SNSなどの投稿で、お互いの意見をぶつけ合って平行線になってしまっている方々をお見受けします。

 

信頼性のある医学的エビデンスや科学的な裏付けを提示していくら根気よく説得しても、絶対に自分の意見を曲げない人がいますね。

報酬を受け取って文章を書き、情報を流布することを生業にしているライターは別として、両者ともに自分の良心と信念に基づいての争いなのでしょう。

 

私の場合、言い争うのが嫌いなので早々に自分から逃げ出してしまうのですが、第三者の目から客観的に見ても完全に洗脳されている人から攻撃を受けると、受ける側としてはとても悔しい思いをしてしまいますね。

この様なときに読んでほしい聖書の御言葉があります。

 

新約聖書テサロニケ人への第二の手紙‭2章9節から12節です。

 

不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、 また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。

彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。

そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、 こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、さばくのである。

 

この御言葉を読んで考えてほしいのは、神は救いと真理を自ら差し出しているのに、その愛を信じることもせず、また自分の時間と頭を使って調べて考えることをしない人間には、そのまま放っておくどころか、さらに彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送っているのです。

神ご自身がこの様な力をあえて送っているのですから、頑固に洗脳されている人を解放するのは容易なことではありません。

 

しかし、「わざわざ何でそんなことを?」と、不思議に思いますよね?

 

これは大多数の人間が、自分が罪人であることを悔い改めることなく、仕事や家事、育児、世の楽しみや煩いのために忙しくして、神を一切顧みなかったためです。

 

また、我々を支配している権力者やエリートたちには、悪魔・悪霊・サタンがついています。

もちろん絶対的な主権は神にありますが、この地上と空中の権威は一時的にサタンが持つことを神から許されています。

 

そのサタンに忠誠を誓い、文字通り悪魔に魂を売れば、この世の富や権力を手中におさめることは容易です。

 

サタンは自分の駒としてこの世の富を求める者に悪霊を送り、地上の権威を与えて操り人形にし、人間から神を思う心と霊性を引きはがして滅ぶようにと必死になっています。

神はこのことすらも信仰を持たずに悔い改めない人間を裁くために利用し、今はまだサタンをあえてそのままにしているのです。

 

この様なことを言うと「慈悲深い愛の神が本当に存在するのなら、なぜ世の悪を野放しにしたままで、弱者を救済しないのか?」と、反論されてしまいます。

 

ちょっと冷静になって想像してみてください。

あなたの愛している恋人や人生の伴侶、もしくは子供たちがいるとして、その人が自分とした約束を全く守らず、言うことも聞かず、挙句の果てに馬鹿にしきって顧みてくれなかったとしたらどうしますか?

最初は愛しているので何回かは許しても、最終的にお別れするか、自分の子供であれば教え諭してから、それでも駄目なら懲らしめを与えることもするでしょう。

 

神も全く同じなのです。

 

なぜ神だけに一方的な愛を求めるのでしょうか?

 

なぜ自分に都合の良いことが起こったときには自分や他の人間の努力だけを称賛し、

自分に都合の悪いことが起こったときには神を呪うのでしょうか?

神がそんな都合の良い存在であるならば、とっくに地上には楽園が実現し、人類がみな幸せな生活を営んでいたことでしょう。

 

もちろん神は何も知らない無垢な子供の死や苦しみは、必ず顧みてくださいます。

しかし、物心ついた人間が小さな嘘をついたり、親に反抗したり、鉛筆一本盗んでもそれは立派な罪であり、我々は呪いを受けて神の前で裁かれなければなりません。

 

イエス・キリストの贖罪の死と救いを素直に受け入れなければ、大いなる神の御怒りから逃れられる者は一人として存在しないのです。