ユダヤ人は大きく「東欧系アシュケナージ」(白人系)と「北西アフリカ系スファラディ」(黒人・中東系)の二つの系統に分かれていますが、彼らの多くはユダヤ教に改宗した人々であり、ユダヤ民族であるとは限りません。


ユダヤ教に改宗すれば誰でもユダヤ人にはなれますが、血統的な「ユダヤ民族」になれるというわけではないからです。


我々は聖書や考古学、民俗学など、多くの歴史的資料から、アッシリア帝国によって滅ぼされた北イスラエル王国の十支族が、世界中に離散していったことを知っています。


ですから、この日本も含めて、DNAを入念に調べていけば、ユダヤ民族の血統を受け継いでいる人々は世界中にたくさんいると思われますが、その反面そうではない「自称ユダヤ人」もたくさんいるということです。


確かにディアスポラ(民族離散)は実際にありました。

しかし、多くの人は、イエス・キリストの時代のユダヤ民族が、A.D.70年のローマ軍によるエルサレム攻囲戦の後に国を失い、世界中に離散していったという歴史を信じ込んでしまっています。


今では他民族の流入もあってかなり混血が進み、純粋とは言えないものの、古代ユダヤ民族とされる人々の多くは、この戦いの後も現在のパレスチナと呼ばれている地に留まり、先祖代々生活を続けてきたのです。


しかし、ナチスによるホロコーストによってシオニスト運動が盛んになった結果、イギリスの三枚舌外交によって建国されたイスラエル国では、パレスチナ人に不利益な形で入植が進み、アメリカがバックアップする圧倒的な軍事力によって事実上パレスチナを占領、植民地化してしまいました。


もちろんパレスチナに元々住んでいたネイティブたちは、必ずしも古代ユダヤ民族の血統を受け継いでいる人種とは限りませんが、現在起こっているガザでの戦争や、今まで続いてきたパレスチナ人とイスラエル人の紛争をシンプルに考えると、皮肉にも入植してきた自称ユダヤ人たちが、古代から続くユダヤ民族(ある意味同胞)を排斥しているというおかしな構図になっているのです。


今回の戦争についても不審な点がいくつも挙がってきています。


パレスチナには主流派と過激派が存在し、ヨルダン川西岸地区のファタハは穏健ですが、ガザは武力衝突も辞さないハマスが実効支配しています。


ですからこのガザとの国境では、猫の子一匹でも見逃さないような死角のない厳しい監視網が敷かれており、3段階の圧力に応じてアラートが出るよう設定されたフェンスには、ほんの数分以内に現着できるよう訓練されたイスラエル軍の部隊が、24時間365日、常に待機している他、観測・探知能力に秀でた戦車や狙撃手まで配備されているのに、ここをハマスのトラクターが呑気に通過していき、テロ行為を実行したというのです。


まだまだツッコミどころ満載の戦争ではありますが、世界情勢や軍事評論が私の専門ではないので、ここからは霊的なお話をしていきたいと思います。


私はイスラエルという国を、国旗に六芒星を採用している時点で全く信用していません。

 

所詮は人間の業で無理やり建国した国家に過ぎませんので、何のリスペクトもなければ、聖書を読む者としても特別な感情は一切ありません。


今回の戦争報道を受けて、イスラエル国を熱烈に支持しているクリスチャンをチラホラ見かけますが、聖書解釈が間違っている異常な者の行動だと思っています。


「自称ユダヤ人たちが建国した国家が国旗に六芒星を採用している」


これがどれほど狂っていることか、我々はもう少し深刻に受け止めた方がよいと思います。

 


 

こう書くと「たかが国旗のマークじゃん?」「六芒星なんて世界中の至る所で使われているよ」と言って、都市伝説の類に惑わされた陰謀論者の戯言だと笑うでしょう。


しかし「世界中の至る所で使われている」ことこそが、大きな問題なのです。

 

ユダヤ人たちはこの六芒星を「ダビデの星」と呼んでいます。


ユダヤの王ダビデは多少の問題はあったものの、神に対する信仰も厚い良い王様でしたから、ユダヤ人が父祖アブラハムと同様にリスペクトする対象にしたのは何の問題もありません。


