もっと明るくいきましょうよ | 子猫使いのやすしの日々

もっと明るくいきましょうよ

 電車に乗っていたら目の前にいた30歳くらいのスーツの男の読んでいる本が目に入った。
 なにを読んでいるのかしらん。なになに……「定年後プラス思考になれる本」ですって?

定年後・プラス思考になれる本―第二の人生設計から、健康・お金の不安解決まで (PHP文庫 い 54-1)/伊藤 博
¥580
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 ちょっと待ってくれ。なんであなたがそんな本を読んでいるんだ。そう、こういう本を読むのであれば……


 仕事をしている間は仕事がすべてで妻に子供のことで相談なんかされても「子供のことは君に任せているんだからぼくに意見を求めないで欲しいなふふふん」なんて父親で、結果子供は援助交際に走り、妻は結婚前に付き合っていた男と偶然子供の保護者会で出くわし、「ああ、あの情熱よ」なんて自分の中にまだこんな潤った感情があったのかしらなんて驚きながらもおっかなびっくりしつつ不倫へと走る。家庭内はぼろぼろだが、そんなの関係ない。なぜならおれには仕事があるからさふふんなんて調子で家族を顧みることなく突っ走り続けた35年間。
 定年を迎え退職金が振り込まれたと同時に妻に離婚届に押印するように迫られ、子供と孫は決して会いに来ない。家も妻に取られる。残されたものはわずかな預金と名刺の束だけ。そうだ、おれには仕事があるじゃないかと思い立ちというか逃避し求人誌を漁るが、できる仕事はごみ清掃くらいしかない。会社に勤めていたころなら視線すら向くことのないような若造に指導される。プライドが邪魔をしてなにをしても仕事は長続きしないし、楽しくない。もうこりゃだめだ死ぬっきゃないと思い、やっぱり首吊るなら荒縄かなと近所の大型スーパーに荒縄を求めて向かう。
 これでスーパーに来るのも最後か、そういえば妻と初めて出会ったのは縄屋さんだったな、縄屋なんてあったけか?もう頭が悪いなまあいいや。死人に脳なしだしね。子供もスーパーでエスカレータに乗るのを怖がっていたな。手を引いてあげたっけなははは…うっくっくっひっひ。いつから家族との溝がこんなにも大きくなってしまったのか。仕事してたんだから仕方ないじゃん、許してよ、ね?もう死ぬからさというか、死にたくないからおまえらに帰ってきてほしいんだけどさ。死のうとしてるんだから死ぬほど反省してるのもわかるでしょ?だめ?やぱりダメなものかね。じゃあおまえらおれに金払えよ。今まで勝手におれの稼いだ金で生きてきたようだが、誰もあげるなんて言ってないだろ。おれはおまえらに生活費として貸してただけなんだから。返せよ。借用書今から作るからさ。返せないんだったらまた一緒に暮らそうよ?ダメ?やっぱり?そうですかそうですか。じゃあおとなしく死んできますよ。ばははーい。なんてことを考えつつもスーパーをフラフラしていたらいつの間にか本屋にいた。
 本かー。作家さんらは死んだ後も憶えられてて羨ましいよおれほんと。ちょっと待った。おれの葬式って誰がやってくれんだ。別れた妻か。ここ何年も顔を見てない子供か。孫はまだ無理かな。誰かやってくれんのか?ゴミみたいに燃やされて終わりか?おれの骨は誰も食べてくれないの?おれあれやってみたかったんだよね。「おれの中で生き続けろ」なんて言っちゃたりしてさ。あれで喉詰まらせて死んじゃったおじいさんとかいないのかな。死体が二つ。まあいいか一緒に焼いちゃうか。そだね。おーいじいさんの写真持ってきてくれよ。遺影にするからさー。故人は誰からも好かれる性格でうっうっふっう。じいさーんー!「おれの中で生き続けろ!」むぐむぐはあはあぜーはーぜーはーっう。バターン。ご子息が亡くなったぞーい。遺影持ってこーい。死の連鎖。そして誰もいなくなった。ははははは。「そして誰もいなくなった」ってこんな話だったけな?どうせおれはいなくなるからいなくなる前にちょろっと読んでおこうか。アガサアガサ。ないな。しかし本が多いな。うんこについての本とかないのかな。これだけあればあるだろ。うんこ専門誌。「あなたのうんこが今危ない!」みたいな本。文庫じゃあなさそうだ。あるとしたらあの辺か。うんこうんこ。ちょっと待てよ。今なにか引っかかったぞ。ちょっと戻って戻って戻って。そうこの辺。うんこうんこうんこ。ないな。なんだっけな。しかし他人任せの本が多いな。こうすればあなたも変われるみたいな本ばっかりじゃねーか。これで会社勤めがうまくいくんなら誰も苦労なんかしねーよ。やっぱり才能?そう才能だよ。おれみたいに才覚に溢れたいい男はそうそういないけどね。見本にしてもらいたいくらいだねがはは。そうか、おれもこういう本を書けばいいのか。「わたしはこうしてすべてを失った」じゃなくて。「わたしはこうしてみた」よくわかんないな。「わたしならこうする 成功する10の秘訣」いいじゃない。買いたいね。そんな本ないかな。すでにあったらほらいろいろパクっただのうるさいからさ。えーっと、ドキリン!おっ、この感じ。さっき引っかかったのと同じだ。この辺がくさいな。どれどれ。なんだこの本は。なになに「定年後プラス思考になれる本」だって。これか、そうかこれか。今の自分はなにをしていたんだ。なにをそんなにネガティブになっていたんだ。明るくいこーよ。これからおれを待っているのはフリーダムのみだぜ!じーんせぇーーってすてきーなものですね、とくらっ。店員さーん。この本くださーい!


 なんてシチュエーションなら十分この本を手にして購入するというところまで想像できるんですが、まず30歳くらいのスーツが読む本じゃあないだろ。
 日曜の夜にサザエさんを見てると、「あー今日寝たらもう明日仕事か、いきたくないな」なんて思い、憂鬱になったり、実際に体に異常が起こるのをサザエさん症候群と言うそうですが、この本を読んでいた人の場合、明日の仕事でなく、これから定年するまでの仕事がいやでたまらなく、明るい未来は来週の週末ではなく、もう定年後しかないのであろうかなんて心配になってしまいました。
 いや、若しくはこう思って読んでいたのかも。
 うちのおやじも来年定年退職か。今まで仕事ばっかりだったから仕事がなくなると死にたくなっちゃうんじゃないだろうか。おやじは嫌がるだろうからこの本を読んでくれなんて言えないから、おれがこの本読んでおやじをプラス思考にさせてやろう

 考えられないけど後者の方がいいですね。それにしても読むのであれば変に勘繰られるからカバーくらいした方が良いと思いますよ。変に心配したり、バックグラウンドを読もうとしたりしてしまいますから。なんにせよ今後いい未来が待っていればいいですね。