魔術や魔法と書くと、なんだか中二病臭いオタクの陳腐なセリフに聞こえてきてしまいそうですが、ある意味オカルトを真剣に警戒しなくなることこそがサタン(悪魔)の狙いだったりします。
現代人は医学を含む科学とオカルト(魔術)の線引きを白黒ハッキリ区別してしまっています。
実はこの境界線は非常に曖昧でグレーゾーンが広く存在していることをご存知でしょうか。
もちろん生まれてから死ぬまで魔術なんてオカルトには縁がなく、無神論・無宗教で霊的な世界には一切興味を持たずに一生を終える人もいることでしょう。
ですから科学の専門家たちが無意識に霊的な領域にまで足を踏み込んでしまい、色々と間違えている可能性があるとは誰も考え付かないと思います。
魔術には二種類の道筋があって、一つは降霊術に見られるような霊的な存在を呼び出して霊の世界と繋がるための手段で、もう一つは広義の意味で錬金術に見られるような有から別の有を作り出すといった手段です。
「有から別の有を作り出す」というのは日常的な普通のことで、たとえば小麦からパンを作ったり、木を切り出して家を建てたりすることは何も特別なことではなく、神(聖霊)から授かった知恵に人間の創意工夫が加わって発展してきました。
しかし、人間同士が戦う道具として鋼鉄を鍛えて剣を作る技術等は、太古の昔に堕天使(悪魔)から男性にもたらされ、と同時に薬草や毒、化粧の知識も女性へと伝えられました。
もし仮に「科学が善」「魔術が悪」と定義するのであれば、神からの知恵によって作り出されたより自然に近いものが科学と言えそうです。
こう書きますと「それなら薬草の知識だって悪いものではないじゃないか」と反論されてしまいそうですが、そもそも人間とは自然に存在するものを適度な量で食し、労働によって体を動かし、日が落ちたらしっかりと睡眠し、定期的な断食(解毒)をすることによって健康が保たれるよう創造されています。
医食同源という言葉がありますが、まさに昔の食べ物はそれだけで薬になったのです。
ですが人間の欲というものは際限を知りません。
たとえば葡萄からワインを作るまではよいのですが、泥酔して気持ちが良くなることを欲するあまり飲み過ぎてしまい、最終的に病気になれば「薬草」の出番となります。
また、葡萄をもっと豊作にしてワインをたくさん作り、それを売って大金持ちになりたいと欲すれば「農薬」が必要になり、そのせいで土壌菌が死滅し、葡萄が本来持っている栄養素が破壊された挙げ句、農薬=毒の蓄積が人間を病気にしてしまうことでしょう。
つまり武器や薬草、毒などは元々人間にとって不自然な欲深さが求めた「不要なもの」だったのです。
これは人間が神の律法と戒めを守らなくなった結果とも言えます。
神の律法と戒めは何も我々人間をがんじがらめに縛り、不自由でつまらない人生を送らせようとしているものではなく、人々が平和に安全で健やかに暮らしていけるよう定められたものだったからです。
的外れに欲を追い求め、神に依り頼むことを忘れ、外にある力に頼る姿勢(偶像崇拝)と疑心暗鬼が人間を病気や戦争へと導いたのです。
人間が汚染物質を放出する前の時代、野生動物はほとんど病気になりませんでした。
縄張り争い等で命に別状がない程度の怪我をした際は、何も食べずにじっとして体を休めました。
これは怪我で狩りに出かける体力が無かったからだと言うこともできますが、何も食べずに消化酵素を消費せず、怪我の修復に自分が持っているエネルギーを最優先に回すことで回復を早める行動なのです。
しかし人間はどうするでしょうか?
風邪を引いたら病院に行って薬をもらい、少しでもいいからと言って消化に良いものを食べさせようとして、次は風邪を引かないようにとワクチンを接種したりします。
人が蓄積してきた毒を解毒しようと体が定期的に発熱して闘うために風邪を引くのに、それを悪だと決めつけて無理やり抑え込んでしまいます。
自然の法則から逸脱した行為を取ろうとするのが人間の常なのです。
話しを戻しますが、魔術とは神が定めた自然の法則から著しく逸脱した行為全般を指して言うのです。
様々なメディアで「魔法」や「魔術」といった言葉が乱用され、ファンタジーでカッコいい印象を与えてしまっていますが、「魔」という字を見て誰が何のために発明して使うものなのかをもう一度よく考え直してみることです。
「美魔女」とか呼ばれて呑気に喜んでいる場合ではないということです。
科学と魔術の境界線を明確にしてしまうことは、霊的な世界と物質的な世界を完全に切り離し、人間を即物的なことしか考えられない動物にまで貶めたいと考えているサタン(悪魔)の巧妙な策略であると理解してください。
余談になりますが、様々な技術と手間がかかっているにしても、ボタン一つでミサイルが他国へ飛んでいき街を破壊することができる「現代科学」による現象と、漫画やアニメ等で主人公が呪文を詠唱し、無から爆発等を起こして敵を倒す似非魔術の概念が全く別のものだと考えていると、この先も騙され続けることになります。
これには明確な違いがあるように見えますが、別々のものではありません。
まぁ、そもそも呪文の詠唱で爆発なんてものは起こせませんが、どちらも間違った科学、つまり魔術です。
我々の健康なんて1ミクロンも心配していない、むしろ早く死ねばいいとさえ思っている政府・官庁の人間もどきが、国民が病気にならないようにと強要してくるワクチンのような医薬品、これも魔術です。
科学に悪意や欲望を混ぜ合わせることによって、誰にでも簡単に魔術は完成するのです。
自分が閃いたアイディアが人々を幸せにするものかどうかよく吟味し、誰かの不幸の上に築かれてしまうような技術であれば、それは悪魔の囁きなのです。
別に魔術によって特別な降霊術を行わなくても、サタン(悪魔)は利用価値が高いと判断した人間に知恵と権力を与えて支援します。
その尖兵にならないよう十分注意しましょう。
また、科学偏重の人は、科学の結果は数字が物語ると言って信用していますが、魔術も数字を多用します。
むしろ数字は簡単に人を欺くことができる最強のツールです。
とにかく魔術を開発した悪魔をナメないことです。
どんな天才でも、人間が狡猾なサタン(悪魔)よりも頭が良いなんてことは天地がひっくり返っても100%あり得ないことです。
ですから善悪の判断がつかないような、頭でっかちの科学者が息巻いている世迷い言などは虚しい呪文であり、信じるに値しないことなのです。
当たり前ですが、500年前の人間を現代に連れて来たら、目にするもの全てが魔術に見えることでしょう。
ですが、これは必ずしも500年前よりも科学技術が発展しただけの結果ではなく、サタンの策謀と人間の欲望が上手くマッチした世界が具現化したに過ぎないのです。
我々はいま、その様な世界に生かされているのだと肝に銘じておきましょう。