気合いを入れ過ぎて長文になってしまいました。

聖書からの引用も多かったのでお許しください。

 

今回は聖書の預言がいかに正確に成就したかをメディア・ペルシャ時代のクロス王に焦点を当てて書いてみました。

 

1879年考古学者ホルムズド・ラッサムによっバビロン(現在のイラク)マルドゥク神殿発掘調査されたとき歴史的大発見がありました。

 

それは、長さ23センチの円筒(キュロス・シリンダー)で、表面にはペルシャのクロス(キュロス王)が諸国を征服し、バビロンに無血入城した功績と、信仰を奪われた各国に対してその神々の像を返し、ナボニドゥス(バビロニア王)がバビロンに連れ去った各地の住民を元の国に返したことが記録されています。

その中の一文を紹介すると、「私はクロス、バビロンを征服した王である…。私は長い間荒廃していた聖所とその中にあった器具をチグリス川の向こう側にある神聖な都城(エルサレム)に戻させた…。またそこの住民(イスラエルの民)を集めて、彼らの居住地に帰還させた」とあります。

 

なぜ、クロス王はバビロンによって捕囚されたイスラエルの民を解放したのでしょうか?

とても優しくて善い王様、賢王だった、というシンプルな見方もあるでしょう。

確かにクロス王は思慮分別があり、慈悲深い君主であったようです。

 

しかし、紀元前539年当時の王様が、バビロンという強敵を打ち破って征服し、様々な物をせっかく分捕ってさぁこれからだという時に、貴重な労働力である人的資源をそうやすやすと手放すでしょうか?

可能性としてあり得なくはない話ですが、奴隷制度が当たり前で普通のことだったこの時代に、奴隷としてだけではなく兵士としても人的資源は重要な戦力です。

あえて奴隷のように虐げることはせずとも、そのまま自国民として扱える人々を手放すことはあまり考えにくいのです。

何よりも臣下である者たちの猛烈な反発を受けるでしょう。

 

ではなぜ解放は起こったのでしょうか?

 

クロス王は賢明であったためバビロンを征服した後も、バビロニア帝国に就いていた老齢のベテラン政治家をそのまま重用しました。

そして政治協定締結のために、先代メデア王ダリオスの信任を得ていたダニエルを召しました。

 

ダニエルとは旧約聖書でダニエル書を記録した預言者ダニエルのことです。

彼はその経験と才能を高く買われていた上に、バビロニア帝国にとってもメディア・ペルシャにとっても異国人でしたので、何の警戒もいらない政治家だったのです。

 

ダニエルはクロス王の最高顧問の地位を得て、初めてクロス王に謁見したとき、一体何を持って行ったと思いますか?

それはイザヤ書です。

旧約聖書にある預言者イザヤが書いたとされる記録です。

そしてイザヤ書‬44章から45章をクロス王に読んで聞かせたことでしょう。

 

少し長いのですが、イザヤ書44章24節から45章7節までを以下に引用します。

 

あなたをあがない、 あなたを胎内に造られた主はこう言われる、 「わたしは主である。 わたしはよろずの物を造り、 ただわたしだけが天をのべ、地をひらき、 ――だれがわたしと共にいたか―― 偽る物のしるしをむなしくし、 占う者を狂わせ、 賢い者をうしろに退けて、その知識を愚かにする。 わたしは、わがしもべの言葉を遂げさせ、 わが使の計りごとを成らせ、 エルサレムについては、 『これは民の住む所となる』と言い、 ユダのもろもろの町については、 『ふたたび建てられる、 わたしはその荒れ跡を興そう』と言い、 また淵については、『かわけ、わたしは あなたのもろもろの川を干す』と言い、 またクロスについては、『彼はわが牧者、 わが目的をことごとくなし遂げる』と言い、 エルサレムについては、 『ふたたび建てられる』と言い、 神殿については、 『あなたの基がすえられる』と言う

わたしはわが受膏者クロス右の手をとって、 もろもろの国をその前に従わせ もろもろの王の腰を解き、 とびらをその前に開かせて、 門を閉じさせない、と言われる主はその受膏者クロスにこう言われる、「わたしはあなたの前に行って、 もろもろの山を平らにし、 青銅のとびらをこわし、鉄の貫の木を断ち切り、 あなたに、暗い所にある財宝と、 ひそかな所に隠した宝物とを与えて、 わたしは主、あなたの名を呼んだ イスラエルの神であることをあなたに知らせよう。 わがしもべヤコブのために、 わたしの選んだイスラエルのために、 わたしはあなたの名を呼んだ。 あなたがわたしを知らなくても、 わたしはあなたに名を与えた。 わたしは主である。 わたしのほかに神はない、ひとりもない。 あなたがわたしを知らなくても、 わたしはあなたを強くする。 これは日の出る方から、また西の方から、 人々がわたしのほかに神のないことを 知るようになるためである。 わたしは主である、わたしのほかに神はない。 わたしは光をつくり、また暗きを創造し、 繁栄をつくり、またわざわいを創造する。 わたしは主である、 すべてこれらの事をなす者である

