アブノーマルな愛に花束を | 子猫使いのやすしの日々

アブノーマルな愛に花束を

 スターバックスで豆乳仕様のラテをおいしく飲んでいたときのこと。斜向かいの席にちょこんと腰掛けている42歳くらいのマタニティみたいの着込んだ女性が読んでいる本が目に付いた。「あの娘ぼくがこんなシネマ撮ったらどんな顔するだろう」という本を読んでいる。

あの娘ぼくがこんなシネマ撮ったらどんな顔するだろう/河原 雅彦
¥1,470
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 はてなである。どうしてあなたがそのような本を読んでいるのか?今後の参考のためにお聞かせ願えませんかと聞いてみたいなと思ったがもちろん聞くことはできなかった。しかしなぜそんな本を読んでいたのでしょうか。そう、こういう本を読むのであれば……


 あの娘のことを意識するようになったのはいつからだろうか。同じ経済学部の同じクラスだから前から存在は認識していたが、特別に意識するようなことはなかった。それが今ではなんだこの意識のしっぷりは!彼女の姿が映るか否かでその日の善し悪しが決まるようになってしまったのはいつからか。
 講義中の席はいつも決まっている。彼女の真後ろだ。自然に目に入ってきちゃうんですよってことをいつでも弁明できるようにいつもあの娘が教室に入ってきて席に着くのを確認してから彼女の席の真後ろに「お、いいとこ空いてたわ、ここならゆっくり寝れそうだぜ、おれってほらあんま授業とかそういうのいいからさ」という顔をして自然にナチュラルにニュートラルに腰掛ける。
 このうなじ!たまらんわ。匂いがすごい。あっ、臭いとかじゃなくてね。いや、そりゃ臭いと言えばそりゃ臭いんだけどもちろんいい臭さね。春風みたいなフキノトウみたいな。あー触りたいゴシゴシ触りたい。垢とか出たらどうしましょ。舐めちゃう?やっぱり舐めちゃう?ペロリ。舐めちゃうことも厭わないのかおれよははは。
 しかし振り向かないな。まあそりゃこんなに近くで匂いくんくん嗅いでんだから今振り返られたらきゃー変態みたいなちょっと困った事態になるだろうから振り向かないで欲しいんだが、そういう肉体的な振り向くじゃなくて精神的に振り向いて欲しいんだよねこっちは。
 意識し始めたころは遠くから見ているだけで満足だったんだけど、距離感に不満を覚え、徐々に徐々に距離が近づき、匂いを嗅げる距離まできてしまった。しばらくは匂いを嗅いでるだけでそりゃ幸せ、僥倖!なんつって一日うはうはしてられたけど、もう足りないんだよねうなじの匂いだけじゃあ。うなじ以外の場所の匂い嗅がしてくれればまたそれでしばらくは満足できそうだけど、この位置じゃあうなじしか匂いポイントないし、、大学には下駄箱とかないから靴の匂いも嗅げないし笛とか机の中に入ってないからアブノーマルキッスもできないから行き詰った感がすごいんだよね。いなくなった後の椅子とか机舐めてもあんまりおいしくないし。だからそろそろ振り向いて欲しいんだよね。精神的にね。精神的に振り向くつってもこれまでの人生を顧みるとかじゃなくてもういい加減おれのこと好きになって欲しいんだよね。
 どうすりゃ振り向いてくれるのだろうか。うなじの匂いを嗅ぎながら知恵を絞っていると突然振り向いた。あれ、これは現実だったですかね。不現実だったですかね。不現実だったらまずいな、まずいよ君。これ幻想ってことじゃん。白昼夢?ぼくは痴人でしょうか?恋はどんなドラッグよりもパンチがきついぜ!なんて前髪をさらりとしていたら「この変態野郎!」と教室中に響き渡る大声で怒鳴られた。あれ現実?あれそっちいっちゃった?あっあっあっそんなこと言うの?どうしよ?どうすりゃいいの?やっぱりキレるべき?だっておれ寝てただけだもんね。ちょっと鼻が彼女のうなじに近いけどそんなの寝てる人間のご愛嬌みたいなもんでしょ。えっもしかして垢舐めてたの?冗談でしょ?ほら言ってやってくれよみんなこの勘違い女に。のぼせ上がるなこの白子頭!ってさ。突撃じゃー!ってほら言ってやってよ先生。あれどしたのみんな?そんなに近寄ってきてなに?顔になんか付いてる?あ、もしかしてこのいぼのこと?犬に齧られたんじゃないよ、これは生まれつき。そうそう生まれつきのハンディ。小学校のあだ名はいぼっち。中学はいぼげ。高校はいぼ毛。今はとくにない。我輩はいぼである名前はまだない、なんつって。
 あれいぼ批判じゃないの?いぼ批判でしょ。慣れてるよいぼ批判なら。これまでの人生のほとんどでいぼ批判されてんだから。えっ違うの?いぼ以外で批判するの?なにそれ新手のいじめ?放置プレーみたいなもん?ちょっちょっちょ痛い痛い!肩とか掴むなよ!だから痛いって!危ねえよ階段転げちまうじゃねーか!この人殺し!待てよ!待てって。ちょっと待ってよ。待ってみてよ。待ってくださいよ。お願いですから待っていただけないですか?だめ?警察?縄ですか?それは手錠ですか?まさか荒縄ですか?ちょっ女!なに泣いてんだよ!おまえが振り向かないからいけないんだろが。だぼが。今更見つめるんじゃねーよ。遅―よばーか。ああでもいい顔してるなー、やっぱり。また会いに来るから。たぶんもうこの大学にいられなくなりそうだけど必ずまた会いに来るから。

