興味ない人の興味ない半生についてです
「人生ーーーって、不思議ーなものですねー
」なんて美空ひばりさんも唄っていましたが、ほんと、そう思います。
こんなぼくの人生にも幾万通りの道があったと思う。いくつもの選択肢や自分の努力や怠惰の結果、今のこのぼくの人生があるのだなと。
なんておセンチなことを思ったのは、職場の先輩がお子さんを塾に入れようか悩んでいて、どう思う?と意見を求められたから。
ぼくは小学校の低学年から英語を習い、親にピアノを習い、進学塾にも通っていた。ただ英語もピアノも進学塾も長続きしなかった。どちらも塾に行くフリをしてそこらへんの公園で時間をつぶしていたことが親にばれ、こっぴどくしかられて最後まで続かなかったから。親がピアノも教えることはなくなった。
親は公立の中学ではなく、受験して私立に行かせたかったのだろうが、ぼくの頭では無理だった。塾でまじめに勉強していれば立派な私立に入学できたかもしれないが、あいにくまじめに勉強はできなかった。
結果、私立の受験もせずにそのまま公立の中学に通うことになった。
中学では仲のいい友人全員が同じ塾に通っていたから、遊びの延長でぼくもその塾に行きたくなった。そのことを親に話すと、親はとても喜んだ。すべて途中で投げ出してきたぼくが自らの意思で塾に通いたいと言ったから。遊びたいがためなんてことはもちろん隠していた。
塾に通いだしても案の定勉強はしなかった。またしても塾に行かないことが多かったし、顔を出してもホワイトボードに同じクラスの奴の似顔絵を描いたり、モノマネなんかをしているうちに受験シーズンが到来した。
ひどい身勝手なエゴだなと思うが、当時ぼくは親にあまり金銭的な心配をかけさせたくないために、学費の高い私立ではなく、学費の安い都立を目指していた。
ただ都立の試験には、単純なテストの学力だけでなく、内申点というやっかいなものがとても大きい。内申点はすこぶる悪かった。担任にも都立はかなり厳しいと言われたが、都立に行きたかった。
都立に行くこと以外想定していなかったから、受験をしたのはかなり厳しい都立と、合格率80%超のバカ私立と合格率90%超の大バカ私立の3校だった。
滑り止めをなぜ2校も受けたのか今考えると理解不能だが、自信を持っていたんだろう。必ず都立に受かると。
結局都立は受からなかった。私立は2校とも受かった。結局バカ私立に入学した。大バカ私立は怖かった。暴力的な意味で。もちろん両校とも男子校だ。
高校に行ってもぼくの足の裏から根付いている怠惰さは変わらなかった。まじめに勉強をしないのは変わらないが、クラス内で優秀と言われている奴も「この学校に来ている時点でバカはバカだろう」という目でひどく馬鹿にしていた。
で、大学だ。憧れでした。キャンパスノートという内田有紀のドラマを見ていたからかもしれないが、キャンパスライフに憧れていた。
ただここでまたしても担任には学力が足りないと言われる。行けるとしたら北海道の大学しかないとまで言われた。悔しかったから親に黙って大学を自腹で受けてみた。受かるわけなかった。大学にはどうしても行きたかったから、二部か?とも考えたが、夜のキャンパスライフなんて「キャンパスノート」でもやってなかったからあまり魅力は感じなかった。やっぱりキャンパスライフを送るなら太陽の下だろ!なんて思ったから。それに受験が3月というのが我慢できなかった。怠惰な自分には3月まで勉強をするなんて芸当はとてもとてもできそうになかった。
そんな風に太陽の下のキャンパスに憧れるが、行けないという現実に悩んでいる担任が救いの手を差し伸べた。「専門学校」。書類を出せば受かるという。すごい勢いで食いついた。専門的に勉強したいことなんて当時なにもなかったが、太陽があればキャンパスライフだと思い、願書を提出。ほんとに試験もなくそのまま入学した。
で、今の自分があるわけです。親にはたくさんのお金と労力をどぶに捨てるようなことをしてしまって申し訳ないが、その専門学校に行ったから今の職場にいるんです。
そこで思い浮かべたのは、もしももっとまじめにめちゃめちゃ勉強していたら、今頃売れない芸人をしていたのではないかという恐怖。
というのも、友人が二人お笑いの学校にぼくが専門を卒業して、社会人になった1年目だったか2年目に入校したから。嘘か真か定かでないが、友人はぼくとお笑いをやりたかったとぼくが社会人になってから言っていた。社会人になって1年目か2年目だから大学3年か4年。そんなときに「なあ、おれと一緒に芸人でサクセスしないか?」なんて誘われたらたぶんほいほい付いていったと思うんですよ。お笑い好きだったし、流されやすい性格だし。
だからいい学校に行けなかったのも結果的に見ればそれほど悪いことでもないんだなと。小学校なり中学校なり高校でもっとめちゃめちゃ勉強していたら今の自分とはまるで違う人生があったんだなって。証券マンとかやってたかも知んないしね。
なんてことをその先輩に話したら(お笑い除く)、「塾に行かせるわ」だって。笑っちゃたよ。
