こんにちは、吉田です。
突然ですがあなたの役割はなんですか?
生きていればいろいろな役割が生じてくるでしょう。
例えばある既婚男性で子供がいる場合の場合
この場合は夫であり父であり、さらにその人の親からしてみら
立場は子になります。
また、会社につとめていれば社員という役割になり
友人からみれば、地域からみれば、日本からみれば
とあらゆる角度からやっていると自分という定義付けは限りなくあります。
そしてその瞬間その瞬間で変わっていくのです。
つまりこれと決まった役割というのはなく
あくまで私たちが普段演じている役割は
仮の姿なのです。
極論、死んでしまえば役割はなくなってしまします。
仮の役割でありペルソナ(仮の仮面)なのです
そしてあなたはこの世という舞台の中でどんな役を演じたって良いのです。
目立つ役がやりたければそれをやればいいし、縁の下の力持ち的なものが
いいのであればそれをやればいいのです。
さてもう一度役割に戻りますと
もしあなたの役割がしっくりきていないのであれば
それはすぐにやめるべきです。
自分のココロの深い所では自分は何者かが分かっています。
だから、自分の役割が分かったときはこれだ!という
思いにきっとなるでしょう。
もう一度普段演じている自分の役割に
ついて考えてみてください。
そして、聞いてみてください。
あなたの役割はこれでいいのかと。
このことは非常に重要なことなのです。
そして、どうしても普段普通に過ごしていると
主観的にしか生きられないので
意識をして
客観視できる力持っていきたいものです。
あなたはあなたであるとういう事実と共に
あなたは誰かのナニカであるということ。
何かのナニカであるかであるとうことをです。
誰かがあなたを待っている
何かがあなたを待っている
これはナチスの強制収容所に
とらわれたロゴセラピストの
ヴィクトール・フランクル
の言葉です。
人は役割があるからこそ
この世で生きている意味が
あると思うのです。
もし、この世に
あなた以外の誰もいなくなったら
なにもなくなったら
きっと私たちの生きる意味というのは
なくなってしまうでしょう。
だから、時にはこの
客観的な視点が必要になってくるのです。
例えば、一人の人間全体として考えてみましょう。
その中には脳であったり
心臓があったり、肝臓、腎臓、肺、右手、左手
口や目、皮膚や骨や爪までいろいろ名部分で構成をされています。
どれひとつとしてなくなれば、生きていけなくなったり、
不自由な生き方になってしまうのです。
※例外はあるかもれませんが…。
つまり、それぞれにはそれぞれの役割があるわけです。
どれが上だとかどれが下だっていう問題ではありません。
だから、それぞれがそれぞれの役割があり、
それぞれの役割をまっとうすればいいのです。
これを人間の世界に置き換えれば
あなたにはあなたの役割があるのです。
誰が上で誰が下、という問題ではありません。
あなたはあなたの役割をまっとうすればいいのです。
どうしても、人は自分の役割が満足できない場合、
周りを見てしまいます。
すると、隣の芝生は青く見える
ということが起きてしまいます。
自分の役割はこれだ!というものが
見つかったのであれば、そこで勝負をするべきです。
一生懸命その場所で花を咲かせる事です。
肝臓は肝臓の役割をはたさなければならないのです。
肝臓が心臓の役割ははたす事はできないのです。
その役割を演じましょう。
ただし、人間の場合、役割は自分で決められるのです。
他人に言われるものではないし、
なにより、他人があなたの役割を分かる訳がありません。
やってみて、違うと思えば、また違う役割を演じればいいのです。
~あとがき~
play a part 役割を演じるという意味です。
私たちは刹那を生きている訳ですから
その刹那ごとの役割を演じればいい。
自分がしっくりくる役割を。
もし、その役割の状況を抜け出せないので
あれば黙ってその役割を
演じればいいのです。
とにかく、今日も一日
役割を演じて生きましょう。