しかし、ダビデと六芒星の間には、何一つとして縁もゆかりもないのです。


本来ユダヤ人が象徴にするべきシンボルは「メノラー」(七枝の燭台)であり、ゲマトリア的にも獣の数字に繋がる「6」ではなく、聖書的完全数である「7」を採用するべきだったのです。


国旗のデザインが六芒星に決まろうとしていた当時、多くの敬虔なユダヤ教のラビ(宗教指導者)たちが大反対したのも頷けます。


ダビデついでに触れておくと、この六芒星は「ソロモンの紋章」とも呼ばれています。


ソロモン王はダビデの息子ですが、荘厳な神殿を建設するなど、神から素晴らしい知恵を授かったとても賢い王様でした。


ですが、ソロモンは他国からたくさんの妻を娶り、その妻たちが信仰する異教を容認してしまい、自分でも偶像崇拝に陥って堕落するなど、ダビデと違って六芒星に深い関わりがあったことは間違いありません。


なぜならソロモンはエジプトのファラオの娘も妻の一人として迎えていたからです。


エジプトといえば神秘宗教のメッカであり、古代異教のシンボルだった六芒星を至る所で見ることができます。


エジプトでの六芒星は「ホルスの星」と呼ばれていました。


このソロモンの偶像崇拝による堕落の後、統一イスラエル王国は北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂してしまい、それぞれアッシリア帝国とバビロン帝国に滅ぼされ、捕囚の憂き目に遭うのでした。


ちなみにこのイスラエルが南北に分かれていた時代にアモスという一人の預言者が現れ、六芒星について神からの御言葉を語っています。


旧約聖書アモス書5章25〜26節を引用します。

イスラエルの家よ、あなたがたは四十年の間、荒野でわたしに犠牲と供え物をささげたか。
かえってあなたがたの王シクテをにない、あなたがたが自分で作ったあなたがたの偶像、星の神、キウンをになった。


この「王シクテ」「星の神キウン」は新約聖書の使徒行伝7章43節ではそれぞれ「モロクの幕屋」「ロンパの神の星」として登場していますが、これは全て「土星」と関係する異教の神々(悪魔)のことです。


太陽崇拝はよく耳にしますが、なぜ土星なのでしょうか?


オカルトの世界では、土星が最初の太陽だったと信じて崇める習慣があります。


何でも二番目よりは最初の方が偉大だと考えるからでしょう。


ユダヤ人は古代から現在に至るまで、何度もこの土星崇拝に陥ります。


代表的な例では、上記でも紹介した「モロク」(ヘブル語では「モレク」)に対しては、子供を焼いて捧げるという忌まわしい生贄の儀式があったのですが、かのソロモン王はエルサレムの東の山の上に、この「モレク」を礼拝する祭壇を築いたとされています。


よく考えれば本当に知恵深き王様だったのか疑わしいところですが、先にも紹介したエジプトの神々(悪魔)の「ホルス」も土星を司る神とされていますから、全て元を辿れば別の名前を冠しただけの同じ悪魔なのです。


なぜ古代から土星を表現する方法が六芒星だったのかは諸説ありますが、いくつか紹介すると、カバラ等の数秘術(魔術)にあるスターナンバー(魔法陣)に関係しているという説と、土星自体の北極に六角形の渦があるからだという説もあります。

望遠鏡がなかった時代にどうやって確認したかは謎です。


しかし、太陽系第六番惑星という説が一番しっくりくるでしょうか。


ここでも不完全数の「6」が登場するのです。


それにしても土星の神はたくさんの名前と姿を持っていますね。


「ホルス」「シクテ」「キウン」「モレク」「バアル」「パーン」「クロノス」「ライファン」「サトゥルヌス」、そしてインドのヒンズー教では「シヴァ」、このシヴァが仏教に帰依すると「大暗黒天」(大黒天)、神道では「大国主命」になるわけです。


でも、土星の名前と言えばやはり「サターン」


そう「サタン」が一番有名ではないでしょうか?