」なんて美空ひばりさんも唄っていましたが、ほんと、そう思います。こんなぼくの人生にも幾万通りの道があったと思う。いくつもの選択肢や自分の努力や怠惰の結果、今のこのぼくの人生があるのだなと。
なんておセンチなことを思ったのは、職場の先輩がお子さんを塾に入れようか悩んでいて、どう思う?と意見を求められたから。
ぼくは小学校の低学年から英語を習い、親にピアノを習い、進学塾にも通っていた。ただ英語もピアノも進学塾も長続きしなかった。どちらも塾に行くフリをしてそこらへんの公園で時間をつぶしていたことが親にばれ、こっぴどくしかられて最後まで続かなかったから。親がピアノも教えることはなくなった。
親は公立の中学ではなく、受験して私立に行かせたかったのだろうが、ぼくの頭では無理だった。塾でまじめに勉強していれば立派な私立に入学できたかもしれないが、あいにくまじめに勉強はできなかった。
結果、私立の受験もせずにそのまま公立の中学に通うことになった。
中学では仲のいい友人全員が同じ塾に通っていたから、遊びの延長でぼくもその塾に行きたくなった。そのことを親に話すと、親はとても喜んだ。すべて途中で投げ出してきたぼくが自らの意思で塾に通いたいと言ったから。遊びたいがためなんてことはもちろん隠していた。
塾に通いだしても案の定勉強はしなかった。またしても塾に行かないことが多かったし、顔を出してもホワイトボードに同じクラスの奴の似顔絵を描いたり、モノマネなんかをしているうちに受験シーズンが到来した。
ひどい身勝手なエゴだなと思うが、当時ぼくは親にあまり金銭的な心配をかけさせたくないために、学費の高い私立ではなく、学費の安い都立を目指していた。
ただ都立の試験には、単純なテストの学力だけでなく、内申点というやっかいなものがとても大きい。内申点はすこぶる悪かった。担任にも都立はかなり厳しいと言われたが、都立に行きたかった。
都立に行くこと以外想定していなかったから、受験をしたのはかなり厳しい都立と、合格率80%超のバカ私立と合格率90%超の大バカ私立の3校だった。
滑り止めをなぜ2校も受けたのか今考えると理解不能だが、自信を持っていたんだろう。必ず都立に受かると。
結局都立は受からなかった。私立は2校とも受かった。結局バカ私立に入学した。大バカ私立は怖かった。暴力的な意味で。もちろん両校とも男子校だ。
高校に行ってもぼくの足の裏から根付いている怠惰さは変わらなかった。まじめに勉強をしないのは変わらないが、クラス内で優秀と言われている奴も「この学校に来ている時点でバカはバカだろう」という目でひどく馬鹿にしていた。
で、大学だ。憧れでした。キャンパスノートという内田有紀のドラマを見ていたからかもしれないが、キャンパスライフに憧れていた。
ただここでまたしても担任には学力が足りないと言われる。行けるとしたら北海道の大学しかないとまで言われた。悔しかったから親に黙って大学を自腹で受けてみた。受かるわけなかった。大学にはどうしても行きたかったから、二部か?とも考えたが、夜のキャンパスライフなんて「キャンパスノート」でもやってなかったからあまり魅力は感じなかった。やっぱりキャンパスライフを送るなら太陽の下だろ!なんて思ったから。それに受験が3月というのが我慢できなかった。怠惰な自分には3月まで勉強をするなんて芸当はとてもとてもできそうになかった。
そんな風に太陽の下のキャンパスに憧れるが、行けないという現実に悩んでいる担任が救いの手を差し伸べた。「専門学校」。書類を出せば受かるという。すごい勢いで食いついた。専門的に勉強したいことなんて当時なにもなかったが、太陽があればキャンパスライフだと思い、願書を提出。ほんとに試験もなくそのまま入学した。
で、今の自分があるわけです。親にはたくさんのお金と労力をどぶに捨てるようなことをしてしまって申し訳ないが、その専門学校に行ったから今の職場にいるんです。
そこで思い浮かべたのは、もしももっとまじめにめちゃめちゃ勉強していたら、今頃売れない芸人をしていたのではないかという恐怖。
というのも、友人が二人お笑いの学校にぼくが専門を卒業して、社会人になった1年目だったか2年目に入校したから。嘘か真か定かでないが、友人はぼくとお笑いをやりたかったとぼくが社会人になってから言っていた。社会人になって1年目か2年目だから大学3年か4年。そんなときに「なあ、おれと一緒に芸人でサクセスしないか?」なんて誘われたらたぶんほいほい付いていったと思うんですよ。お笑い好きだったし、流されやすい性格だし。
だからいい学校に行けなかったのも結果的に見ればそれほど悪いことでもないんだなと。小学校なり中学校なり高校でもっとめちゃめちゃ勉強していたら今の自分とはまるで違う人生があったんだなって。証券マンとかやってたかも知んないしね。
なんてことをその先輩に話したら(お笑い除く)、「塾に行かせるわ」だって。笑っちゃたよ。