今日の神奈川フィルの演奏は最高だった。会心の演奏といえるだろう。
御大シュナイトが指揮を執ったブラームスの交響曲第4番は久し振りに出会えた素晴らしい瞬間の数々だったといえる。少し古臭い演奏だったかもしれないが、70年代のシュツットゥガルト放響の響きを思わせる、重厚にしてかつ瑞々しい弦楽器には今日は正直言って感動してしまった。圧倒されるというわけではなく、ただ抑制された重厚さが絶妙に均衡を保っており、本気モードにシフトした神奈川フィルの面目躍如たる演奏となったといえる。時に、管楽器のバランス感覚に疑問も残ったが、それを抜きにしても、弦楽器の響きだけでも充分に及第点の内容だった。
前半のベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲もまた素晴らしい出来栄え。竹澤恭子の安定した音楽性は完全に格の違いを見せ付けられたといっていいだろう。これもまた今日の大いなる収穫といえる。彼女の存在感を改めて再認識するいい機会だったといえる。以上、個人的な見解である。(横浜みなとみらいホール)
【今日の出演者】
ハンス=マルティン・シュナイト/竹澤恭子(Vn)/神奈川フィルハーモニー管弦楽団

【今日の曲目】

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
ブラームス:交響曲第4番ホ短調作品98

今日は大阪シンフォニカー交響楽団の定期演奏会に足を運んだ。場所は彼らの本拠地、ザ・シンフォニーホールである。彼らの演奏会も初めてであるが、ホールもまた初めて行く会場である。そもそも、自分は神奈川県在住…恥ずかしながら大阪は今日が初めて来た。今朝に大阪へ着き、今晩の夜行で帰る強行スケジュールである。もちろん大阪へ来た目的は、この演奏会を見るため。チケット代よりも交通費のほうが遥かに高くついてしまったが、自分にとっては、そうまでしても聴きに来たかった演奏会なのだ。
指揮は寺岡清高、ベートーヴェンの交響曲第2番とハンス・ロットの交響曲で、『ベートーヴェンと世紀末ウィーンの知られざる交響曲』と題された公演。
まずはベートーヴェン。メリハリの利いた演奏は実に心地良い響きだった。ロットの作品でも感じた事だが、コンサートマスターをはじめとする1プルトに座った弦楽器トップの方々の連携は絶妙だ。見ていて自然と安堵感を持って聴いていられる、正に稀有な体験をしたものだ。若さ溢れるオーケストラと指揮者ならではの快活かつ明晰な演奏だったといえ、熱演であり、名演といっていいだろう。
ロットの交響曲はどうしてもライブで接したかった作品。(曲の詳細については日を改めて書きたいと思う)。寺岡のタクトは既出の録音と比べると全体的にテンポは早めだが、音楽が軽薄になることは全くない。ブルックナーにもワーグナーにもマーラーにも通ずるサウンドは初めて聴いた方には度肝を抜かれたに違いない。そのサウンドを「浅薄な模倣」と片付けてしまっては論ずるに値しないが、自分としては20歳余りでこの曲を作曲し、25歳で世を去った彼の短い生涯を踏まえると、模倣では言い切れない説得力と好奇心に満ちあふれた作品といえるだろう。寺岡の指揮もまた、その魅力を充分に引き出していたといえ、時折感じさせる「ほのかなウィーンの香り」はさすがである。コンマスの森下の計り知れない苦労も、この演奏会では語らずにはいられない。とにもかくにも、この演奏される機会の少ない作品を取り上げた大阪シンフォニカーとマエストロ寺岡には、万雷の拍手を送るとともに、敬意を評したい。遥々大阪まで来た甲斐があったと素直に喜べる演奏だった。
それと併せて個人的見解を…。大阪のお客さんは予想に反して、実にお行儀が良く、大人しい。今日はクオリティのかなり高い演奏会だったと感じたが、「ブラボー」の声も少なかったように見受けられる。個人的には、今日の演奏会のチケットは五千円を払ったが、一万円を払っても聴くに値する演奏だったと思うのだが…。
そんなこんなで今後の彼らの活躍が非常に楽しみだ。機会があればまた、ここ大阪で定期に接してみたいものだ。〔ザ・シンフォニーホール〕
【今日の出演者】
寺岡清高/大阪シンフォニカー交響楽団(コンサートマスター:森下幸路)

