何かを食してとてもよかった時の感想は
と言われれば
うまい
または
おいしい
が大抵ではないだろうか。
おそらく
この二つの言葉で
良かった場合の9割以上をカバーできるだろう。
しかし
同じおいしいや上手いでも
料理の数にだけ
味はあるのだ。
それをたった二つの言葉で
まとめてしまう。
言葉というのは
案外適当なものなのだ。
言葉がなければ
我々を意思を疎通することが
できないし
自分というものを客観的に
認知することはできないのだろう。
言葉にたよるところはたよっていいのだが、
頼りすぎると本質が抜け落ちてしまう。
言葉というのは
言って見れば
自分の思いをデジタル化していくことだ。
だから
デジタル化されたということは
そこには取り外された部分があるということを
忘れてはいけない。
もちろんこれは
うまいやおいしいだけにいっているのではない。
なにか自分の思いを言葉にした時点で
自分の思いは少なからずこぼれ落ちているのだ。
そのことを認識しておかないと
本当に大切なことを見失いかねない。
なんでも感でも
言葉にすればいいということではない。
人はとかく簡単な言葉に落とし込もうとする。
わからないという状態が気持ち悪いからだ。
気持ち悪いから気持ちよくなるためには
簡単な結論で
簡単な言葉で決着をつけようとする。
それがいけないのだ。
それならば
簡単な結論を出さずに
気持ち悪くいた方が断然いいのだ。
気持ち悪さが続いているということは
考えることをやめていないということなのだから。
だから簡単な言葉で簡単な結論は出すな。