 ちょっとー、久しぶりに見れたと思ったらなんで髪の毛下ろしてんの?それじゃあせっかくいいうなじしてるのに見えないじゃないか。もったいない。アップアップしてよー。でもあのさらさらの髪にさらーって指走らすのもよさそうだな。おいおい、なんだよその隣の男は。おれという男がありながら。あれ、なに?手とか繋ぐの?ああそう、そういうことですか。お二人はそういう関係。今をときめくカップルってやつですか。大口開けて笑って楽しそうだね。ああそう、笑うとその顔ね、うんうん、悪くないつーかむしろいいね。より一層愛せそうだよ。なに?喫茶店の次はどこ行くの?ごはん食べるには中途半端な時間だしね。カラオケとか個別の空間はやめてよ。オープンなところで頼みますよ。もしかしてそこの本屋?いいねいいね。本屋オープンだね。行け!行け!行け!曲がるな直進。よーし行ったー。
 ちょっと、いきなり旅コーナーですか。もっとこうないんかね。前戯的なジャブ的やつは。一冊の本を二人で覗き込むなよ。気持ちわる。きしょ。いちゃいちゃしちゃってここはホテルでもなきゃおまえの家でもねーんだぞ。そういうことするなら然るべきところでやれよなほんと。
 ちょっ後ろのガキなんだよ、さっきから嬌声あげやがって。「おすもうさーん、サインくださーい!」ん?なに?おすもうさんがいるの?うわっでかっ。おすもうさんでかっ。ちびっ子に大人気だねおすもうさん。ちょっとおすもうさんこっち来んなよ。狭いだろ、おまえおれの脇通り抜けれらないだろ。よく見ろよ。よーし、そうだ考えれば分かるな。そこで方向転換して向こうから回れよ。ちょっちょなに無理矢理通ろうとしてんの。なにそのインディジョーンズ的なアドベンチャー好みは。危ない!危ないって!本棚グラングランしてるよ。ちょっちょっちょ倒れる倒れる倒れるってやばいやばいやばい!あーあ、倒れちゃったじゃん。なにやってんのよおすもうさん。店内みんなこっち見てんじゃん。あっ……やばくね。ほらやっぱり見付かっちゃったじゃん。なに、両手口に当ててどうするの?叫ぶの?いいよ、叫んでもおれ逃げるから。あの顔!最高だね。怯えた表情最高!ズルズルよだれ出てもおかしくないくらい最高!あー舐め回したい、顔中ベロベロしたいわー。あっ逃げた。彼氏、どうした?追いかけねーのか?おれのこと見てる場合じゃないだろ。ほら早く行けよ。おれが行っちゃうよ?そうそうそれでいいんだよ。がんばって追いつけよ。しかしこのおすもうさんはとんでもねーな。おい!「ごっつぁんです」じゃねーだろ。ったく。本とか散乱してひどい有様だよ。店員さんも困ってるし、ちょっと片付けてあげるか。んっ、なんだこの本。「あの娘ぼくがこんなシネマ撮ったらどんな顔するだろう」だって。おいおい。おいおいおい。いいのかこんな本読んでもおれ。おいおいおいおい、やばくねこの本。買うわ、おれこれ買うよ。おーい!店員さーん!これくださーい!



 的な感じなら分かるんですよ。そりゃあんた買いだよそれ、ってなるけど、42歳くらいの女性が読む理由が思いつかない。無理矢理考えると……

1、 実は男よりも女の方が好きで、自分のことを宇多田ヒカルの歌詞のように
   「ぼく」と呼ぶちょっといたい女性が読む
2、 昔から8ミリで映画を撮ることが好きだった弟が交通事故を起こして余命
   1年の命となってしまい、弟の死ぬ前の最後の願いは恋人に自分の作った
   映画を見せてあげたいという感動的な願いであり、姉である私は仕事をお
   ざなりにしてでも弟の手伝いをしてきたが、弟は映画を完成させると彼女
   に見せる前に死んでしまい、姉が弟から渡された映画を弟の彼女に見せる
   かどうか悩んでいるようなときに読む
3、 女に見えるが実は男だった

 なんて感じでしょうか。みなさんも本を読むときはできるだけカバーを付けるようにしましょう。ぼくとかは変に勘繰ってしまいますからね。