モンテーニュ、『エセー』より「友情について」 | discordiaconcorsのブログ

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今日はモンテーニュの「友情について」を読みました。

モンテーニュは古代人の分類に従って人間の交際関係を四種類に分割します。

「古代人の言う四種類の交際、すなわち、生まれつきによる交際、社会生活の交際、主客間の交際、性愛による交際は、単独でも、束になって力を合わせても、友情の境地に達することはできない。」(358)

こう述べた後、モンテーニュはそれぞれの交際について論じていくわけですが、彼のいう「友情」とはわれわれがいうような通常の「友情」とは異なります。

「要するに、われわれが普通、友人と呼び、友情と呼んでいるものは、何かの機会もしくは利益のために結ばれた知友関係か信仰にすぎないものであって、われわれの心もただその点でつながっているにすぎない。ところが私の言う友情においては、二人の心は渾然一体と溶け合っていて、縫目もわからないほでである。もしも人から、なぜ彼を愛したのかと問いつめられたら、「それは彼であったから、それは私であったから」と答える以外には、何とも言いようがないように思う。」(364-65)

いかにもホモソーシャルな臭いがプンプンします。ちなみにオスカー・ワイルドは『ドリアン・グレイの肖像』でギリシャの哲学者、シェイクスピアと並んでモンテーニュを同性愛的美の信奉者として言及していた記憶がありますが、ワイルドのモンテーニュに対する見方はこの辺りから出ているのかもしれません。