男は意地の痩せ我慢! | 子猫使いのやすしの日々

男は意地の痩せ我慢!

 電車に乗っていたときのこと。3人がけの席ってあるじゃないですか、車両との継ぎ目のところに。端っこ好きのわたしとしてはあそこ好きなんですよ。3人座れるうちの2人は端っこに座れて、かつ最初っから3人以上は乗れない作りになってるから、それほどせまくて窮屈になることがないから。
 で、運良く3人がけの端っこを確保できたわたしは「これで駅までゆったり行けるな」なんて安心しきっていたら、突如目の前が真っ暗になった。「停電か!?」と思い、顔をあげるとそこにはわたしの眼前をすべて塞ぐほどのスパーデブが立っていた。まさか……と不安になったが、その不安は的中した。スーパーデブはわたしともう一人の人が座っている間に体をねじ込んできた。それはそう、ねじ込むという表現以外表現のしようがないほどに非常にねじ込んできた。巨大なヒップをねじ込むとあとは力任せにそのはち切れているボディをクネクネしながらねじ込んでくる。あまりのねじ込みぶりにこっちの肩が悲鳴を上げた。端っこなのに全然ゆとりがない。
 「ぶっ殺すぞこのスーパーデブ!」と口には出さないが、目で殺そうとしたそのときわたしの目がスーパーデブの読んでいた本を捉えた。「男は意地の痩せ我慢」だと?

 (非常に残念なことに画像もなにもありませんでした。アマゾンには在庫があるようです。)


 ちょっと待てよと。あんた眼鏡を頬肉に食い込ませてそんな本読んでる場合じゃないだろ。あんたが読まないといけないのは確かに「痩せ」のキーワードは合ってるけど、それ「痩せ」違いだよ。そう、こんな本を読むのであれば……


