仕事が出来る人と聞くと
良いイメージな印象を与えるかもしれない。
仕事が出来るということは
いろんな人に貢献ができるだろうし、
お金もたくさん得る事が出来るだろう。
人に底知れぬ勇気や希望を与えるのかもしれない。
でも
どんなこと良い事の裏には
悪い意味での解釈にもとれることは可能なのである。
では
この仕事が出来るという
一見いいことにしかみえないイメージの中に
どのような悪いメッセージが隠れているというのだろうか。
それを考えていきたい。
仕事が出来るとういことは
言ってみればもう少し噛み砕いて言うのであれば、
他人に期待に応えられているということだろう。
お客さんの期待に応える。
会社の期待に応える。
これが
仕事の出来るということの特徴なのである。
でもそこには
もうひとつの期待には応えていないのである。
それは自分の期待に応えてる観点だ。
つまり、
仕事が出来る人は
他の誰かの期待には応えていると言えるが
自分の期待には応えられていない可能性があるということを示唆している。
仕事が出来る人=他人の期待に応えられているということであり、
=自分の期待に応えられているということではないということだ。
もちろん、
仕事が出来る人がみんなそうだといっているのではない。
あくまで可能性の話であり、
仕事が出来る人は往々にして
自分の期待に応えられているパターンが多いのかもしれない。
しかし、
そこには自分自身がないという可能性を否定してはいけないということだ。
そしてそういう自分の期待を満たしていかないと
より大きくはなっていかない。
継続的にやっていくことは非常に困難を伴う。
だから、
もう一度あたらためてみた方が良い。
とくに普段仕事が出来ると思い込んでいる人は
果たして、自分は自分自身の期待に応えられているかということを
自問自答してみる必要があるのではないだろうか。