 

このイザヤ書は紀元前740年に執筆され、40章から後半は紀元前690年に記録されました。

預言者イザヤは紀元前680年に殉教しています。

 

つまり、クロス王が生まれるはるか以前に記され、バビロンが征服される150年も前から存在してきた書物なのです。

 

これを読み聞かされたクロス王はさぞかし驚き、たまげたことでしょう。

 

そこにはバビロンの城壁が二重で難攻不落であったため、城の中を流れていたユーフラテス川の上流にバイパスを作り、水位を下げてから上流側と下流側から攻め入ったこと示す言葉や、自分の名前までもがハッキリと記され、もろもろの国を従わせると書いてあったのですから。

 

クロス王はこの預言を信任厚いダニエルから聞いていたので、イスラエルの神である主を褒め称え、また正しく畏れたのでイスラエル民族の捕囚を解いたに違いないのです。

 

受膏者とは『‭‭‬油注がれた者』という意味で、イスラエルでは王に任命されるとき、大祭司や預言者によって頭に油を注がれたのです。

ヘブル語ではメシア。ギリシャ語ではキリストです。ですので、イエス・キリストの『キリスト』は、お名前ではなく称号のようなものです。

 

さらに旧約聖書のエズラ記の1章1節から4節にはこうあります。

 

ペルシャ王クロスの元年に、主はさきにエレミヤの口によって伝えられた主の言葉を成就するため、ペルシャ王クロスの心を感動されたので、王は全国に布告を発し、また詔書をもって告げて言った、 「ペルシャ王クロスはこのように言う、天の神、主は地上の国々をことごとくわたしに下さって、主の宮をユダにあるエルサレムに建てることをわたしに命じられた。 あなたがたのうち、その民である者は皆その神の助けを得て、ユダにあるエルサレムに上って行き、イスラエルの神、主の宮を復興せよ。彼はエルサレムにいます神である。 すべて生き残って、どこに宿っている者でも、その所の人々は金、銀、貨財、家畜をもって助け、そのほかにまたエルサレムにある神の宮のために真心よりの供え物をささげよ」

 

これは発掘されたキュロス・シリンダーの内容そのままですね。

 

こうして聖書の預言は、オリエント世界の正確な情報を提供する古代ギリシアの歴史家ヘロドトスの記録や、考古学的発見からも正確に成就していることが証明されているのです。

 

聖書についての信憑性については、写本の正確性を疑う声もありますね。

つまり、所詮間違うことがある人間の手によって何度も何度も筆写されていくうちに、最初の写本から内容がかけ離れていくかもしれないという懸念です。

確かに我々クリスチャンが「聖書は神に守られている!」といくら力説したところで、その他の人には全く説得力がありませんね。

 

その点については1947年、死海周辺のクムラン洞窟から偶然にも発見された死海文書の存在が力強い証明になります。

この死海文書が発見された壺の中には、完全な状態で保存されたイザヤ書の巻物がありました。

 

発見されたイザヤ死海文書は、現存する最も古いイザヤ書の写本より約千年も古い時代のものであることが分かりました。

当然、千年という長い年月の中で、筆写されてきた内容がどれ程かけ離れていくのかということに人々の注目が集まりました。

きっと大人数でやる伝言ゲームのように、多くの間違いが発見されるに違いないと思ったのです。

しかし、そんな心配や邪推は杞憂に終わりました。

現存する最も古い写本とイザヤ死海文書は、綿密に比較対照され、その異なる点を調査しましたが、ほぼ一致することが証明されたのです。

 

これは大変驚くべき結果です。

考古学的にも聖書写本の正確性が証明されたのです。

 

このイザヤ死海文書の中にも、もちろんクロス王の預言がちゃんと書かれていたんでしょうね。千年のロマンを感じます。

 

「言(ことば)は神であった」とヨハネによる福音書1章にもあるように、神は言葉である聖書を守られました。

 

旧約聖書の中には300以上の預言が書かれてあり、新約聖書において全てが正確に成就しています。

 

個人的にイザヤ書は53章の預言が大好きなのですが、このお話はまた次の機会にしたいと思います。