【今日の曲目】

ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調作品36
ハンス・ロット:交響曲ホ長調

二人の子供を連れてミューザ川崎シンフォニーホールへ。0歳児から楽しむことができるコンサートで、なんとも意義深い演奏会である。未就学児がご法度のクラシックの演奏会において、このようなオーケストラの演奏会は大変嬉しい。しかしながら、この子供ばかりの客は、指揮者にとっては口煩い耳の肥えた客よりも手強い存在なはずに違いない。演奏中だろうとトークの最中だろうと構わず騒ぐ子供たち。泣きじゃくる子や、立ち上がる子、通路にはぐずった子を抱きあやす保護者がぞろぞろ…。そんな「悪条件」に立ち向かう指揮者の重責を担ったのが「ヘルベルト・フォン・ホリヤン」こと、堀俊輔だ。堀俊輔といえば合唱を伴うオーケストラの為の作品を振らせるとその魅力は際立つが、子供を相手にした演奏会でもその魅力は光る。子供のハートを掴む術を熟知し、いかなる悪条件をも、さらりと凌ぐのだ。今回も正に、面目躍如の活躍を見せたといえる。
今回のような企画は是非とも続けて欲しい。そう願う音楽ファンが殆どだと思う。ひとつ注文をつけるならば、今後続けていく中でちょっと難しい交響曲も取り上げてもらいたい。
東京交響楽団のみなさん、何卒よろしくお願いします。〔ミューザ川崎シンフォニーホール〕
【今日の出演者】
ヘルベルト・フォン・ホリヤン(堀俊輔)/東京交響楽団/ズーラシアン・ブラス
今日は神奈川フィル定期のシーズン・オープニングに足を運んだ。率直な感想といえば「なかなかやるな~」といった感じ。このオケの定番にもなりつつある團伊玖磨の管弦楽組曲《シルクロード》で幕を開けた今シーズン。およそ10年ぶりにこの作品をこのオケで聞いた(当時は手塚幸紀の指揮だった気がする)が、当時の自分のメモを読み返してみて、最近の彼らのサウンドの充実ぶりに納得できた感がある。個々の技量は当時とさほど大差はないが、アンサンブルに磨きがかけられている。それを統率する石田泰尚というコンサートマスターの存在は実に大きい。今日の演奏会でも、のっけからそれを痛感したといえる。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲ではロシアの俊英、イリヤ・ラシュコフスキーが登場。かなりの技巧の持ち主で将来が楽しみな逸材だ。個人的にはもっと音楽的な拡がりとメリハリがあると、より説得力のあるチャイコフスキーになるような気がする。しかしながら、今日の演奏は及第点。ますますの飛躍に期待したい。メインにはリムスキー=コルサコフの交響曲第2番《アンタール》だ。《シェヘラザード》に代表されるオリエンタリズムはこの作品でも顕著に現れており、筋書きも解りやすい。現田の指揮もこのようなドラマを展開する作品では表現力がいつになく冴える。石田率いるオケもそのタクトに呼応して、若干の熱を帯びる。そこで弾(はじ)けないのが神奈川フィルだ。しかしながら、聞かせ所に乏しいこの作品を、鮮やかにかつ、感興豊かに仕上げた神奈川フィルは「なかなか」だと思う。今シーズンの行方にちょっと注目かもしれない。〔横浜みなとみらいホール〕

【今日の出演者】

現田茂夫/イリヤ・ラシュコフスキー(Pf)/神奈川フィルハーモニー管弦楽団
浅草のアサヒ・アートスクエアに「踊りに行くぜ!」を見に行った。客としてコンテンポラリー・ダンスを見るのはかなり久しぶりだったので、ちょっと新鮮だった。まずは「KENTARO!!」の作品だ。HIPHOPのエッセンスをコンテンポラリーに融合させ、先日開催された横浜ダンスコレクションRのソロ×デュオ・コンペティションで「若手振付家のための在日フランス大使館賞」を受賞した、今、最も「旬」のアーティストだ。彼の作品に常に関心させられるのが推敲を重ねたであろうドラマツルギーの明晰さだ。フランス人に「ウケ」が良かったのも納得できる。今回の作品、個人的には面白く見ることができ、なんだか泣けてきた。久しぶりの体験に少し驚いた自分である。
次に登場したのが「KIKIKIKIKIKI」という風変わりなカンパニー。隅地茉歩(振付家・ダンサー:セレノグラフィカ)のプロフィールを読んでいるかのような錯覚に陥った彼女達のプロフィールの書き出しに興味を掻き立てられ、今回の一番の注目だったが、個人的にはちょっと不満。作品が言わんとしてることは理解できるが、どうにも半裸(トップレス )になる必然性が自分には見出だす事が出来なかった。後にも先にもそれに尽きる。裸になるのは最後の手段。他にも方法はあったと思う。
休憩後の「プロジェクト大山(振付:古家優里)」は今回最大の収穫。お茶大出身の若い女の子5人が元気溌剌とステージを縦横無尽。ベタベタなユーモアに不可思議なシチュエーション。それを頭で理解しようとしているうちに、舞台は畳み掛けるように進展する。タイプが異なる女の子が織り成す奇妙奇天烈なステージ、素直に面白く、見終わった後の爽快感は今までにないものを感じた。今後の活躍に「期待大」である。
最後は台湾から「白舞寺」の3人。「過火」と題した作品。台湾古代の清めの儀式「火渡り」を意味し、現代社会へのアンチテーゼといえる作品だ。ダンスを舞うというよりは、むしろ宗教儀式の営みを見ているかのようなエネルギーに満ちた作品だったといえる。もっと舞う姿を見たかったというのが自分の第一印象だが、この作品の持つ「現代社会が孕んでいる様々な問題への警鐘」という根本に向き合うには、「舞うこと」は逆に不本意な舞台になることも理解でき、充分に納得がいく。そう思わされるエナジーに溢れた作品だった。以上、勝手な個人的見解である。〔アサヒ・アートスクエア〕