 「男」というものについて考えた。いや、そりゃおれも男なのだから、あえて深く考える必要なんてないんだけど、おれの中の男の部分が「男としてのおれはこれでいいのか?」と自問自答を投げかけてくるわけであって、いまいちすっきりしないから考えてみているわけでありまして。
 男とはなんだろうか?雄である。雄とはなにか?男である。そりゃそうだ、考える必要なんてまるでない。こんなことを考えているなら英単語の一つでも憶えたり、足の爪でも切っていたほうがよほど有意義なんだが、今は残念ながら英単語を覚えることや足の爪を切ることよりも「男」について考えた方がいいみたいだ。なにがいいのかはよく分かんないけど、そっちのほうが楽しいし、将来のおれのためになりそうな気がするんですよ。
 ということでまた思いを馳せる。男とはなにか?雄である。雄とはなにか?男である。だからそうじゃないんだって。もっとこうほら、もう一歩突き進んだ議論はできなのかね。
じゃあちょっと見方を変えてみよう。どんな男になりたいか。そうそう、それいいよ。そういう感じ、うん悪くないよ。ん?なんだ?今映画監督ってフレーズが頭を過ぎった気がしたけど。男とは映画監督なんだろうか?ってことはおれは映画を撮るべきなんだろうか。「男を撮ることでぼくはよりいっそう男というものに興味を持つようになりました」記者会見のときに「監督はどのような理由からこの映画を撮ろうと思われたのですか?」なんて記者に問われたらそう答えよう。いや、でもそう答えると記者会見が終わった後に記者が蕎麦屋でメシ食ってるときに「聞いたか?あの監督の言葉。男に興味を持っただってよ。やばくね、あいつたぶん男好きだよ。女より男が好きな男だよあの監督は」なんてことが囁かれ翌日のスポーツ新聞の夕刊には「男好き監督」なんて誤解200%の記事が載ったりするんだ。あちゃー。映画監督だから男ってわけじゃあなさそうだな。
 じゃあ男とはなにか?おとこことお。とここと。ここ。おとことこ。おとこのこ。何歳から男の子は男になるんだろうね。小学生は男の子だね。中学もおじさんなんかからしたら男の子だけど本人達からしたら「もう自分たばこも酒も女もバイクも知ってるんでぇ、そぉこんとぉこ、よろくぅ」なんて思っている奴はもう自分を男と思っているんだろうな。これがジェネレーションギャップってやつで、中学生だと思って馬鹿にしてるとナイフで刺されたり、鉄パイプで殴られてお陀仏なんてことになったりするから恐ろしい世の中でして。安心できるのはどこでしょうか、この世の中。なんて悲観にくれたりしても、現実として中学生による殺人なんて起こったりするから怖いよね。
 でも鉄パイプって男だよな。あれこそ男の象徴といっても過言ではない気がしてきた。だって鉄パイプと女なんて結びつかないしね。「いやん、こんな重いもの持ちあげられない」なんてバイクで転んで鉄パイプに潰されくねくねさせてる女を助けてやるのは男であり、片手で鉄パイプを振り回す男に女は男を感じるわけで、「なんて鉄パイプの似合う男」なんて不二子ちゃんのような甘い囁きを耳元に寄せたりするわけだ。それで二人でヘルメットかぶったまま銭湯とかいくわけだ。坂道肩寄せて背中には夕日が当たり。
 なら今のおれのこのもやもやは鉄パイプを持てば満たされるかというとそういうわけでもなさそうだから困るんですよ。いいよ、今から工事現場行ってきても。鉄パイプブンブンさせてやりますよ。でもその結果得られるものはなにもないですよ。やってみなけりゃ分かんないって?いや、わかるよ。そりゃ今まで生きてきて鉄パイプブンブンさせたことは一度もないけど、なんとなくわかるよ。だって鉄パイプだもん。男らしいけど、それは男が持つから男らしいだけであって、鉄パイプ持った女を男らしいとは思わないもん。でも鉄パイプを口で咥えてブルンブルンさせたらどうだろうか。男らしいのではないか。女が鉄パイプを口で咥えてブルンブルンさせていたら……狂気の沙汰じゃないな。ホラーだ。
 どうしたいんだ、おれよ?どうすればこの胸のもやもやは消えてなくなるんだ?男塾でも通えばいいのか?ん。いやいや、ちょっと待てよ。男塾には男の中の男がいたじゃないか。なんで忘れていたんだ、あの男を。富樫がいたじゃないか。あの男の中の真の男が。沸騰させた油に全身浸かってみたり、富士山で宙ぶらりんになったときも口で命綱の荒縄を咥え果敢に戦った男がいたじゃないか。男は男塾にあり!向かうは本屋だ!
 しかし男塾なんて古い漫画がまだこんな小奇麗な本屋に置いてあるだろうか。あるじゃん!なんか小さくなってるけどあるじゃん!富樫富樫と。めんどくさいから全巻買うか。けっこうな量だな。めんどくさいから店員呼ぶか。「店員さー……」ちょっと待てよ。おまえなにをする気だ。まさか富樫の真似をする気か。死ぬぞ。間違いなく死ぬぞ。正気の沙汰じゃない。そう、正気の沙汰じゃない。それにおれは男になりたいけど、その純粋な行為が他人の模倣という情けないことの下に成り立っていていいのか。富樫は確かに男だ。おれは認めた。富樫は男の中の男だ。あいつは生き様が男なんだ。模倣して生きていたらおれは自分を男と認められないのではないか。模倣の生き様は男らしくない。ならどうすればいいんだ!膝を叩いても股を叩いても答えは見付からない。男らしい生き様とはなんなんだ!
 ガン!本棚に怒りの拳をめり込んだそのとき、一冊の本が目に入った。なんだって?「男は意地の痩せ我慢」だって。痩せ我慢。痩せ我慢。男は痩せ我慢。富樫は痩せ我慢。男は意地の痩せ我慢!おれは意地の痩せ我慢!そうか、つながった。痩せ我慢こそ男の美学!富樫の男らしさも痩せ我慢の一言に尽きる!男は痩せ我慢してこその男なんだ!「店員さーん、この本買いまーす」


 なんて設定なら分かるんですよ。この本を掴むのも。ただここまで書いておいて画像もリンク先もなにも表示できないのが残念でたまらないのですが、ここまで書いてしまったのでしょぼしょぼですがウップしておきます。今後は気をつけます。