またの名を元大天使長「堕天使ルシファー」です。


かの悪魔を「明けの明星」=「金星」だと思ってしまうと、これはとんでもない勘違いになってしまいます。


日本では旧約聖書のイザヤ書14章12節に登場する「明けの明星」と、新約聖書のヨハネの黙示録22章16節に登場する「明けの明星」が同じだと思ってしまい、曲解している人を見かけますが、欽定訳聖書(KJV)などの翻訳では、イザヤ書の「明けの明星」は、「ルシファー」と翻訳されていますのでご注意ください。


サタンはその土地の風土に合わせた神々の一人に姿を変え、名前を変えながら世界中で土星の神として崇められてきたのです。


世界中と書きましたが、これは大げさな話でも何でもなく、土星崇拝の象徴である六芒星は世界中で発見することができます。


ヒンズー教の『ヴェーダ』ではシャコトナ、仏教では曼荼羅に描かれ、日本では籠目紋と呼ばれています。


その他にもイスラム教のモスクやキリスト教の教会にも多数使用され、ストーンヘンジやマヤ文明にもありました。


私が知っているだけでも世界の200を超える国や遺跡、宗教施設などで確認されています。


この数をただの偶然の産物だと言い切ってしまうには、さすがに無理があります。


しかも、この土星の神は世界中で概ね「財産の守護神」「立身出世の神」などの「現世利益の神」として崇拝されてきました。


こんな偶然の一致があり得るでしょうか?

 

皆さんは、これほどまでに世界中の至る所で六芒星が発見されている理由は何だと思いますか?

 

真の神は、御自身が創造された素晴らしく雄大な海・山・川などの大自然や、そこに住む動植物たち、恵み豊かな土地が産する食物、太陽や月、星々の完璧な運行によって、既に我々の前にその存在を明らかにされていますが、自分では何も創造することができないくせにプライドだけは高いサタン(悪魔)は、「この地上は俺様のものだ」と自己主張せずにはいられないらしく、世界中をマーキングしながら回っているということなのです。滑稽ですね(笑)

 

さて、この辺で勘の良い方はもうお分かりではないでしょうか?


なぜ、自称ユダヤ人たちが今も昔も世界の金融を牛耳っている存在であるのか。


彼らは現在、一時的に世と空中の支配権を持ち、地上の神として君臨しているサタン(悪魔)を伏して拝み、世界中の富と権力をその手中に集めているのです。


答えは全て「六芒星」という鍵にあったのです。


六芒星がユダヤ人の象徴になったきっかけは17世紀、1648年にウィーンの「イエズス会」が提案したことに端を発します。


みなまで言いませんが、あのローマ・カトリックの「イエズス会」です(推して知るべし)。


その後、1897年には「シオニスト運動」のシンボルとなります。


このシオニスト運動に資金提供したのがロスチャイルド家です。


ちなみにマイヤー・ロスチャイルドは、家のシンボルに六芒星を取り入れていますが、ロスチャイルド家自体がユダヤ民族には縁もゆかりもない家系です。


そして1948年、シオニストが建国したイスラエル国の国旗が六芒星を採用するに至るのです。


更にこのシオニストの大富豪たちが資金提供してアメリカ中の教会や神学校に配られた聖書が、ディスペンセーション主義と患難前携挙説の開祖とも言えるサイラス・スコフィールドが書いた「スコフィールド聖書」です。


ディスペンセーション主義と患難前携挙説は、そんなアメリカから直輸入された新しい神学なのです。


この歴史の流れを理解しなければなりません。


もちろんアメリカ合衆国の国章や紙幣にも六芒星がデザインされていることは有名な話ですが、イルミナティやフリーメイソンも採用していることから、支配者層の悪魔崇拝者たちにとって、六芒星はなくてはならないシンボルなのでしょう。


それもそのはず、オカルトの世界でも六芒星は五芒星よりも格上で、より邪悪で強力な悪魔を召喚し、悪霊を使役する際に使用されているものなのです。


こんな代物を国旗に採用しているイスラエル国を、何があっても支持していこうと声高らかに宣言しているクリスチャンは、もう一度聖書には何と書かれているかを読み直してください。


ここからは、巷で「置換神学」と呼ばれ、忌み嫌われている聖書解釈をご紹介しますが、私はこれを支持しています。


「置換神学」とは、旧新両約聖書の預言において「イスラエル」と表現されている箇所を「ユダヤ人」「国家」と解釈することなく、「イスラエル」=「教会」と解釈して置き換える神学のことです。


