ジャズインプロビゼーションと英会話の習得に見える、学びについて日本人の抱える大きな問題 | music-geek

ジャズインプロビゼーションと英会話の習得に見える、学びについて日本人の抱える大きな問題

私はジャズのインプロビゼーション、いわゆるアドリブと英会話の習得には共通点が多いとかなり前から考えていて、色々と考察を続けています。音楽も言語もある意味コミュニケーションツールという共通点があるので、学びのプロセスはほぼ同じなのです(およそ全ての習い事に共通すると思います)。

 

 

 

添付したjpegを見ていただければわかってもらえると思うのですが、和声などのセオリーが文法、音を可視化したものが楽譜でこれは文字に該当します。作曲は執筆。聞き取りはディクテーション。インプロバイズは会話のようなもので、スタイルの違いが方言のようなものです。日本の英語教育では文法と読み方しか教えませんし、音楽については楽譜の読み方くらいしか教えません。つまり日本の英語や音楽の勉強では「読み方」しか教えてないわけです。もちろん集団学習なので、全員にもれなく会話まで教えるなんてことは物理的に不可能であることも理解できます。ここで事をさらに厄介にしているのが学びについて日本人の多くが抱えている先入観、もしくは強迫観念なのです。すなわち

 

「できないと恥ずかしい」「間違えてはいけない」「間違えたら怒られる」などなどなどなどです。

 

ゲームやスポーツではどんなにヘボでも臆面もなく人前で練習できたり試合できたりするのに、なぜか学びではこうした強迫観念がすごく強くなってしまうんです。頭おかしいとしか言いようがありません。なぜって全ての習い事は「間違えながら上達するもの」だからです。その間違え方だってその人の個性たりうるのですが。会話やインプロバイズだって上達したければ間違おうが何をしようが実践しないと上達しないのに、多くの人がここで躊躇するんです。間違う事を恥ずかしがったり怖がったりするからロクに練習もできずその結果全然上達しないということに気づけてない感じなんです。恐らくは日本の学校教育のあり方に大きな誤謬があってそれがこうしたところに影を落としているのだとしか思えませんし、そこを変えていくことって大事だと思います。ジャズのアドリブはともかく、英会話についていえば私の場合例えば3人称単数現在形の"s"なんて会話では落としまくりだし時勢だって時々怪しいですが、向こうだって日本語できないしその程度の文法のミスはスルーしてくれるので「お前の英語は上手いな」なんて言われたりするし、「お前の文法はおかしいから直せ」なんて絶対に言われないのです。物事の座標軸には「上手-下手」ってのと「良い-悪い」ってのがあります。コミュニケーションの現場では多少ヘタクソであってもその人の熱意は誠実さが伝われば「良い」ものになるのに日本の教育ではこれが忘れられているんです。発音だって英語では大した問題じゃないんです(音楽ではものすごく大事なことです)。ノーベル賞取られた眞鍋先生の英語なんて何十年もアメリカの大学で教鞭をとってるけど見事なカタカナ英語だし(但し文章の切り方がものすごく上手)、秋吉敏子さんみたいに在米何十年で旦那もアメリカ人みたいな人でも英語はカタカナ。そもそもNYCでタクシードライバーやってる人達の大半がテレビで話されるようなネイティブな発音じゃないもん。

 

そもそも日本人って外部とのコミュニケーションの取り方が上手だったように思えるのです。安土桃山時代にポルトガルの宣教師であったルイス.フロイスが残した本を見ていると、下々の人と案外普通にコミュニケーションが取れていたことが推測できるのです。フロイスの記録を読みながら、なんで今の日本人ってこんなに異文化コミュニケーションがヘタクソになっちゃったんだろう、と考えます。おそらくその理由は明治以降の教育にあると推測しています。確証はないのですが、この辺りもちょっと調べたいところです。

 

つまるところ、

 

「間違いを恐れることなく、過剰に恥じることもなくちゃんとやれ」

 

っていうのが要諦なのだ、と思うわけです。