が違うからソロは別モノになるので同じにはならないはずです(落語と一緒だ)。ここはじっくり考えておく必要があるように思えるのです。

 

クラシックだと彼は誰の弟子だからあの人の孫弟子になる、なんて言い方が時々されますが、ジャズでもそうした繋がり的なものはアメリカでははっきりあるように思われます。私が私淑したエディ.ヘンダーソンは10代の頃からマイルスと親交があり、大学院時代に週末にフレディ.ハバードとリー.モーガンに学んでいます。彼から教わったことはそうした過去の巨人(ハバードとモーガン)のヴァイブをダイレクトに受け継ぐものでした。ジャズはアメリカン.オリジナル.アートフォームであり、ある種伝統芸能であるわけだから、その流れは繋いでいかなければならない、とも思うのです。そうしたことを考えるに、クラシック音楽的なアプローチというものはジャズでも考えられないといけないと思います。そればかりをやってれば良いというわけでは当然ないですが、他国の音楽文化をやっている以上、本国の人以上にこれは考えてもいいのかなぁ、と思ったりするわけです。

 

月末に10人編成のジャズアンサンブルをやります。素材はすべて過去の他人のアレンジです。それをやる理由は内容が素晴らしいから。私みたいな独学が思いつきで書いたアレンジで自己顕示欲を満たすくらいならば、既存の名品をきちんと演奏することをしたいと思うのです。でもその大半は日本で回顧されたことがほとんどないものなので、響きとしては斬新なはずなのです。この10年くらい、アメリカ本国でもこうした埋もれたアレンジの復刻が地道になされていることを考えると、こうした作業って大事なんじゃないかなぁ、と思えるのです。