「教会」と書いてしまうと、中には組織的な教団や建物を思い浮かべてしまう未信徒の方もいらっしゃるでしょうから、もう少し具体的に申し上げます。


「イスラエル」とは、神を信じるクリスチャン一人ひとりのことであり、あくまで信徒個人のことを指しています。


もっと言わせていただくと、我々クリスチャンは「イスラエル」を通り越して「歩く神殿」となっているのです。


イエス・キリストが十字架で成し遂げられた御業を信じて贖われた者は、死んでいた霊が新しく造られた者であると同時に、神と個人的な関係を築くことで聖霊が内住する者です。

 

なぜなら、ガラテヤ人への手紙6章15〜16節と、コリント人への手紙第一6章19節にはこう書かれているからです。

 

割礼のあるなしは問題ではなく、ただ、新しく造られることこそ、重要なのである。

この法則に従って進む人々の上に、平和とあわれみとがあるように。

また、神のイスラエルの上にあるように。

 

あなたがたは知らないのか。

自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。
 

即ち「神のイスラエル」とは我々のことであり、聖霊が内住するクリスチャンは「歩く神殿」(聖霊の宮)となるわけです。


私の解釈は「置換神学」の斜め上を行きます。


このことで私を蔑み、哀れみ、離れていく人はたくさんいるでしょう。


しかし、もう少し待ってください。


置換神学を否定したい人は、新約聖書のローマ人への手紙11章25〜29節を引き合いに出します。以下に引用してみます。

兄弟たちよ。
あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。
一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。
すなわち、次のように書いてある、「救う者がシオンからきて、ヤコブから不信心を追い払うであろう。そして、これが、彼らの罪を除き去る時に、彼らに対して立てるわたしの契約である」。
福音について言えば、彼らは、あなたがたのゆえに、神の敵とされているが、選びについて言えば、父祖たちのゆえに、神に愛せられる者である。
神の賜物と召しとは、変えられることがない。


しかし、本当にこれだけで置換神学は異端だと断言できるのでしょうか?


なぜなら同じローマ人への手紙9章6節と、27節にはこう書いてあるからです。

しかし、神の言が無効になったというわけではない。
なぜなら、イスラエルから出た者が全部イスラエルなのではなく、また、アブラハムの子孫だからといって、その全部が子であるのではないからである。

また、イザヤはイスラエルについて叫んでいる。

たとい、イスラエルの子らの数は、浜の砂のようであっても、救われるのは、残された者だけであろう。
 

それに、ローマ人への手紙11章14節でパウロがこうも書いている理由をよく考えてみてください。

どうにかしてわたしの骨肉を奮起させ、彼ら(ユダヤ人・同胞)の幾人かを救おうと願っている。

使徒パウロが骨肉を奮起させてまでも、幾人かしか救えないものとしてこれを願っているのに、終末の時代になると、なぜ最後に生きているユダヤ人だけが特別扱いをされて民族的救いが起きるというシナリオが出来上がるのでしょうか?


また、ヨハネの黙示録3章9節ではこう預言されている通りです。

見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくて、偽る者たちに、こうしよう。
見よ、彼らがあなたの足もとにきて平伏するようにし、そして、わたしがあなたを愛していることを、彼らに知らせよう。


この他に「イスラエル」=「クリスチャン」だという根拠になる聖書箇所をご紹介しておきますが、全文の引用は長くなるので割愛させていただきます。


『ガラテヤ人への手紙』 3章6〜9節、3章29節
『ローマ人への手紙』 2章28〜29節、4章13節
『マタイの福音書』 21章43節


最後に新約聖書エペソ人への手紙2章12節を引用いたします。

またその当時(異邦人)は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。
ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。
そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである


現在のイスラエル国が本当に「神の家族」であるのか?

「サタンの会堂」に属する者が誰なのか?

見極めるのはあなた自身です。


パレスチナ国とイスラエル国の人々に、神の平安が訪れますように。

また、イエス・キリストの福音に導かれ、彼の地で真の神に出会うことができますように。
イエス・キリストの御名を通し、切にお祈りいたします。
アーメン
 

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