まどろみの煮詰めすぎた甘いジャム煮詰まりすぎた甘い部屋匂いにやられて僕は落下するおなかはいっぱいでただ無性に眠い占い師にはだまされて僕は金貨を投げ捨てる振る舞われたお茶は謹んでお断りただ深くただ深く眠りたいだけ夢から覚めた夢をまどろみの中で見たようなそれともこれは君の夢か僕の夢ではないらしいどうだっていいよまどろみの横には君が君がただいるだけでそれだけで充分さ
あ れから半年あまり。あの日、夕方の浴室で頭の血管が切れて、ひどい頭痛に悩まされながら考えていたこと。こんなひどい頭痛は尋常じゃない。冷や汗がひどく出て、晩夏だからってこれはないだろって話で。これって死ぬのかな。だとしたらどうしようか。病院?時間的に、診察は終わってるし。急患ならいけるか。だとしたら救急車?本当にそんな症状?実は単なる頭痛で、寝て起きたらケロリと治ったりしやしないか。そんなんだったら救急車呼んだら怒られやしないか。でもこの汗と頭痛は何。寝るか、行くか。もし、このまましんでしまったら?生きるのと死ぬのと、どちらが楽なんだ。死ぬのを選択したら、苦しまずに死ねる絶好の機会じゃないか。もしもこのまま死んだら、僕の意識は肉体から抜け出して、自由に空を飛ぶのだろうか。そしたら僕は、どこへ行こうか。遠くに住む家族や、もう会えなくなったあの人にありがとうと、幸せを祈るよと、届かぬ声を届けに行こうか。きっと今死んだって、影響なんかほとんどないだろうし。僕が死んだら、今の僕に泣いてくれる人はどれほどいるのか。そしてその涙は、どんな理由で流されるのだろうか。まあ死んでしまえば、そんなことは知ることもないわけで。どうでもいいかな。楽に死ねるならもうどうでも。ああ、でも。こんな季節に死んでしまったら、発見される頃にはひどい有様になるのだろうか。ひどい有様のこの部屋を、親に片付けさせることになるのだろうか。きっと保険金が下りるから、葬式代の心配はないだろうけれど、ちょっとそれは親不孝の極みか。しかし頭が痛いなあ。痛すぎて頭が割れそうだこれは本当にやばいかも。病院に行く?救急車呼ぶ?でもただの頭痛ならどうよ。時間的に勤務が終わる頃だし、こんなタイミングで飛び込む急患はものすごく迷惑じゃないか。それで何ともなかったら、すごい嫌なオチじゃないか。ひとまず寝る?でも死んじゃうかも。よし。吐き気がしたら、救急車を呼ぼう。腐った我が子の後始末を親にさせることだけは避けるべきだよね。そんなことを考えて、ついに吐き気が来たので意を決して救急車を呼びました。いろいろ考えていたからか、救急処置室に到着した直後に対応した主治医に開口一番「夜分遅くにすみません」と謝ったらしい。覚えてないけど。そんなこんなで、僕は生きている。
グレイ傷つけないように、我慢して、何があっても牙を剥かずにいることは、果たしてどれほどの意味が、どれほどの成果があるのだろうか。傷を付けたあなたと、もしも明日会えなくなってしまったら?そう考えたら、どんなことだって我慢できる、そう思っていたけれど。どうにもならない領域まで、無神経に土足で踏み入られてまで、しなければならない我慢とは、一体何なのだろうか。何度話してもだめで、今日は我慢ができませんでした。いいんだよって言えなかった。どうしようもなく。どうしようもないことがあるわけで。気付けないことを許容していくことが、どこまで科せられなければならない罰なのか。そうやってやってくる後悔は、何なのか。救われたいと願うのは、エゴだと思う。救われたいと願うのは、大罪なのか。許すばかりで、許されない僕は、生きていく価値があるのだろうか。ときどきあるんだそんな日が。
scalar心が派手に墜ちる嫌いな人のことばっか考えて自分を恨んでたって仕方ないだって僕の心は誰にも見えないのだからじゃああいつの心は果たしてお前に見えてるのかってんだ見えた気になって一人で勘ぐってるだけじゃないのかってんだわかってるさわかってるけどわかりたくてわかりたくないんだああ雨もやんで空はこんなに綺麗だっていうのにこんなところで足止めをくってる空はこんなに綺麗だっていってるのに
春は青さを増してこんばんは。今日は部屋を片付けるぜ~!と、豪語していたくせにぶらぶらと映画を観に行っちまった千暁です。だって晴れてんだもん。晴れてるくせに暗い場所に閉じこもる行為。ひねくれものにはたまらない時間のつぶし方ではありませんか。まぁ、必要があって買い物に行ったら「ソラニン」をやってることに気付いただけなんですけどね。CMで見て気になってたんですが、もう終わってると思っていたので思わず飛び込んだわけです。で、なんつうか。泣けました。僕はもう30を迎えてしまっているわけですが、20代のあのもどかしい感じがリアルに浮かんでくるというか。不器用な僕は、不器用な登場人物たちにぐっと引きつけられてしまいました。しかしなんというか、10代はあらがい、20代は迷う。そんな感じで迎えた30代は、一体何なんだろう。あきらめを覚えてゆく時代なんでしょうか。なんとなく違うんだけど、なんとなく間違ってない。20代はなんとなく、自由をどうしようもなく求めるくせに、自由を獲得することでやってくるものへの漠然とした不安、そんなものの間で落ち着くことができず揺らぎ続けていたような気がします。30代になってみると、そこまで怖がるようなことは、実はないんだってことに気付くわけで、しかし反面それはあきらめや逃避の末の落ち着きではないかと時折疑問が噴出する時もあるんですが。まぁ、うまくやれるようになっただけなのかもしれません。映画を観ながらそんなことを考えていました。不安定な現状と、見えてくることのない未来。その中で不器用にもがく登場人物たちに、どうしようもない青さを感じました。だから青春というのか。でも青い「春」ってなんだろう。年を取ると夏になって秋になるのか。それなら今の僕はどの季節にいるのだろう。すでに秋の領域に来てしまった気もするし、まだ夏を迎えられていない気もするわけで。年を取ればわかるのかな。で、もうひとつ。「NINE」も観てみました。ケイト・ハドソンが気になりまして。結果。寝ちゃった。各女優たちのショーはおもしろかったんですが、いかんせん話の筋がつまらなかった。映画館で寝たのは久しぶりだぞ。それくらいつまらなかったです。とりあえず、「ソラニン」はもっかいくらい観たいです。
春と花びらかくしごとなんてひとつもなく秘密めいた笑みで視線を投げる白いフリルが舞って空を別物のように飾るそれが君だ散り際の桜の花びらたちがアスファルトに巻き散らかされてせわしなく踊るように心はずっと落ち着かないきっと春のせいじゃなくて目の前に現れた君のせいなんだ春はずっと淡い色だらけの世界だったのに君が一瞬にして変えてしまった
ねむ。ねむい。ねむ。ねむ、ねむいよー。このまま地面にへばりつきたいくらい。イモリかヤモリか、そのくらいに。へばっといきたい。うつぶせに眠るブームが来ているようで、毎朝あやうく寝違えます。うっかりしてると顔もむくむし、油断大敵なんですが。でもやめられん。へばりついてねむりたい。
mob sceneざらついた壁を群青色に塗りつぶして部 屋に夜を招き入れる君にはしばらく会えないから仕事に精を出すとしようか冷えた頭で紡ぎ出す愛はどれほどの深さを示すだろうか群舞が華やかに舞台を彩るように染み渡るようなそんな静けさで君を想う