自分自身が基準になれば、
もう顔色をうかがうことはなくなってくる。
外のなにかに
基準があるということは
それだけで
人生の主導権を奪われているということになりかねない。
もちろん、
法律だとか最低限のマナーやルールは
守らなければいけないのかもしれない。
それでも、
自分自身を少しずつにでも
基準としていかなければ、
本当の意味で
ありのままの自分自身を出す事はできないだろう。
だから、
少しずつ、
一歩ずつで良いから
自分自身を基準にしていかなければいけない。
自分自身を基準にすることが難しいのは
自分の基準と周りの基準が
違うときだろう。
同じときであれば
そこに違和感は生じない。
そこに違いが生まれるときに
どういう対応がとれるかということが
大事なのだ。
周りと差違が出てくるということは
批判を受ける可能性があるということだ。
その批判に打ち勝つのか
開き直るのか
無視するのか
対処方法は
人それぞれだろうが、
とにかく
その批判を乗り越えることができなければ
自分の基準を手に入れることはできない。
自分基準は
時に孤独がともなう。
それに耐えられる人にのみ
自分基準は与えられるのだ。
簡単なことではないだろうが、
味方がいないわけではない。
自分自身はどこまでいっても
自分を応援してくれるのだから。
そこを糧にしていけば良い。