「どうしてクリスチャンになったの?」と、昔の私を知る人たちは不思議そうに聞いてきます。

 

みんなが予想する大体の答えは、離婚を契機に何もかも失った私が、精神的に弱くなり、弱さゆえに宗教にハマってしまった、といったところのようです。

 

確かに弱い人間が宗教によって洗脳され、多くの方が騙されているのも事実です。

しかし、どんな人間でも最終的には絶対に死ぬという弱さを持ち、自分の力では髪の毛一本すらも黒くできない、ましてや明日生きているという保証もない命である以上「私は強いからこの先の人生も大丈夫」という理屈にはならないのです。

 

オカルトに傾倒し、ニューエイジ思想にどっぷりと浸かり、古武術を嗜んで心身を鍛えていた私のような人間が、その全てを捨てていきなり聖書片手にイエス・キリストによる救済を語り始めれば、それは頭がおかしくなったと思われても仕方がないのかもしれません。

 

聖書へと導かれる様々なきっかけはありました。

陰謀論を研究していてたどり着いたというのも大きな理由です。

 

これは突拍子もない話なのであまり人に話したことがないのですが、聖書の神様が本物であると確信した日のことを思い出してみます。

 

あっけなく終わる短い話なので「光り輝く天使を見た」とか、そんなのを期待していた方はがっかりすると思いますので悪しからず。

 

この地上が邪悪で狂った世界だと気付いていたにしても、何も確信を持てないまま実家でニートをしていた私は、その日も自室でニューエイジの本を読んでいました。

その本には次元も超越できる宇宙船の乗組員として、かつて地球に降り立って人間を導いたハイヤーセルフとしてのイエス・キリストが、主人公の男性と会って話をしている場面がありました。

そのイエス・キリストが登場した時点で、私の頭の中に「これは嘘、これは嘘、これは嘘、これは嘘、これは嘘」という文字列が連続で浮かんでは消えていきました。

誰かの声が頭の中で聞こえてきたとかいう気持ち悪い話ではなく、何と表現してよいのか分からないのですが、文字列という言葉でしか表現できません。

その文字列が消えた瞬間、迷わずその本をゴミ箱に捨てていました。

時間では数分の出来事だったと思いますが、私は一瞬で変えられました。

本当に一瞬で分かるようになったんです。不思議としか言いようがありません。

今まで自分の人生を費やして学んできた9割以上のことが、全て嘘だったと一瞬で理解できたのです。

私は本をゴミ箱に捨てた後、家の廊下を玄関から自室まで行ったり来たりして「そうなのか?そうなのか?」と、しばらく自問自答しながら早足で歩いていました。

 

とにかく家にあったオカルト系の書籍やパワーストーン、気持ち悪い人形、お守り、数珠、占いに使う道具、タロットカード、古武術で使っていた武器や自衛官時代に訓練用で買ったエアガン等を全て処分しました。

部屋がすっきりして明るくなった気がしました。

 

そこから聖書を買って学び始めて、色々と理解が深まっていった過程は、普通の人の勉強というか、学び方というか、むしろ常人と比べても遅いくらいのペースでした。

 

後にも先にも一瞬で文字列を頭にダウンロードされるような感覚は、今までに経験したことがありません。

 

なぜ本の中に偽物のイエス・キリストが登場したときにだけ私の頭が働いたのかは今でもよく分かりませんが、4歳から通っていた幼稚園がカトリックだったとはいえ、その時からイエス・キリストへ至る何らかの縁を繋いでいてくれたのかもしれません。

(※ちなみに現在の私はプロテスタントです)

 

最後に私の大好きな聖句であるコリント人への第一の手紙1章27説から引用して終わります。

 

神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、 有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。

 

アーメン!